第108話 病んだ囁き
〇
「そいじゃ、お疲れさーん、また明日なー」
「お、お疲れ様です……」
「お疲れ様っす……」
困惑気味の井野ちゃんと浦佐と別れ、俺は都営新宿線のほうへとひとりで歩きだした。時刻は十時過ぎ。週末土曜日のこの時間帯、新宿から各地に出る電車は大概どこもそれなりに混みあっている。飲み会帰りの人が半分くらいを占めるんだと思う。
「とりあえず家帰ったら冷蔵庫にしまっている酒でも空けるか……」
赤ら顔の人がちらほらと見えるホームは、必然的に俺に酒という存在を思い知らせる。明日も出勤だけど、このテンションは飲まなきゃやってられんな……。
「しっかし……」
よりにもよってお見合いの相手が八色ですか……。一体どんな縁があのふたりにはあったんだ? あいつの実家、別に金持ちなわけじゃないって八色本人も言っていたし。
いや、いい。それを言い出したら俺だって同じだ。キリがない。
どうせ、俺と一緒で何か変なつながりでもあったんだろう。
滑り込んで来た銀色の車体に緑色のラインカラーが走った電車に乗り込んで、ちょうど空いた座席に座り半分目を閉じる。こうしていれば、うとうとしているうちに家に着く。
微睡む意識のなか、図ったように薄暗い視界にかれこれ長い間聞き続けた幼馴染の声がエコーがかって聞こえてくる。
「ねえこっちゃん、何呑気に寝てるのよ、早く迎えに来てよ」
うっさいなあ……バイト上がりなんだから少しはゆっくりさせてくれよ……。っていうか、当たり前な顔で俺の夢のなかにまで出てこないで欲しい。
「あっ、今『うるさいなあ』って思ったでしょ。こっちゃんの考えることなんて全部お見通しなんだからね?」
どうやって俺の思考を読んでいるんだよ、お前夢のなかにいるんだろ? っていうか完全に寝てはいないからもはや夢ですらない、声しか聞こえない環境なのにどうやって。
っていうか、こっちゃんこっちゃん呼ぶな。あまり俺そのあだ名好きじゃないんだよ。第一に男なのに「ちゃん」付け。第二にそれが災いして先頭に「こけしの」をつけられて一時期「こけしのこっちゃん」と呼ばれたこと。なぜこけしがついたのかは知らない。語感がよかったとかそれくらいの話なんだろうけどさ。
他の高校の同級生とかも「こっちゃん」っていう変なあだ名に乗じて「タイガー」とか「しましま」とか「しまむー」とか「こ」とか呼び始めるし。「タイガー」はともかくとして「しましま」は絶対イメージ引っ張られてるし「しまむー」はもはや別のあだ名。クラスに島村って名前の男子いたんだけどな。「こ」に至っては現代人特有の略しすぎだろ。了解の「り」じゃないんだから。
「こっちゃん」っていう変なあだ名もそうだしつるむようになった小学生の頃から暇さえあれば俺の行く先々について来るし。おかげでこれまで彼女ができたことなど皆無だ。
無駄に庶民くさいところあるし、無駄に好奇心は旺盛だし、無駄に「こっちゃんこっちゃん」うるさいし、佳織のウザいところは数を上げれば無限に並べることができる。
料理はくそ下手くそだしそのくせ残すと農家の子供かってくらい怒るし、たまの休日に家でゴロゴロしてると「こーっーちゃーん、あっそびまーしょ」って昭和の定番かよと言いたくなるトーンで俺の家に来るし。佳織が社会人になってからはそんなガキくさいことはしなくなったけど、今でも寸暇を惜しんで俺と関わりを持とうとする。
俺が傘を忘れて校門前で呆然と土砂降りを見つめているとニコニコしつつ「はいこっちゃん傘」って言って折り畳み差し出すし。
高二まで赤点スレスレだった俺の勉強を頼んでもいないのに教えて補習を回避させるし。
これだけ散々俺に構って……それで今度はお見合いで結婚しそう?
結局そういうオチに収まるんだったら俺の学生時代返してもらっていいですかね? 佳織のせいで一切合切JKやJDとイチャイチャすることができなかったんだよ? 俺は。「ほら、小千谷君って津久田さんいるし?」でなんか相手にされなかったんだよ? 俺は。
しかも、その相手がよりにもよってバイトの後輩の八色と来たよ。
これがさ、見知らぬ赤の他人だったらまだよかったかもしれない。「ああそう、末永くお幸せに」の一言でも言えただろうよ。
八色って。
いや、あいつはいい奴よ? キャラが濃いメンバーが集まるあの店でツッコミを捌ききるのはなかなかできることじゃない。仕事もできるし、態度も柔らかい。頭もよく回る。
……でもな、言いがかりだけどさ、ぶっちゃけ、あいつが佳織とくっつくと思うとなんかムカつく。
お前は佳織が怒ったときにうまくいなせるのか? 佳織がキレるとなかなか収拾つけるのは大変だぞ?
お前は佳織が悲しんでいるときにどうにかできるのか? 落ち込むと下げ幅でかいから面倒だぞ?
お前が思うより、佳織は感情の上げ下げの幅が広いから、扱うのは大変だぞ? それこそ、取扱説明書を熟読しないと暴発しそうになるくらいには。
結構落ち着いているという意味でクールな一面もある八色と、佳織は噛みあうのか? ほんとうに、噛みあうのか──?
「──こっちゃん、こっちゃん、駅。駅着いてるよ、こっちゃん」
「──はっ」
俺は慌てて目をパチリと開けて、ドアに映るホームの光景を見て確信する。
やべ、最寄り駅着いている。降りないとっ。
閉まりかけのドアをねじ込むように下車する。さながら駆け降り下車だ。
そんな体勢で降りたものだから、ホームに両手両膝をつく形になってしまった。
「……散々振り回しておいて、そのオチはねーだろ……」
はははと乾いた笑いをあげつつ、俺は絞り出すように呟いた。すると、
「……ようやく来ましたね。小千谷さん……」
見下ろすように、ひとりの女性が俺の目の前に現れた。
「……なんで、ここに……」
彼女は、本来ここにいるはずなんてないのに。
「……私もなかなか我慢が効かない性格みたいで。八色さんが他の女性と過ごしていると思うとイライラしちゃうんですね?」
水上ちゃんがいるんだよ……?
「お、おう。それがどうかしたのか?」
無に近い表情で話す彼女を内心ドン引きしつつ、俺は続きを促す。
「なので、邪魔をすることにしました」
水上ちゃんも水上ちゃんで素でとんでもないこと言いだすな……。
「でも、どうやって。佳織と八色がどこにいるかなんて俺らにはわからないだろ」
「……わかりますよ? 私には」
「……は? な、なんで」
「ふふふ……企業秘密です」
……や、八色も八色で大変そうな女の子に懐かれたよな……。危険度で言えば水上ちゃんのほうが高いかもしれない。
「けど、私ではおふたりがいる場所に行くことができても、おふたりの邪魔をすることはできません。……津久田さんと関わりのある、小千谷さんがいないと」
そう言った水上ちゃんは、怖いくらいに綺麗な笑みを浮かべながら、デニムのポケットにしまっていた何かの鍵を意味ありげにゆらゆらと振った。
「大学受かってからの期間で二輪の免許を取っておいて正解でした……。行きますよね? 小千谷さん。私は八色さん、小千谷さんは津久田さんを。利害は一致していますよ?」
……どうやら、酒は飲めない一日になりそうだな、こりゃ。
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