第101話 交換条件

「あら、結構綺麗にしているのね。もっとごちゃごちゃしているものだと思ってたわ」

 駅近くにあるラーメン屋に入って夜ご飯を済ませた。こういうときラーメン屋で済むのがある意味楽といえば楽。本音だだ漏れですが。美穂をはじめ、他の女性陣をラーメン屋に連れて行く度胸はない。……いや、浦佐はそもそも食べ盛りだから気にしないかもしれないし、井野さんも店員がいい感じの人だったら喜んで行くかも。水上さんは……僕が行くならって感じで無条件について来そうだし。


 狭いワンルームの家に帰るなり、母親が口にしたのはその一言だった。母親らしく水回り、部屋の隅から隅を覗き込むように確認して、

「太地、あなた結構しっかりひとり暮らししているのね。乱れたセイカツしているのかと思ってたわ」

「……母さんの頭のなかで男子大学生はどんな生活を過ごすものだと思っているの」


「え? アルコール、ドラッグ、セックス?」

「それ大学生じゃなくてどっちかって言うとロックの界隈で飛ぶ言葉じゃないの? 今はどうか知らないけど」

 あと、乱れた生活の生、ってもしかして性のほうだったりします?


「だって、ねえ……お父さんがそんな感じだったし」

「だから親父どんな生活大学時代に過ごしてたんだよ」

「私なんか三番目四番目くらいの女だったわよ」

「よくそれで結婚まで持ち込んだねお母さん」


 その図太さには感服しかしませんよ。僕なら嫌だよ? 他の男とも普通にやってる女性なんて。今はよくてもそれからが怖いからね?


「……まあ、結婚するときに浮気したらすぐ離婚して徹底的に養育費請求するからねって包丁持ちながら笑顔で言ったのが効いていると思うわ。今もお父さん、私が包丁持つのを見るとちょっと怯えているし」


 ……ねえ、美穂がちょっと重たいのって母親譲りだったりします? 色々今回の母親上京で知りたくない一面がどんどん明かされているよ? 八色家実は綱渡りで生活していたんですね、日常って素晴らしいね、はい。


「あーあ、でもちょっと疲れたなー。お風呂入ったらもう寝ちゃいそう。あれ? ここの家ってもう一組布団あったんだっけ?」

「いや……ないけど」

「あら? そうだったの? じゃあ美穂いたときはどうやって?」


「……美穂がどうしても僕と一緒に寝るって言って聞かないからベッドにふたりで」

「ほんとにまだお兄ちゃんにべったりなのねえ……あの子は。太地が高校卒業するときとか毎日ひどかったものね」

「……それはもう忘れようか母さん」

 本当にひどかったから。


「そういえば、内定先の企業って都内なのよね?」

「そうだけど、それがどうかしたの?」

「……いやね? 美穂が東京の高校行きたいって言いだしていて」

 お母さんはベッドに腰かけてため息をつきつつそう言った。どこか悩まし気な様子だ。


「はい? ほんとに?」

「まあ、理由はどうせ太地と一緒に住みたいからなんだろうけど……。別にお金はどうとでもできるのよ? お父さんに稼いでもらうから。ただ……お父さんが猛反対でね……」

 美穂が行きたい理由なら親父が止める理由もだ。ブラコンとドタコンが両極からぶつかってカオスになっている。


「……いや……まあ、母さんたちがいいって言うんだったら別に僕は構わないけど……転勤とかもない、はずだし」

「飛ばされなければ?」

「……入社前から出向に怯えないといけないなんて世知辛い世の中ですね」

「現実は思っている以上に曇っているわよ太地」

 ……アドバイスありがとうございます。


「太地がいいんだったら……最悪どうにかは、なる……か。わかったわ。私が予想するに、美穂もお父さんも双方折れずに喧嘩して美穂が東京行くか、お父さんが泣く泣く美穂を太地に預けるの二択だろうからよろしくね」

「どう転がっても美穂はこっちに来るんですね……」


「だって、この間の上京も凄かったのよ? 行かせてくれないんだったら自転車に乗って自力で東京行くって言いだすし。美穂ならやりかねないでしょ?」

「……そうですね」

「ま、美穂もまかり間違って太地の子供妊娠しなければもうなんでもいいって思ってはいるのよ。そうなったら私は太地と親子の縁を切るつもりでいるからそのつもりでね」


「僕もそうなったら頭丸めて坊主になるんで……あ、お風呂沸いたから先入っていいよ……。僕は寝袋で寝るから、ベッドは自由に使ってください……」

「あら、いいの? 助かるわあ、じゃあお風呂頂いちゃいまーす」


 浴室からメロディが鳴り終わる頃に母親はベッドから立ち上がって、スーツケースにしまっていた着替えを抱えて脱衣所兼台所へと向かっていった。


 その間、僕は然るべき根回しをすべく、スマホに手をかけてある人に電話をかけ始めた。

 数コールの間を置いてから、電話の相手は応答してくれたのだけど、


「もっ、もひもひっ、どどどどうされましたか八色さん……」

 ちゃぽんとお湯を叩くような音を背景に井野さんの少し慌てた声が耳に入った。

 ……井野さんもお風呂中だったか。


「ご、ごめん、今まずかった?」

「いっ、いえっじぇんじぇん……。漫画読んでただけなんで」

 ……勉強熱心なのか、それとも単にグ腐腐してただけなのかは聞かないでおくよ。


「そ、それで……何の用でしょうか」

 再度軽い音とともに、井野さんは僕に尋ねる。浴槽のなかで体勢を直したかな。

「え、えっと……今日僕の母親から聞いた……津久田さんとのお見合いの件なんだけど」

「ひゃ、ひゃい」

「……誰にも言わないでもらえるかな」


 重々しく言った僕の言葉は、井野さんの家のお風呂場にしばらくの間反響し続けていた。……大丈夫? あのご両親に聞かれてないよね? お風呂場の話し声ってかなり響くから。


「そ、それだけ……ですか?」

「それだけ。それだけでいいから絶対誰にも話さないで。この間の、なんでも言うこと聞かせてもらえるの権利をここで使わせてもらうから」

「え、えっと、それくらいだったら別にわざわざその約束使わなくても私喋りませんよ……?」


「念には念を入れたいんだ。だから、もし井野さんがそれを誰かにもらしたら、井野さんがおもらししたことも僕の口からもれるからね」

「ひ、ひぃん、わ、わかりました……だっ、誰にも言いませんので……そ、それだけはお願いします……ぅぅ……」

「ならいいんだ。話はそれだけ。ごめんね、ゆっくりしているときに。それじゃあ、おやすみ──」


 お風呂中とのことだし、用件が済んだら早く切ってしまおう、そう思い僕はスピーカーから耳を離し、スマホの画面をばっちり直視できる位置に持ってきた。すると、

「あっ、あのっ──き、きゃっ、ひゃいっ……」


 今度は激しくお湯を叩く音が騒がしく鳴り響いた。井野さんの悲鳴とともに、黒い画面が映し出されていたはずの僕のスマホには……。

「ひゃ、ひゃぅ、す、すみません今すぐ切りますこんなお見苦しいものすみませんんん」


 ビデオ通話に一瞬だけ切り替わったことにより、湯船に座っている井野さんの一糸纏わぬ姿が電波に乗ってやってきてしまった。……上は桜色の突起まではっきり見えました。

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