第106話 ワンナイトアバンチュール
「津久田さんのお父さんはもう成婚させる気満々みたいだって執事のおじさん言ってたっすよ? 二十四歳と二十二歳で結婚って、かなり若いっすよねー。少子化に歯止めがかかりそうっすー」
……浦佐さん、それ絶対その沼田さんか誰かに吹き込まれた台詞だよね? 顔は笑っているけど目は引きつっているよ? 自分の言葉じゃないよね?
「あー、でもおぢさんからしたら長年の幼馴染がぽっと出の太地センパイに寝取られたような感覚かもしれないっすねーあはははー」
……棒演技にもほどがあるよ。もう少し誤魔化す努力というか、これじゃあ小千谷さん気づいちゃ……。
「佳織と八色が結婚、そのうち新年の年賀状に子供が一緒に映った写真を載っけたのを俺んところに送って、俺は八色を義弟的に扱わないといけなくなる……」
気づかなさそうですね。完全に頭真っ白になっています。
浦佐さんもどこに用意していたのか、私の肩をちょんちょんと叩いてから「円ちゃんもおぢさんのこと煽るっす」と書かれたメモ用紙を顔の前にこっそり掲げます。
ええ……煽るって言ったって……。そもそもまだ営業時間中だし、そう簡単に言われても……。あまり小千谷さんをいじめ過ぎちゃうと割を食うのは私だし……。うーん。
「え、えっと……や、八色さん、結婚したら子供は四人欲しいとか言ってた気がしますよ……? だ、だとするならこの年齢の結婚もあり得るんじゃないかなあって」
「よ、四人だと……?」
「……円ちゃん、それほんとっすか」
あ、浦佐さんにまで誤解を招いちゃったかもしれません。……す、すみません八色さん、別に悪気があるわけじゃ……。
「で、でも佳織の家の経済状況からすれば四人産んでもおかしくない……いやいやいや待て待て何慌ててるんだ俺、別に喜ばしいことじゃないか」
私が放った軽い一撃は小千谷さんにとっては急所に当たったようで、さっきよりますます表情がおかしなことになってます。
言うならば、会心の当たりを打ったはずなのに、残念そこは○○みたいな要領のファインプレーでヒットをアウトにされたときの苦笑いみたいな。最近、ちょくちょく野球も見るようになったんです。お父さんが有料のスポーツ配信のプラットフォームを契約しているので。漫画描きながらスマホで試合を見るのが何気にいい感じだったり。
「そ、それに少女漫画とかだと幼馴染ポジションって大抵負けヒロインキャラになりますし」
「俺は少女漫画はアニメ化したものしか見ねえけど大抵幼馴染って不遇な扱い受けてるな……」
「沼田さんが言うには、何も起きなければ、今日はふたり同室で一夜を明かすはずだとも言ってたっすよー」
「わ、ワンナイトアバンチュール……」
英語なのかフランス語なのかどちらかに絞ったほうがいいと思います小千谷さん……。でも、言い得て妙かもしれませんね。「一夜の過ち」とでも訳すべきでしょうか。
……まあ、八色さんにも津久田さんにもその気がないのは聞いているので、その過ちは絶対に起きないんでしょうけど。……起きてたら私も泣く自信があります。
「いやいやいやいや、あの八色に限ってそんな……ねえ? 女子高生と女子大生に囲まれた職場で何もしないあの八色がねえ? 隠れ巨乳にちびっ子に行動が重たい綺麗系とバリエーション豊かなのに」
「それ言ったらおぢさんもそうだと思うっすけど。あと、ちびっ子ってどういうことっすか」
「たっ、確かに。実は俺ってまともなのでは? ……事実を言ったまでだよ浦佐」
「まともじゃなくて当たり前っすよ……。むきー、見てるっすよ、五年後にはおぢさんのこと物理的に見下してやるっすからねー」
「……いや、津久田さんがそれなりの頻度でお店を監視しに来てたのでそんな暇なかったと思います……あと、浦佐さん、五年で身長何センチ伸ばすつもりなの……? 四十センチ以上はあるよね……?」
「それもそうだなっ、井野ちゃん」
「円ちゃん、それを言ったら夢も希望もなくなるっすよ」
もう小千谷さんの発言がめちゃくちゃです……。壊れかけのオディアみたいになってます。あと浦佐さんも自傷が過ぎてもう会話が着地しないままふわふわ浮遊してます。収拾がつきません。
……こういうとき、ビシッと会話を締めてくれるツッコミ役の人がいれば……。土台私には無理な注文だとはわかっているんですけど……。
と、とりあえず早く今日の営業時間終わらないかな……。これじゃあ仕事にならないよう……。週明け、きっと仕事が進んでないから八色さんに怒られるんだろうなあ……。
〇
……一体どうしてこうなった。どうして畳の部屋に敷かれた二組の布団の隣に津久田さんがいるんだ。どうして僕はここの旅館で一夜を明かすことになったんだ。
なんで……家に帰れなかったんだ? 僕は?
一口にお見合いと言っても色々あると思う。いわゆる婚活の延長線上にあるようなお見合いと、今回のようなお見合い。前者だったら服装もある程度カジュアルなものに収まったのだろうけど、今日のお見合いは完全に対極のフォーマルだ。
就活以来にスーツを着たし、夏とは言えネクタイまで締めた。……締めさせられた。クールビズはこのお見合いには存在しないようです。代わりにめちゃくちゃ旅館はクーラー効いてたから快適だったけど。
津久田さんも聞くに成田空港から直接箱根の会場入りしたみたいで、僕からのラインは見ていなかったようだ。部屋に入って僕の顔を見つけるなり驚愕に満ちた顔をしていた。
「な、なんでここに八色君が?」
同様にスーツに袖を通していた津久田さんは、カチコチに体を硬直させてしまう。……まあ、そうですよね、お見合いですって言われていざ相手が知り合いだったときの気まずさですよね。しかもその知り合い、他の男性に気があること知っているし。
「なんだ佳織、もう彼とは知り合いだったのか」
津久田佳織さんに続けて入ってきた恰幅のいい初老の男性は、そんな反応を示した彼女を見て目を丸くさせる。
「おっ、お父さん、どうして彼が候補のなかにあったのよ」
あ、お父さんですか。そうですか。
……ちなみに、強心臓の僕の母親はこんな状況下でも平然とした面持ちで僕の隣に腰を据えて、津久田親子の様子を窺っている。
「ど、どうしても何も、彼が例の山梨支社の部長の息子さんだからだよ。佳織が選んだんだぞ?」
「そっ、それはっ……そうだけど……」
まさか僕やお父さんの前でババ抜きで決めましたとは言いだせないのだろう。憮然とした顔つきで津久田さんは僕の正面に正座して位置につき、お父さんもそれに続いた。
「こほん、失礼しました。今回はわざわざ遠いところに来ていただいて、ご足労感謝申し上げます。父の
「いえいえこちらこそ、夫がお世話になっております。太地の母の、
と、まあお見合いとしては定番の娘の父、息子の母のご対面も済ませる。僕はそうでもないのだけど、津久田さんが居心地悪そうに視線をそっぽに向けている。
……と、とりあえずうまいこといなさないと。さもないとここにいる全員の首が水上砲によって飛んでしまう。ぷ、プレッシャーだ……。
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