第113話 怒らせるとこうなります()

 正確には次の日ではないのだけど、体感的には次の日、日曜日。本来なら小千谷さんが出勤するはずなのだけど、朝目覚めると何故かドメインが津久田グループのアドレスからメールが届いていて、開いてみると、沼田さんからの連絡が届いていた。かいつまんで説明すると「小千谷さんは今色々あってのびてしまっていて、動ける状態じゃない。申し訳ないけど代わりに出勤していただけないだろうか。もちろんお礼はします」とのことだ。


 ……のびるって、あの後一体何があったんだよ……。まさかノックアウトされてのびたんじゃないでしょうね……? それとも、言葉にし難い一夜をお過ごしになられて性根尽き果てた? 文字通り。……激おこぷんぷん丸状態の津久田さんならあり得るのかなあ……。もうなんでもいいや。


 実際のところ、週末はどっちも出勤するはずだったからちょうどいい。確か……井野さんと浦佐も出勤のはず。ならちょうどいい。


 ……僕が子供四人欲しいっていう何の脈絡もないデマを拡散した井野さんにお灸を据えないと。……この時間だったらまだ寝ているだろうし大丈夫かな……。


 僕はある人物に電話をかけて、下準備を始めた。

「──あ、もしもし? 朝早くからすみません、八色ですー。はい、ご無沙汰しておりますー。すみません、折り入って相談したいことがありまして──」


「……あ、あの……八色さん? どうしてそんなにニコニコしているんですか……? そ、それに今日はお休みなんじゃ……」

 夕礼前、スタッフルームに現れた井野さんは僕の姿を見つけるなり何かに怯えるような目を浮かべた。……ほう、自覚はあるようだね。


 ちなみに浦佐ももう来ていて、いつも通り、我関せずとゲームをピコピコいじっている。


「あー、それなんだけど、どうやら小千谷さんがのびちゃったみたいで出勤できそうにないから、代わりに僕が出ることになったんだよね」

「で、でもでも、あ、あれ……?」

「……ところで井野さん。何か僕に言うことがあると思うんだけど」

「ひゃっ、ひゃいっ!」


 ちょっと目を鋭くさせ、低い声で言っただけで井野さんはびっくりして持っていたトートバックを落としてしまった。……そんなに怖いですか? それはそれでなんかショックだなあ。


「え、えっと……な、なんでしょう……か……?」

 一応誤魔化すつもりはあるんだね。あーあ、ここで素直に謝っていたら許してあげないこともなかったのに。仕方ない。打ち合わせ通りやらせてもらおう。


「ううん、井野さんに心当たりがないなら別にいいんだ。何でもないよ」

「……? そ、それはそれでなんか……?」

 頭上にはてなマークを携えた井野さんは、よくわからないといった顔つきでロッカーに向かい、続けて更衣室に入った。それを上目でチラッと見た浦佐は、


「太地センパイも大概Sっすよね……。絶対知っているじゃないっすか。円ちゃんが『四人欲しいらしい』って言ったこと」

「……水上さんからだけどね。おかげで少し大変だったよ……」

「ちなみに、本当に四人欲しいんすか?」

「……んな訳」


 隣の浦佐は大きく息を吐いて、腕を伸ばして体とゲーム機を離しつつ脱力した。

「そうっすよねー、安心したっすよー。もしかして実は太地センパイ絶倫なのかなって思って不安になったっすよーははは」

「…………」


「あ、あり? せ、センパイ?」

 どうやら浦佐、お前も一緒にお灸を据えられたいみたいだな。いいでしょう。ひとりもふたりも変わらない。……むしろ、増えたほうがも喜ぶのでは……?


「せ、センパーイ。どうしたっすかー? そんな、ちゃぶ台ひっくり返す前のお父さんみたいなこわーい顔して……」

「ん? まさか、そんなはずないだろう? ははっ」


「……一瞬で笑顔作らないでくださいっすよ。しかもその口調、『ははっ、閉園時間になってからも夢の国にいる悪い子は誰かな?』的なホラーじゃないっすか」

 ……相変わらず例えが斜め四十五度上なんだよ……。で、本当に怖いと思っているならゲームする手止めろよ。……脱力した状態でよく操作できるな。操作音的に多分アクション系だろう?


「いやいや、まあまあ。気にしなくていいよ。ああ」

「……そ、それはそれでなんか不気味っす」

 とにかく、君たちふたりがそうやって余裕を保っていられるのも今のうちだ。閉店後、閉店後になれば……。


 そんなある種黒い楽しみを抱えながら仕事に勤しむと、あっという間に勤務時間は終了した。閉店作業も問題なく終わり、出勤前の出来事なんてなにもなかったかのように井野さんと浦佐は僕に絡んでいる。


 ……今回のお灸で、少しはボケに陰りが出てくれれば……。小千谷さんは昨日たっぷりと津久田さんに怒られたし、あとはこのふたり……。水上さんはもはや別枠です。


「それじゃあ、帰るっすよー。帰ったら新作のゲームのテストプレイしなきゃっすねー」

「ま、またゲーム買ったんだ……浦佐さん」

 呑気なままふたりは従業員専用の出口からビルを出る。僕もそれに続くと、視界の端に待っていたひとりの女性が井野さんと浦佐の前に立ちふさがった。


「待ってましたよ。円ちゃん。先生から許可はもらいましたっ! さあ、乗ってくださいっ! このために午後半休無理くり取ったんですから!」

「えっ? えっ? 塩沢さん? ど、どうしてここに……」


 オフにからか幾分かラフな格好で現れた、井野さんのお父様の担当編集の塩沢さんは、そう言って井野さんの腕を取って、近くにある地下駐車場に連れて行こうとする。


「あの、塩沢さん、ついでにこのちっこいのも一緒に行かせてください。色々バリエーションが増えると思うんで」

 加えて、何が起きたか理解していない浦佐の両腕をひょこりと持ち上げて塩沢さんに引き渡す。


「いいのっ? この身長差……色々できそう。嫌だ、今夜もしかして私眠れないっ?」

「あ、あの、太地センパイ?」「や、八色さん……?」


「そんじゃ、あとは塩沢さんにお任せしまーす。僕はもう帰るんで。お疲れ様でしたー」

「「あっ、ちょっ、どういうこと(っすか)ですか?」」

 僕は後輩ふたりを置いて先に新宿駅へと歩き出す。


 種明かしをしよう。朝、僕が電話を掛けた相手は井野さんのお父様だ。それとなく井野さんが苦手なことを聞きだすと、小さいころに両親に色々着せ替え人形にさせられたことがトラウマ気味になっているようだ。……着せ替え人形と言っても、あの腐った両親だからまともな着せ替えではなかったのだろうけど。


 そして、その流れで僕は担当編集の塩沢さんの趣味がコスプレであることも聞いた。自分だけでなく、他人に着せるのは好きらしいことも知った僕は、これは使えると思いすぐに根を回した。


 ……おもらしの弱みはとっておかないと。ばらしたらそれは弱みでなくなる。そう簡単に切り札を使うはずがないでしょう? 井野さん。


「ぐふふ、円ちゃんって結構着痩せするから男の子の格好しても映えそうだし、隣の子との身長差で色々、もう久し振りに楽しいかもっ、さっ、早く車に乗りましょう? 私の家、そこそこ近いからっ」


「やっ、八色さん、すみませんでしたっ! あることないこと言って! で、ですからこれだけはっ! ひゃう、ひゃうううう!」

 ……人がほとんどいない地下にそんな悲鳴が聞こえたけど、無視。自業自得だよ……。

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