第109話 ペーパードライバー
駅を出てすぐのところにあるパーキングエリアに俺を連れて行く水上ちゃん。もう夜も遅い時間なので、車道を行き交う車のヘッドライトやテールランプが溶けてほんの少しだけ視界に残る。
「……で、念のため聞いておくけど、バイクで箱根まで行くって認識でいいのかな?」
「……そうですよ? バイクなら遅く見積もっても二時間あればつきます。恐らく日を跨ぐ頃ぐらいには八色さんたちがいる旅館に到着できると思いますよ?」
そう言って、水上ちゃんは俺にヘルメットを差し出してかぶるよう促す。
「ちなみに、そのバイクは?」
「レンタルしました。……さすがにまだバイク自体を買うだけのお金はないので」
「へぇ……っていうことは、水上ちゃんペーパードライバーだったりする?」
「……免許取ってから運転するのはこれが初めてですね。東京の道って怖くてなかなか走らせることができないんですよ」
ひゅー。なんか背筋がブルっと来たけど大丈夫かな? 俺、最期の瞬間がバイトの後輩が運転するバイクだなんて嫌だよ? 死ぬならベッドの上で安らかに死にたい。
「……事故ったりしないよね?」
「どうでしょう。あまりにも八色さんのところに向かいたい気持ちが先走ったら、もしかしたら信号のひとつやふたつ無視しちゃうかもしれません」
「……二十の夜にそんな悪さをしないでくれ、俺はまだ死にたくねえ」
「……大丈夫です、万が一のことがあったら苦しまないで済むように、一瞬で逝けるように事故を起こしますから」
ほっっっんとに怖いくらいの笑顔で怖いこと言うねこの子は!
「……万が一が起きないように最善の努力をしてもらいたいです」
「当たり前じゃないですか。私だってまだ死ぬわけにはいきません」
……なんでただバイクに乗って箱根に行くだけなのにこんな会話をしないといけないのだろう。俺らはギャングか何かに追われてこれから逃げる途中なのか?
「それじゃあ、出発しましょうか」
水上ちゃんもヘルメットを装着し、ペーパードライバーらしく怪しげな手つきでバイクを走らせ始める。
「……ほんとに大丈夫かな……」
「小千谷さん、ちゃんとつかまって下さいね? 初めては八色さんのつもりでいましたが背に腹は代えられません」
前を向いたまま信号待ちのタイミングで彼女は俺に言う。
「……はいはい、わかりましたよ。あとで代金請求したりするなよ? 出すのはガソリン代だけだ」
まあ、ここで恥ずかしがって振り落とされるのはごめんなので、俺はほっそい水上ちゃんの体に両腕を伸ばしてしっかりと密着した。しかし本当に線細いな水上ちゃん。ちゃんと食べているのか不安になるレベルだよ。
ああ……でも、バイク乗るのって高校のときに友達に乗せてもらって以来だな……。やっぱり風を切るこの感触がたまらない……。
願わくば、これが最後の瞬間にならないことだけを祈り続けることにするよ。
〇
「……あ、あの津久田さん……。そろそろ起きないと、時間が……」
もう陽が沈み切った頃、僕は畳の上でうたた寝をしてしまっていた津久田さんの肩を揺らして彼女を起こそうとしていた。
なんでこんな状況になっているかって? 簡単だと思います。
今日津久田さんは海外から帰国してそのまま箱根に直行した。それだけでも疲労はかなりのものだ。さらに、時差ボケも残っていたようで、緊張の糸がプツンと切れてしまった津久田さんは僕とふたりになってから割とすぐにすやすやと寝始めてしまったんだ。
それで、今に至ります。時刻はもう夜の八時。
部屋自体は明日まで取っているってことらしいけど、別に泊まる理由もないし……。これがひとりだったら普通に温泉とか楽しむんだろうけど。そういう機会でもないし……。
帰りの手段が何になるのか知らないけど、電車で帰るならモタモタしていると終電も気にしないといけなくなる。
どれだけ肩を揺らしていても津久田さんは目覚めないので、仕方なく僕は部屋を出て外にいる執事の沼田さんに声を掛ける。
「あの……すみません」
「いかがしましたか? 八色様」
八色様って呼ばれるの慣れないなあ……。
「え、えっと……津久田さんがさっきから寝ちゃったままで……どうすれば起きますか……?」
僕がそう尋ねると、沼田さんはああという顔をして、うんうんと頷き始める。
「申し訳ございません、八色様。佳織お嬢様は一度お休みになられると滅多なことがない限りお目を覚まさないのです」
「め、滅多なことと言うと……」
「そうですね……宇宙人が来たとか、爆弾が降ってきたとか」
もうそれほぼ確実に何をやっても起きませんってことじゃないですか。意外とお茶目な一面もあるんですね沼田さん。
「ちなみに、佳織お嬢様はいつ頃お休みに……?」
「え、えっと……三時間くらい前ですね」
「なるほど……でしたらあと四時間程度は諦めたほうがいいかと」
よっ、四時間って……。そんなに待っていたら終電が……。
「大丈夫です。旦那様もおっしゃっていたように、部屋は明日まで取っております。帰りのことを気にする必要はございません。また、八色様もご自宅までお送りしてさしあげるよう言いつけられておりますので」
そ、それはありがたいですけど……そ、そういう問題じゃねえええええ。
とはさすがに言えないので「わ、わかりました……」とだけ言って僕は部屋に戻った。畳の上では相変わらずスヤスヤと眠っている津久田さん。
「つ、津久田さん……あの、そろそろ本当に起きてもらわないと一泊する羽目になっちゃいますよ……?」
「…………」
駄目だ、起きない。沼田さんの言うように、眠りがかなり深い体質なのだろう。
僕だけ帰るとそれはそれで角が立つだろうしな……一応これ、お見合いだし。ふたり一緒に帰らないと解決にはならない。……どうしたものか。まさか、こんな展開になるとは思わなかった。
頭を悩ませていると、「失礼致します」の声とともに、今度は沼田さんがこっちにやって来た。
「おひとりでは何かとお暇でしょう。よろしければ、この旅館の温泉に入られてはいかがでしょうか? お嬢様も起きられないでしょうし」
「……そ、そう、ですね……」
実際、暇は暇だった。言われるがままに、僕は頷き、仕方ないので温泉に入ることにした、のはいいのだけど。
温泉から戻って部屋に入ると。
そこには、さっきまであったテーブルを取っ払ってデンと効果音が鳴りそうな勢いで布団が隙間なく敷かれているではないか。
「……意外と策士だったりするのかな、沼田さん」
僕がその場に居合わせていたら絶対止めていた。
どんどんどんどん状況が悪化しているよ……。水上砲……怖いなあ……。
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