第93話 娘がブラコンなら親もドタコン
それから、いつも通り週五のシフトをこなし、休みの日は美穂とお出かけもした。そうでない日は姉のように懐いた浦佐や、井野さんと遊んでもらうことがほとんど。
……浦佐はもしかしたらどこかのジムのバッチを持っているのかもしれない。ゲーム実況者らしく。そのバッチを持つと、美穂に懐かれることができる、的な。
ちょうど一個となりの駅に、某有名なアニメスタジオの博物館があるので、そこに連れて行ったり。……武蔵境に住んでいてよかったと思った瞬間だった。
家のなかだろうが外だろうが美穂は関係なくひっついてくるので、ちゃんと妹として周りの人に認識されているかどうか不安だったりする。……僕と美穂、あまり外見は似てないから。僕は父親に似て、美穂は母親に似たから。
お風呂もあの騒ぎの日以外は毎日一緒に入らされて、もう美穂の体で見たことがない場所はないってくらい体も洗わせられた。比喩とかではなく。
寝るときも寝るときで、前後左右様々なバリエーションで同じベッドに潜ってくるし。正直背中合わせ以外全部心臓に悪いからね。顔と顔至近距離・胸が背中に当たる・お尻と僕の僕が当たる。以上。
という、美穂の甘えたがりフルコースを完食し、とうとう美穂が実家に帰る日がやって来た。
「うう……帰りたくないよう、お兄ちゃん」
正午過ぎに新宿駅を発車する特急に乗るということで、十一時前に家を出た。出発間際、僕が大学進学で上京するときと同じように駄々をこね始める美穂。
「……今年は年末年始帰省するつもりだから、それまでね?」
「……ほんと?」
玄関で先に靴を履いた僕を、涙目で見下ろす美穂。……悲しい。段差の分、美穂が高くなって見下ろされた。
リュックサックひとつ背負った妹は、それならばと安心して少し古びたスニーカーを履く。行きと同じように、着替えなどの大きな荷物は後で僕が宅配便で送ることにしている。
「嘘ついたらやだよ?」
今度は同じ目線に立って、顔の前に小指を掲げる。
「……はいはい、そんなつまらない嘘つかないって……」
さすがに今年は帰らないと……なあ。でないと、あの三人が年越しで家に押しかける未来が容易に想像できる。自衛の意味もこめた帰省になりそうだ。
僕もそれに合わせて小指を出して、指切りをする。背は大きいけど手は小さい美穂のさらに一番細い小指とぎゅっと絡めて、
「指切ったっ。へへ、これで今年の年越しはお兄ちゃんと一緒だねっ」
美穂は嬉しそうに破顔して玄関のドアに手をかけた。
新宿駅で両親や友達に東京土産をいくつか買って、まあ、最後にお昼のお弁当を奢ってあげて特急列車の待つホームに上がった。本当はどこかファミレスとかでもいいからゆっくり食べられたらよかったのだろうけど「新宿、昼、ランチ」は生半可な気持ちで店を探すと痛い目に遭う。時間がかかって事故る恐れもあるから、ここは安全牌を取らせてもらった。……その代わり、高いお弁当買ってあげたからそれで勘弁して。
「それじゃあ、お兄ちゃん、またねー」
出発前の駄々っ子はどこへやら。次に会う約束があるだけでこうも変わりますか……。
特急電車のドアが閉められ、窓越しに映る美穂の姿が徐々に遠くなっていく。六両の車両が完全に新宿駅のホームから出ていったタイミングで、僕はホッと一息ついた。
「……これで、しばらくは家に安寧の日々が戻る」
さ、これからバイトだ。美穂を送るついでにそのまま出勤できるように、今日はロングシフトを入れておいた。そろそろお店に向かわないと……。
そう思ってエスカレーターに向かってホームから降りようとしたとき、ポケットにしまっていたスマホが着信を知らせた。
「……父さんから?」
何だろう、美穂はもう電車に乗ったけど、その確認か?
「もしも──」
「美穂はちゃんと電車に乗ったか」
予想通りの開口一番。もしもしすらなしかよ。
「……今乗ったよ。立川や八王子で降りて引き返すっていう暴挙に出ない限り、美穂はちゃんと家に帰るよ」
「……美穂ならやりかねんからな、まだ安心はできないな。……ったく、太地、まだ彼女はできないのか」
少しイラついた口調で話す電話の向こうの父親。イラついている理由は言われなくてもわかる。
「……まだだけど」
「ああもう。太地に彼女が早くできれば、美穂は兄離れできるというのに、むぎぎぎぎ」
この父親、美穂の僕に対するブラコンと同等のレベルで娘を溺愛している。言うならばドタコンだ。
「親父……今いくつだよ……その年でむぎぎぎぎって、子供じゃないんだから」
「ええいうるさい、美穂にべたべたされているからって上から話しやがって」
「……別に僕はべたべたされたいわけじゃないんですけども」
「だったら早く彼女作って子供のひとりやふたりでも作ってこいっ、そうすれば美穂だって諦めるだろう。……諦めるよね?」
そこは自信持って。いや、不安になるのもわかるけど。あと、子供のひとりやふたりって……そんな簡単に。
「で、話はそれだけ? まさかそれだけで滅多にかけない電話をするわけがないよね?」
普段、コミュニケーションを取るにしてもラインだけの父親が電話を掛けてきたんだ。それなりの用件があると思っていいと思う。
「いや、太地に彼女がいないと聞いてやっぱり話を受けてよかったと思ったよ、ああ」
ん? いきなり何の話だ?
「この間、父さんの会社に本社の視察があってな、色々社長と話す機会があったんだ。そうしたら、社長にも娘さんがいて、お互いの娘の話で盛り上がってしまった」
いや、だからなんだよ。唐突な回想は意味不明ですよ。
「話を聞くと、社長の娘さんはまだ独身らしくてな、お父さんである社長は結婚相手を探しているとのことで、太地のことも聞かれたんだよ」
「……それで?」
なんとなーく話の流れが見えてきたけど、まさか……。
「そしたら一回持ち帰らせてくれないかと言われて少し待っていたら、電話がかかってきてな? その娘さんが太地を選んだから、是非、一度会ってくれないかって」
「……ねえ、それって、僕にお見合いしろって言っている?」
「さすが父さんの息子だ。察しが早くて助かる」
娘を溺愛する社長……僕の父さんの肩書は部長……先日支社に視察に行ったら……なんだろう、こんな感じの話をつい最近聞いた気がするんだけど、こんな偶然ありますかねえ。
「……一応確認していい? 父さんの勤務先の会社って、どこだっけ?」
「ん? 何をいまさら聞いてる。津久田不動産っていう会社だぞ? ほら、上場している津久田グループの関連企業。太地も就活していたなら名前くらいは聞いたことあるだろう」
「……ははは、そういえばそうだったね。ははは。何聞いてんだろうね僕、ははは」
これ間違いない、ビンゴだ。
津久田さんのお見合いの相手って、僕のことじゃないかよおおおおお!
「で、差し当たり、来週末に母さんそっち行くから。お見合いのために。詳しいことは母さんから聞いてな。そんじゃ、父さんは可愛い可愛い美穂を迎えに行くから、よろしく」
「あっ、ちょっ親父──」
……美穂の上京のときといい、なんでもっと早く教えてくれませんかねえ! だったらこんな面倒なことにならなかったのに!
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