第105話 マドカ in グ腐腐ーワールド

 〇


 そして、八色さんと津久田さんがお見合いをする土曜日がやって来ました。この日のシフトは、私と、小千谷さんと、八色さんの代わりに出ることになった浦佐さんです。


 小千谷さんは今日がお見合いの日とわかっているはずなのに、夕礼からどこかのほほんとしています。……むしろ、悩みが晴れてせいせいしているような雰囲気すら窺えます。


「……あ、あの小千谷さん……」

 なので、休憩後一緒に入ったカウンターで私は意を決して尋ねようとしました。

「ん? どっかした? 井野ちゃん。今度は八色の何をお求めで? 風呂入って体を洗う順番? 寝つきやすい体勢? シャツのボタンを上から閉めるか上から閉めるかの癖?」


「いっ、いえっ……べ、別にそういうことじゃなくて……」


 というかどうしてそれを小千谷さんが把握しているのでしょうか……? はっ、ま、まさか八色さんと小千谷さん、男性同士で一緒にお風呂に入ったことがあるとか? 


「……なあ、タイチ、タイチの大事なところ、元気がないじゃないか、どうしたんだ……?」「ちょっ、どっ、どこ触って……いる……んですか……オヂ……ヤさん」「おいおい、今はオヂヤさんじゃなくて、コタロウさん、だろ……?」「うっ、はぉ……」「ほら見ろ、すぐに元気になってきた。待ってな、今楽にしてあげるからな」「くっ、苦しくさせたのあなたじゃないですか……」「おいおい、こんなときでもツッコミは健在だな──

 ──とかなんとかやってたり……はぅぅぅ……」


「……い、井野ちゃん。俺と八色で妄想するのは自由だけど、自分のなかに留めてくれないか? さすがに……俺も八色との生々しい絡みを聞かされるのはしんどいものがある……はい、これティッシュ。鼻血出てるよ」

「ひゃっ、ひゃぅん……す、ずみまぜん、私ったらづい……」


 し、仕事中なのにまた鼻血出しちゃいました……。ぅぅ……。で、でも、小千谷さんの多少強引な責めで八色さんが悶える表情を想像するだけで……、

「そ、そそっちゃいますよね……」

「……だ、だから井野ちゃん? 落ち着こうか? 俺あまりツッコミに回りたくないんだけど」


 ちょっと体がキュウと火照るような感覚に陥りますが、ひとまず我に返ります。いけないいけない。「こた×たい」の妄想は家に帰ってからしっかり原稿に収めるとして……今はもっと大事なことを聞かないと。


「……円ちゃん、さすがにその妄想を口にするのはマズいっすよ」

 気を取り直して本題に移ろうとすると、ソフトの加工場からソフトの買取分を回収しに来ていた浦佐さんが、今までにないくらいのジットリとした重たい視線を私に向けていました。


「ひぃん、ちっ、ちがうの浦佐さん、こっ、これは……」

「……ま、まあ円ちゃんのストライクゾーンは自由っすから。好きなように妄想して好きなように致せばいいと思うっすよ……好きなように」


 そそくさと小さい身体いっぱいに抱え込むように買い取ったゲームソフトやDVDを自分の持ち場に持っていこうとする浦佐さん。

「……い、致すって、井野ちゃん、まさか今の妄想で……?」

「ちちちち違いますそんなはしたないことでするはずないですっ」

 もう何がなんだかわからなくなってしまった私は、ブンブンと腕を適当に振り回して誤魔化そうとしますが、


「……いや、そんなエロシーンのアフレコして絶頂するエロゲ声優が出てくる漫画じゃないんだからさ……自宅でって意味だったんだけど……」

 どうやらまた墓穴を掘ってしまったみたいです。こ、これじゃあ自宅ではしているというニュアンスを与えてもおかしくありません。……に、二週間に一回とか、それくらいですよ……? それくらい……。


「……っていうかおぢさん、どんな漫画読んでるんすか。意外とオタクだったりするんすかおぢさんって」

「知るか。エロが絡むものは二次元だろうが三次元だろうが健全な男だったら見てしまうものなんだよ。オタクであるかどうか関係なくな」


「……そこで偉そうに語られてもっすよね……さ、仕事戻るっすー」

「ひぅん……」

「い、井野ちゃん、一回バック下がって顔洗って来な。顔真っ赤になってるし鼻血がえげつないことになってる」


「ば、バック……そ、そんな……やっぱり支配してるって感覚が──」

「俺にノータイムでツッコミをさせるような発言をするな井野ちゃん。お客さんの前で失言する前に、早く行け」


 小千谷さんに急き立てられて私はバックヤードのお手洗いに駆け込んで顔をぱちゃぱちゃと洗います。ついでに垂れ流しになっていた鼻血もしっかりとティッシュで押さえて止血を済ませ五分ほどで私は売り場に戻りました。


「もっ、戻りました。も、もう大丈夫です……」

「おう……なんで俺がこんな役回りをしなきゃならんのよ……八色おお、お前今日明日出勤のはずだったのにどうして代わりに浦佐が来てるんだよおお……」

 小千谷さんは加工台の上で両手をあごに合わせてうなだれています。


「……あれ? おぢさん聞いてないんすか? 太地センパイがお休みの理由」

 その嘆きを聞いた浦佐さんが遠くの加工スペースからひょこりと首だけこちらに近づけて声を掛けました。

 ……ま、待って。浦佐さんもしかして──


「ん? なんだ浦佐事情を知っているのか?」

「そうっすよ。太地センパイなら今頃箱根で津久田さんとおみ──」

「だ、だめええええ」


 浦佐さんがお見合いの「おみ」まで言いかけたところで私は強引に話の腰を折ります。折るどころか、物凄い勢いで真っぷたつに割った気もしますが。


 ……お見合いの件は誰にも言わないようにって八色さんにお願いされています。これも浦佐さん経由ってことになるんで、私が怒られる筋合いはないのでしょうが、何かすれ違いが起きたとき、私の粗相が不特定多数の人にばらされてしまいます。それは避けたいです……!


「? どうしたんすか円ちゃん? そんなにセンパイがお見合いに行っていること隠したいんすか?」

 浦佐さんは何のことやら、といった顔のまま平然とそう口にしました。


 それを聞いた小千谷さんは、ポカンと口を半開きにして呆然としています。

「……はい? 八色が? 佳織のお見合いの相手……?」


「やっぱり知らなかったんすね、おぢさん。自分はそれで今日と明日太地センパイの代わりに出勤することになったっすよ。沼田さんっていう津久田さんの執事さんに頼まれて」


「ぬ、沼田の爺さんも一枚噛んでいるのかよ……へ、へえ、そうなんだ。ま、まあいいんじゃないか? 八色は基本真面目だし、浮気はしなさそうだし。佳織の親父も気に入りそうな性格だしな、あ、ああ」


 ……わ、私は何も喋ってないです、喋ったのは浦佐さんです。浦佐さんです。そのことだけは八色さんに強調しておかないと……。

 誘い受けって八色さんやお母さんに言われた節もありますけど、恥ずかしいことをばらされてなんとも思わないほどMではありません。


 で、でも……お、小千谷さん……どうするんだろう……。

 なんか顔色が急に悪くなった気がしますけど。

 や、ややこしいことに、なったりしませんよ、ね……?

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