第103話 データ通信量は計画的に

 水上さんがいつの間にか僕の母親と仲良くなった朝。僕はおっかなびっくりしつつテーブルの上に置かれているサンドイッチを手に取った。

「……す、睡眠薬とか混ざってないよね……?」


 もしくは、マムシとかスッポンとか……精のつくようなもの。色々な意味でまずいことになるから。今母親いるから。

「匂いは……そんな変じゃない……か」


 夏なんだから横着せずに冷蔵庫に置いてくれよとも思いつつ腐っていないかの確認も込めて僕はサンドイッチの匂いを嗅ぐ。特に変わった感じはしない……。

 食べないとそれはそれで角が立つし……。どうせ今日のバイトで感想を求められるだろうし……。


「食べる……か。いただきます」

 僕は三角形に綺麗に象られた見た目はごく普通のサンドイッチを一口食べた。

「……あれ……? 普通に美味しい……ぞ?」

 この間のおにぎりみたいに塩と砂糖を間違えたなんてことにはならなかった……。


「──んん? ぶっ、ケホッ、ケホッ……」

 なんて一安心したとき。サンドイッチの中心に何か入っていたようで、とてもサンドイッチに似つかわしくない激辛な味が途端口のなかに広がり始めた。


「お、お茶っ、お茶っ……」

 右手にサンドイッチを掴んだまま僕は慌てて台所の冷蔵庫から、お家で作るキンキンに冷やした麦茶をコップに注ぐ。


「ふぅ……なんとか落ち着いた……」

 一気に琥珀色の液体を飲み干して、口のなかを消火。


「……何が入っているの? このサンドイッチ」

 あと、この間のおにぎりといい、実は水上さんって料理下手? わざととかじゃなくて。


 僕はぐるっと一口分欠けたそれを見渡すと、何やら黄色いものがちょうど中心部分にあるのを確認した。

「……からし? マスタード?」


 ……激辛だったことを踏まえればそのふたつが妥当だろうか。開いたままの冷蔵庫を見下ろして、チューブのからしの隣に置いてあるマヨネーズのボトルに目を移す。

「いやいやいや、さすがにマヨネーズとからしを間違えるなんてミス……ないよね?」


 だとするならドジっ子が過ぎるぞ水上さん。

「もしかしたら、水上さんは大のからし好きで、大容量のからしを持っていてそれと間違えた……いやそんなまさか」


 なら……わざと? それとも、水上家にはサンドイッチにからしを混ぜる文化があるのか……? ご飯にマヨネーズみたいな?

「……からしマヨネーズとからしを間違えた? それならまだ……ありそう」


 辛いほう辛いほうって意識しすぎてからしを入れてしまったって言うならまだ……百歩譲って理解はできる。

「とにかく……今度機会があったら水上さんが料理するところ見てみたい、気もする……」


 とりあえず、残すのも悪いし、なかにからしが入っているとわかればそれほど怖くはないので、残ったサンドイッチを食べきってから、僕はひとまず寝汗をシャワーで流すことにした。


 その日の出勤、いつも通りの時間にスタッフルームに入ると水上さんが珍しくスマホではなくノートパソコンとポケットWi-Fiを机に置いて何やらカチャカチャといじっていた。


「お、お疲れ様……な、何しているの、水上さん? レポートとかはもう終わったんだよね……?」

 水上さんは一瞬だけこちらを振り向いて微笑を浮かべると、すぐにパソコンに向かい直してカチカチとウィンドウを閉じた。

 今何か隠したな……。


「いえ、ちょっとデータの管理を。急に通信量が増えちゃったので色々やってたんです……」

 まさか本当に津久田グループのネットに侵入して情報抜きだそうとかしてないよね? あれかな? 何年か前にドラマやってた血の月曜日的なハッカーとかじゃないよね?


「へ、へー……そうなんだー」

 あと、具体的な答えになっていないし。何、データの管理って。携帯プレーヤーに同期する音楽のデータとか?


「……今日から映像も入るようになったので、音声データの流入を少し削らないと……パソコンの処理が追いつかなくなっちゃう……」

 何かブツブツ呟いているけどいいや。気にしないでおこう。とりあえず着替え着替えっと……。


 パパっと私服から制服に着替え、水上さんの対面に座って僕も時間を潰す。そうしている間に、今日出勤する残りの井野さんもやって来た。

「お、お疲れ様で……しゅ」


 噛んだ。登場早々に噛んだよ井野さん。僕のこと見るなり早速だよ。気まずそうに首をすくめてそそくさとロッカーのほうに向かう。心なしか、Yシャツの胸の部分を両手で隠して歩いていたような気も……。


 まあ、僕は見えてないよって言っていても(本当はばっちり見えたわけだけど。薄桃色の部分までくっきりと)、当の本人は映してしまったっていう自覚はあるだろうからそういう反応になるのも無理はないというか。


 水上さんも井野さんのそのリアクションを見て少し首を捻る。

「……何かあったんですか? 井野さんと」

「いや? 何も?」


 まさか電波経由で胸を見ちゃいましたとか言ってみろ。ラインで自撮りの写真が送られてくるぞ。何のとは言わないけど。

「……そうですか」


 ため息とともにノートパソコンをそっと閉じて、水上さんはそれをロッカーにしまう。これ以上人数がいるところでパソコン作業をするつもりはないようだ。

 井野さんも制服に着替えて、僕と水上さんの間、三角形の頂点に位置するような形で椅子に座る。キョロキョロと落ち着きなく周りを見て、彼女はようやくスマホを片手に恐らく漫画を読み始めた。


「……そういえば、お見合いっていつなんですか? 八色さん」

 それを確認してから、水上さんはゆっくりと、さらにたっぷり吐息を含むような言いかたで僕にそう尋ねた。


「ひ、ひぃん。ちちちち、違うんです八色さん、私、お見合いのことは本当に誰にも言ってないんです、ですからあのことは誰にも……」

 ……ああ、そうだね、井野さん的にはそういう反応になるよね。


「大丈夫……水上さんが知っているのは僕の母親が話したからだから」

「……そ、そうですか……よ、よかったです……」

 井野さんは安心したように胸を撫で下ろす。


「えっと……次の休みの日って話らしいけど……場所までは知らされてない」

 母親曰く、当日までのお楽しみらしい。……津久田グループの社長のひとり娘のお見合いですものね。さぞ生半可な場所じゃ済まされないでしょうね。ははは……。


「そうなんですね……」

「そっ、そのっ、受ける気はないんですよね? 八色さん……」

 今度は不安そうに井野さんが僕に聞く。助けを求める子犬のような眼差しだ。これは。


「……津久田さんは小千谷さんのことが好きなんだから、受けるわけないよ。受けたところでいいことなんて両方にないし」

 フラグとかじゃなく。マジで。でないと水上さんに刺される。

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