第97話 父娘が父娘なら母も母
夕礼前の休憩のタイミング。小千谷さんはスタッフルームに設置されている自販機で缶コーヒーを、僕は果肉が混ざったオレンジジュースを買って一服する。あ、僕も小千谷さんも煙草は吸わないよ。喫煙室はあるんだけど。夜番では誰も吸わない。まあ、当たり前か。朝で何人か吸う人はいるんだけどね。
「お、今回のサッカーくじなかなか荒れそうだな……重めに買ってもいいかもな」
小千谷さんはいつも通りスマホでギャンブルとスポーツに関するニュースを読んでいるし、先に入っていた井野さんもなんか気味悪い声を漏らしながらアプリで漫画を読んでいる。
「……お疲れ様です……」
すると、そんなタイミングで疲れ切った顔をした水上さんがお店に入ってきた。
「あらあ水上さん、お疲れ様―。テスト? 物凄く顔色がやつれているわよお」
スタッフルームにあるパソコンでデスクワークをしていた宮内さんは、彼女の姿を見つけるなり甲高い声で話しかける。
「……は、はい……語学のテストと、明日提出の三千字のレポートを二本徹夜で書いていたので……」
……おう、よく三千字のレポートを二本一夜で仕上げたな。参考文献とかけっこう必要になるような分量だぞ。
「あらあら、言ってくれたら今日のシフトも空けたのよ? それでも三人いるから、どうにかなったのに」
「いっ、いえ。それに、これで全部終わったので、なんてことないです。来週から夏休みなので、シフトも今まで通り週四で入れます」
「そう? こっちとしてはありがたいけど、あまり働きすぎるのもあれだしねえ。太地クンは異常だから、真似しちゃダメよ?」
「なんでいきなり流れ弾が僕に飛ぶんですか」
全く話に関係なかったですよね僕。言いがかりにもほどがありますよ。
「だってねえ。いくらお金が必要だって言っても、卒論がない大学四年生が週五でバイトに入るってなかなかに変人だと思うわよ? ねえ、虎太郎クン?」
「まあ、それはそうですねー。しかも夏なんて遊び呆ける最後のチャンスだし。海でも山でもフェスでも行きまくる」
変人の皆さんに変人って言われた……。辛い。
「といっても、水上さんは四月入社だから十月にならないと有給入らないのよねえ。あ、そうそう、井野さんも有給使わないと、気がついたら最初のうちに溜めた有給消えちゃうから、覚えているうちに取ったほうがいいわよお」
「ひゃ、ひゃい……あ、ありがとうごじゃいます……」
さてはちょっと過激なシーンでも読んでいたな。返事が噛み噛みだ。
「あら、もしかしてまたいい漫画見つけたの? 後でラインに共有しておいてくれないかしら井野さん。ワタシも読むわ」
……BL連絡網発動―。まあそこはお好きにしてください。
それより。
水上さんのテストとレポートが全部終わった……ということは。
これから再び通常運転に戻る、ということだ。よりにもよってこのタイミングでか。間が悪いというか、良いというか。
「……これで、また普段通りの生活ができます……」
ねえ、なんでそれ僕のほうを向いて言ったの? ねえ、それどういう意味かなあ。どういう意味かなあ。
なんか、なんて言うかなあ、部活モノでもなんでもいいんだけど、なんかの勝負事で無事にやり過ごしたときの「やりました……私」みたいに表面は困り笑いなんだけど内面は満面の笑みみたいな表情なんだよ。何言っているの僕。恐怖のあまりおかしくなったか?
あ、そうだ、はにかむだ、この単語が一番しっくりくる。
「そういえば八色さん。……妹さんはどうされたんですか?」
「み、美穂? 美穂ならもう実家に帰ったけど……」
「……そうですか。……これでもう、お邪魔虫はいなくなりましたね……」
おーい、微かにだけど聞こえているよー。心の声漏れているよー。
「……だったら、今度はあれが……こうで……それで……」
もういいや。聞かなかったことにしておこう。とりあえず、母親来るまでの間だけ、寝るときには玄関にドアチェーンかけておこう。この間みたいに不法侵入されたらたまったものじゃない。
「じゃあ、そろそろ夕礼の時間だし、準備しちゃいましょうかー。そろそろセールの時期だし、気張っていくわよお」
……気張るのは、防犯意識もかもしれませんね。
まあ、四人も夜のシフトに入っていればそれなりに余裕が生まれるっていうもので、ピークタイムも悲鳴をあげることなく過ぎていった。……できることなら、毎日でも四人いてくれたらどんなにいいか。ふたりのときとか本当に地獄を見るから。……宮内さん、僕が辞める前にひとり、辞めた後にもうひとり採用したりしません?
そんなことはひとまずさて置いて、この日の休憩。先休に小千谷さんと井野さん、後に僕と水上さんと入ったのだけど、その後休の時間に僕の携帯が鳴った。
通知の画面を見ると、実家の固定電話の番号が映し出されていた。
……出たくねえ。出たくないけど……。
どうせ、お見合いの件に関する電話なんだろうな……。
「……出ないんですか? 八色さん」
「え? ああ、出るよ、出る出る──もしもし」
僕は通話に応答しつつ、席を外して従業員専用の通用口に出た。普段帰宅するときに使うエレベーターホールだ。ここなら人も滅多に通らない。
「あ、出た出た。お父さんから聞いた? お見合いの話」
電話主は、どうやら母親だった。母親に関しては月一くらいのペースで近況確認という体で電話がかかってきていた。だから、声自体を聞くのはそんなに久し振りではないのだけど……。
「……うん、聞いたけど」
「それで、お母さんこれから最終の特急で東京行くから、今日から家泊めてね、太地は今日もバイト?」
「え? はい? え?」
ちょ、ちょっと待ってもらっていいですか? き、今日から? 聞いてないですよ? 僕。
「何? もしかして部屋汚いの? 駄目よー? 部屋は常に綺麗にしておかないと、女の子にモテないわよー?」
そういう問題じゃなくてですね。
「きょ、今日来るの? いきなりすぎない?」
「だって、こういう機会がないと東京なんて行かないから。大学時代の友達とも会う約束つけちゃったから、今日行かないとまずいのよねー。慌てて特急券取っちゃったわ」
特急券取っちゃったわ、じゃないよ。なんで僕の両親はこう大事なことをいきなり報告するかなあ。そんなんだから美穂も何も言わずに僕のバイト先に突撃するんだよ。……逆になんで僕はこんな両親なのにこんな突っ込みを入れる息子に育ったんだろう。
「……新宿には何時に着くの」
「えーっと、切符には二十二時四十五分着って書いてあるわ」
「……それくらいにはバイト終わって上がるころだから、そのままホームに迎えにいくよ」
「あらそう? 助かるわあ、お父さんと違って気が利くいい男に育ったわねえ太地」
そこで褒められても嬉しくないです。あと、気が利くっていう観念があるなら、できればお母様のほうも気を利かせていただけるとありがたかったりします。
心のうちにため息をついて、ふらっと辺りを見回すと……。微妙に開いた通用口のドアが目に入った。……水上さん。盗み聞きするならバレないようにしてよ……。
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