第96話 おぢさんのらしくない話

「んで、出会ったのが佳織ってわけ。箱庭育ちの佳織からしたら、よその家の庭に忍び込む俺がそれはそれは物珍しく映ったみたいでなあ。初めは実験動物を観察するような感じに見られたよ。あまり嬉しくない意味での注目って奴?」


 ……なんだったらこのバイトの夜番メンバー全員がそれに該当しそうな勢いです、とは思うだけで口にしないでおく。逆に、水上さんは僕をそういう目で見ていたり。


「そこから色々遊ぶようになったよ。佳織の家が保有する山に入って探検したり?」

「ちょっと待ってください。小千谷さんって出身どこでしたっけ?」

「ん? 生まれも育ちも東京都江東区ですけど? 何か?」

「江東区に山なんてありましたっけ」


「いやあ、俺の知識が間違ってなければ海抜がマイナスのところもある低地だったと思うけど」

「そこでなんで山が」

「まあ、ちょこっと埼玉とかに」

「……小学生の行動範囲じゃないでしょ」


 ちょこっとで行けるようなところじゃないって。大学生になった今でも軽―く「さあ行くか」くらいの気持ちは作るよ?

「まあまあまあ、そこは佳織の力とかいう奴で?」


 ……車が出たんですね。わかります。予想の斜め上でヘリコプターとかですか? あながちありそうなんでそれも警戒しておきますね。怖いんで聞かないでおきますけど。


「当時からまあアホみたいなことばっかりしてたのが妙に佳織に気に入られてさ、気がついたら俺の行くとこ行くとこ全部佳織がいるんだよ。遊びに限らず、学校まで」

「……学校まで?」

 小千谷さんは思い出し笑いをこらえるように口元に手を当てて、震える声で続きを話す。


「俺はごく普通の一般家庭生まれだぜ? とてもじゃないけど私立小や私立中に通う金もなければ頭もなかった。でも、佳織はそうじゃない。っていうか、あそこの家系の子供は全員超がつく名門私立校にお受験して通っているって話だし」

「……津久田さんは、そうはせず公立に?」


「そ。小中高とぜーんぶ俺が行くところに。都立高までついてきたときはさすがに驚いたよ。大して偏差値高い高校じゃないのにな。そこまでするかって」

 ははは、そりゃ壮大な片想いだ……。頻繁にバイト先訪れるわけだ。


「そこまで行くとふと俺は思うわけよ。今までアホの学校通ってきたけど、じゃあ逆転の発想で超頭いい学校受けようとしたら佳織はついてくるのかって」

「……それで?」

「理系は私立の学費がべらぼうに高くてリスキーだから、最悪私立でもなんとかなる文系に絞って法学部狙ったわけよ。某赤い門の」


 ……へえ、初耳だなあ。小千谷さん「と」で始まって「う」で終わる国立大学狙ったんだ。しかも法学部ってことは文科Ⅰ類ですかねー。

「まあ、高三までまともに勉強なんてしなかったからさすがに国立は無理だったけど、法学部で有名な私大は受かったからそこに通うことにしたんだけど、佳織の結果はどうだったと思う?」

 物知り顔で僕のほうを向き、小千谷さんは僕にレスポンスを求める。大学の講義か何かですかね。


「……まさかとは思いますけど、どっちも受かった上で私大を選んだんですか?」

「ビンゴ。大正解。あいつ文Ⅰ受かったのに、俺がいるって理由でわざわざ私立選んだんだぜ? ここまでくると俺も段々怖くなるってわけだ」


 一種のストーカーか何か……? いや、でも違法な手段は何ひとつ取っていない。それでも何か恐ろしさを覚えるのは、津久田さんが選んで小千谷さんについていっているという事実だろうか。


「いくらいいところの娘で金に余裕があるって言ったって、受かったのは人生のゴールドチケットを手にしたも当然の日本で一番の大学、しかも文Ⅰ。俺が受かったC大の法学部も私大の法学部のなかでは最高峰って言ったって、ネームバリューの差よ。ここで俺はようやく佳織に対して恐怖を覚え始めるわけだ」

 その割には全然怖がっていないような話しかたですけど。……まあ、それが小千谷さんと言えばそれまでだけど。


「俺が受験ガチ勢だったら佳織のその行動にブチギレるところだったろうけど、生憎俺も高二までは浦佐みたいにちゃらんぽらんな頭してたから、受かれば儲けものくらいにしか思ってなかった。だから、別に佳織に嫉妬することはなかったけど、次に俺が思ったのは」

「……津久田さんは自分の就職先にまでついてくるのではないか、ってことですか?」


「さすが文学部。文脈読みますねー」

「……別に文学部じゃなくてもそれくらい読めると思いますけど」

「世のなか自分の発言で他人がどう感じるかすら考えられない奴もごまんといるんだ、そういう能力も貴重だぜ八色」

 ……それあなたが言います? この間浦佐をいじり過ぎて泣かせてましたよね? 小千谷さんが言いたいのはそういうレベルの話ではないのだと思うけど。


「ま、当たりよ当たり。就活までそれができるかと聞かれると正直怪しいところはあるけど、もう俺の頭のなかは『俺が内定貰えるような企業だったら佳織は平気で内定取れる』の一点よ。佳織の親父さんも一応何年かは他社で経験積ませてから自分の会社に引き取る腹積もりでいたらしいし、学生の間までは好き勝手やらせる方針でいたからな。特に佳織の行動に口を出したりはしてこなかった。だからこそ、なんだけど」


「……だから、今もこうしてフリーターをしている、と?」

「大事な大事なひとり娘がフリーターになりますなんて言い出すものならさすがの親父さんも動くわな。仕方なく自社で引き取って、今に至るってわけだ」

 ……フリーター路線までついていくつもりだったのか、津久田さんは。


「……もう、わかっただろ? 八色。どうして俺が佳織とくっつかないかなんて」

 一瞬、小千谷さんはスキャナーを持った手を止めて、真っすぐ遠いどこかを見つめた。棚と棚の間を貫く視線は、ビルの窓から覗く新宿のビル街が並んでいる。それは、もしかしたら小千谷さんが普通に生きていたら入ることが叶ったかもしれない企業が入居しているような場所なわけで。C大の法学部なんて、民間だったら引く手あまただろう。弁護士にだってなれる超がつくエリート学部なのだから。


「……わかりたくもないですけどね。そんな適当な理由で適当な生活しているあなたの人生なんて」

「ははっ、手厳しいことで。まっとうな人生歩こうとしている真面目君らしいわ」

 軽く笑みを浮かべてから、すぐに小千谷さんはスキャナーのボタンを握って、ラベルの発行を再開する。


「……あいつは、佳織は、少しこっち側の空気を吸い過ぎたんだよ。本来関わり合いになることもないはずだったんだから。ま、つまりは今回のお見合いできっちりケリがついてくれれば、俺もようやく就活ができるってわけよ」

 斜め四十五度見下ろす、二個上の先輩の表情はほんの少しの間だけ、憂いを帯びたように雨雲にかかって、しかし、真上を走る空調の送風に流されて無理やり顔を晴らして。


「……で、それは本心ですか? それとも、空言ですか?」

「本心だって言ったって信じねーくせにな」

 ……いやだって、そのお見合いの相手、僕だから。絶対ケリつきませんよ。

 残念ですけど、小千谷さん、あなた当分就活はできそうにないと思います。

 っていうか……さっさと永久就職しろよ。そんな顔するなら。


「もうちょい嘘は上手についたほうがいいと思いますよ。小千谷さん。そんなんだと浮気すぐバレますよ」

「は? 浮気も何も、する相手もされる相手もいないんですけど俺」

「ものの例えですよ例え」


 揺さぶりはかけておいた……。あとは、当日……どう動くか、なのか……?

 そんな話をして、僕と小千谷さんは夕礼までの時間ふたりでカウンターを守っていた。

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