第111話 普通にするとこうなります

 〇


「これは……あれかな? 僕がお姫様をさらった悪者で、小千谷さんはどこかの王子様か何かですか?」

 沼田さんの横を通り抜けて旅館に侵入していった小千谷さんの姿を見て、思わず僕は呟いた。


 いや……ある意味小千谷さんの乱入は待っていた節があるからいいんだけど、僕の立ち位置がおかしくない……? いや、もういいんだけどさ。


 どこか釈然としない気持ちを抱えていると、どたばたと騒がしい音とともに小千谷さんが僕と津久田さんのいる部屋に飛び込んできた。

「佳織っ、まだ明るい家族計画は実行されてない……よな?」

「……部屋入って一言目がそれですか、小千谷さん」


 そこはもうちょっとイカした格好いい台詞を吐く場面でしょうが。あとなんだ、明るい家族計画って。また誰かがあることないこと吹き込んだな。

「……ね、寝てる……?」

 小千谷さんはそろそろと音を立てないように津久田さんに近づき、すぐ側で膝を折りたたんだ。


「帰国してそのままここに来たみたいなんで。よほどお疲れだったようですね。午後からずっとこの調子です。帰ろうにも津久田さんが起きてくれないと帰れなくて困っていたんですよ」

「は? なんで」


「沼田さんに聞いたら、津久田さん、一度寝たらなかなか起きない人らしいじゃないですか。事実、外が今、あんなに騒がしかったのにピクリともしません。肩揺すってもだめですし……」

「? 佳織を起こすのなんて、簡単だろ」


 僕がため息とともにそう話すと、小千谷さんは何を言っているんだ、こいつと僕の顔をまじまじと見つめる。

「佳織はな、こうすれば一瞬で起きるよ」


 幼馴染の特権だろうか、小千谷さんはすやすやと眠っている津久田さんの右耳にふーと息を吹きかける。すると、

「……んん? 何……? 八色君ってこっちゃん⁉ な、なんでここに⁉」


 ……あんなにびくともしなかった津久田さんが一瞬で目を覚まして体を起き上がらせた。ほんとあれかよ。王子様のキスか何かかよ。仮にそれで起きるってわかっていても僕にできるはずないでしょうが。そんなの小千谷さんくらいしかできないし、わかるはずないって。


「なんでって……そ、それは……あれだよ」

「……あ、あれって?」

「……か、佳織が八色と明るい家族計画を立てていないか心配になって」

「だから今この場でそれを言うかよもっと言うべき言葉があるだろ小千谷さん」


 あれか? ここにはツンデレしかいないのか? 違うな。……津久田さんはツンデレじゃなくてデレデレか。


「どういう意味? こっちゃん?」

 普通に失礼な発言をかました小千谷さんの頬をつねりつつ、津久田さんは問い詰める。……その割にはちょっと嬉しそうですけどね。はい。


「いででで、いだい、いだいがら佳織。だ、だって、八色は将来四人子供が欲しいって話を聞いて……四人も欲しいんだったら早まることもあるかなーって思って」

「おい待て誰だそんな根も葉もないことを言ったのは」


 その瞬間、スーツのポケットにしまっていたスマホが鳴り響く。どうやらラインが来たようだ。


 水上 愛唯:四人欲しいんですか? 八色さん


 どうやって聞いているんだよ、すぐ外にいるのかよ。

 いやいい、それは追々解決しよう。

「……え? 井野ちゃんだけど?」


 ……あのむっつりスケベ腐女子オタクめ……。自分が置かれている立場がわかっていないようだな……。次会ったときに処遇を考えないと。


「んな訳ないでしょ。四人って。いや四人って。このご時世子供ひとり育てるのさえ大変な時代に四人って。僕を性欲の塊みたいに言わないでくださいよ」

「そっ、そうだよこっちゃん、確かに八色君は優しいいい人だけど、ちょっと恋愛対象には入ってないし」


 ……津久田さん、ここぞとばかりにトドメを刺さないでください。いや、ほんと別にいいんですけど、いいんですけど。異性に恋愛対象じゃないって明言されるのはどんな形であれ辛いものがあるんです。ええ。


「そっ、それに……は、はじめては……こっちゃんがいいって……決めてるし」

「は? お前二十四にもなってまだ処女なの?」

「「…………」」

 その瞬間、部屋の空気は凍りついた。っていうか、僕と津久田さんが言葉を失った。


 ……小千谷さん。いくらなんでもそれはないよ。完全にない。ちょっと考えればわかるでしょう……。

「……だ、誰のせいでこの年まで処女守っていると思っているのこっちゃん」


 ですよねー、絶対そういう反応なりますよねー。むしろ怒ってくれるだけありがたいですよ。普通の女性だったらもう絶縁されても文句言えない失言ですからね?

「か、佳織……?」

「言っていいことと悪いことがあるって学校で教わらなった? こっちゃん」


「いだだだだやめっ、佳織、ほっぺだいだいっ、ああああ! ほぅ! ほぅ! ほぅぅぅ!」

 ……この悲鳴だけで何が起こったか想像がつくかもしれないけど念のため説明しておく。


 再度小千谷さんの頬っぺたをさっきよりも強くつねった津久田さんは、立ち上がって小千谷さんの股間に強烈な蹴りを入れた。

 想像しただけでお腹が痛い……。


 ……何をどうやったらこんなコメディになるんだよ。もっと甘々な展開になるんじゃないのかよ。まがりなりにも一応これお見合いの席だからね? 他にもあったでしょうよ。……それもこれも、小千谷さんのここぞとばかりの何も考えていない無神経な発言が引き金をひいたわけなんですが。……らしいと言えばらしいけど。


「……と、とりあえず僕、一旦席外しますね……。多分お邪魔かと思うので……」

「あっ、おいっ、八色何俺を見捨てようとしているんだよ、助けろよ、助けて、キレた佳織はほんと手に負えないんだって、ぎゃあああああああ! そ、そこは蹴るな、蹴っちゃだめぇぇぇ!」


「こっちゃんうるさい。他の人の迷惑になるから大人しくして」

「で、では失礼しまーす……」

 十ゼロで小千谷さんが悪いと思っているので助けることなく僕は部屋を出て、一度リフレッシュするために外に出て新鮮な空気を吸おうとする。が、


「……あ、八色さんじゃないですか。みいつけた」

 深夜の暗闇、街灯だけが照らす夜道でバイクに腰をかける水上さんと鉢合わせた。


「……や、やあ。すごいね、わざわざここまで来るなんて」

「……いてもたってもいられなくなったので、つい来ちゃいました……」

 へ、へえ……。ま、まあそう言うだろうねえ……。


「どうされます? 多分あのお部屋は津久田さんと小千谷さんが使うと思うんですが」

「……そ、そうだね、あの部屋には泊まれないね……僕は」

「……よかったら、私がお家までお送りしましょうか?」


 めっちゃ不敵な笑みを浮かべているのが見え見えなんですけど。大丈夫? 僕、死なないよね? 実は罠でしたとかそんなオチは……ないよね?

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