第110話 食えない爺さん
「さて……このままだとここで夜を明かすことになるのだけど……」
ほんとに起きないなあ津久田さん。というかスーツのままでよくここまで熟睡できるなあ……。スーツのまま寝るってあたりに社会の縮図を感じるけど。でも津久田さんってお嬢様なんだけど。
半ば諦めの感情もこめつつ僕は腕時計で時間を確認する。そろそろ十一時半か……。
当たり前だけどもう終電はない時間だし、どのしろ沼田さんは僕も車で送ってくれるらしいし、関係はないか……。
いや、もう実際泊まる以外の選択肢なんてないと思うんですけどね? 現実的に。ただ、こんなことになってあの水上さんが気づかないなんてオチはありえないと思う。もうそういう意味での信頼を勝ち取っているから、彼女は。それでいいのか水上さん。
「なんて言い訳をすればいいかな……」
頭のなかでぐるぐると死人が出ない結末を迎えるための策を巡らせる。僕も死にたくないし津久田グループを社会的に殺すわけにもいかない。なんなら僕の父親も対象にあがってそう。水上さんの家で写真を画びょうに刺してダーツの矢を当てていたり。もしくはナイフかなにかで切っていたり。はたまた真っ赤なインクでバツを描いていたり。
一応あれでも親は親なので。あと美穂が学生終わるくらいまでは生きていてもらわないとしんどいので助けないといけない。
睡眠薬仕込まれちゃって……いやいや、それをやるのはむしろ水上さんのほうだし。っていうか薬関係は前科持っているし。
帰宅手段失っちゃって……どんなミステリー展開だよ。電話線切れて下山できる唯一の道の吊り橋が燃やされたとかそういう? どこかで読んだことあるようなお話だなあ。それもボツ。
酒飲み過ぎて酔っ払っちゃって……。あり寄りのありだな、これならどうにか……いや待てよ? 今回はどうにかなっても、それならと水上さんが僕を酔い潰させる言い分を与えることになるのでは? ……そのとき、僕の貞操が守られる保証はない。やっぱりボツ。
うーん、じゃあどうすれば全部丸く収めることができるかな……。それとも円満解決は無理か?
うううう……考えても考えてもいい案が浮かばない。浦佐に言わせれば締め切り間近の漫画家かもしれないな。今の僕は。
ふかふかの布団の上であぐらをかいて悩んでいると、ふと窓の外から物々しいエンジン音が聞こえてきた。夜も深くなって静寂な雰囲気のなか、場違いってくらいの激しい音だ。
……箱根にも暴走族っているのかな。でも族の割には数が少ない気も……っていうか、音なんかここの旅館に近づいていない?
外もそれに合わせて騒がしくなってきていて、どうやら旅館の入口前で待機していた津久田家の見回りらしき人達が集まって何やら話している声が聞こえる。
っていうか、沼田さん以外に何人この旅館に残っているんですか? えらく厳重な警備体制ですね?
……なかなか静まらないし。まさか本当に敵襲でも来たんですか? 嫌だなあ、よその家の抗争に巻き込まれて死ぬのは嫌だなあ。
ちょっと窓から覗いて様子だけでも見ておこうか……。
僕はそう思って窓際に向かってカーテンを開けて、外の状況を確認しようとした。
「……おう……」
そこには、バイクに跨ったの水上さんと、それにひっついている小千谷さんの姿と、津久田家の見回りと何やら言い争いをしている光景があった。
「……何してんの、あのふたりは……」
恐るべし水上さんの行動力。バイクの免許持ってたんだ……。知らなかったなあ。ははは。まさかバイクに乗ってまで僕の居場所を突き止めて、深夜に突撃しちゃいますか……。
こりゃあ、どこに行っても水上さんの魔の手からは逃れることなんてできないんじゃ……。ほんと、水上さんに嫌われるくらいしか方法なさそう……。
〇
「だーもう! だから、俺と佳織は知り合いなんだって! お前さては新入りだな?」
「しつこいですね、知り合いだろうとなんだろうと、こんな深夜に押しかけるような男と佳織お嬢様を会わせるわけないでしょうが!」
水上ちゃんのやや爆走気味の運転で、日を跨ぐ前に目的地に到着した。……生きていることに最大の感謝を申し上げるよ。まじで。二・三回くらい漏れそうになったシーンあったからね。スリップしたり、ガードレールに突っ込みそうになったり。やっぱりペーパードライバーの運転する車やバイクに同乗するもんじゃないな。高校の先生が言った通りだ。
そんなことはとりあえずさて置いて、水上ちゃんが乗り入れた駐車場に、佳織の家でよく見かける格好の奴らを見かけたときはおいおいマジかよと思ったけど……どうやらこの旅館が佳織と八色がいる場所みたいだ。
ただ……この今俺に対応している奴が俺のことを知らないみたいで、なかなか中に入ることができなかった。おっかしいな。俺のことはあそこの家のなかではまあまあの有名人だと思っていたのだけど。最近家行ってないから知らない奴も増えたのか?
「ったく……沼田の爺さんは? 中にいるのか?」
こいつじゃ話にならないし埒が明かない。こういう大事なときに沼田の爺さんが居合わせないってことは絶対にありえない。
「な、なんで沼田さんの名前を……」
「やっぱり来ましたか、随分と遅いご到着でしたね、小千谷様」
押し問答を繰り返しているうちに、騒ぎを聞きつけたのか、目にタコができるくらい見て来た爺さんの顔がポッと夜道に浮かんできた。
「あとは私に任せなさい。大丈夫、この男の言っていることは本当ですから」
爺さんの一声で、対応していた見回りは所定の配置に戻っていく。時折恨めし気に俺の顔を見てくるけど、いや待て、俺は嘘ついてないぞ。
「ってか、小千谷様って呼びかたやめてくれないかなあ。俺は沼田さんの雇い主じゃねえ」
「いえいえ。佳織お嬢様と親交のあるお方ですから。それにしても、本当にあなた様はいつも非常識な方法で押しかけて来ますね。初めて津久田邸の敷地内で小千谷様を見かけたときといい、今といい」
懐かしそうに昔を思い出す口調で爺さんはそう言いだす。
「……多少バカなほうが性に合っているもんで」
「それで、本日はどういったご用件でしょうか?」
「佳織に会いに来た」
目的はそれしかないので、端的にそう答える。いや、俺の前に座っている後輩はそうじゃないだろうけど。
「……ですが、今佳織お嬢様はお見合いの相手様と」
「爺さんが本気でそう思っているんだったら」
形式上の断りを入れようとした爺さんの言葉を切り、俺は言った。
「……わざわざあのちびっ子にお見合い相手が八色だってこと伝えないでしょ」
すると、爺さんはとぼけるような顔をして、
「はて? 何のことでしょうか? 浦佐様にはただ単に佳織お嬢様がお見合いをする、とだけ伝えたはずですのに。ああ、もしかしたら、私の独り言が聞こえていたのかもしれませんね、ほほほ」
……ったく、とことんまで食えない爺さんだ。
「いいのかよ、俺を止めなくて」
「……いいんですよ。旦那様は、佳織お嬢様が選んだ相手なら文句はおっしゃりません。それが、八色様でしょうが、乱入してきた幼馴染でしょうが。私は、その意向に従うまででございます」
……恩に着るぜ爺さんよ! 俺はそれを聞くと同時にヘルメットを水上ちゃんに押しつけて、旅館の入口へと駆け出していった。
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