第91話 擬態できないむっつりさん

「……で、なんで俺がこんな量の買取しているんだよ八色」

 その日のシフト。出勤は僕、小千谷さん、井野さんの三人だった。今日も美穂の面倒は浦佐が見てくれている。なんでも、今日はアミューズメント施設に連れて行ってくれるみたいだ。カラオケとかゲーセンとかスポッチャとかしてくるのだろう。……美穂が浦佐に懐いているようで何よりだよ。ふたりならんで学生証提示したら目丸くするだろうなあ。そっちが高校生でそっちが中学生、って。


「もとをただせばあんたが僕の住所みんなにばらしたのが原因なんで」

 休憩後のひととき、例によってお店に大量の本を持ってきた津久田さんの買取を、小千谷さんがひいこら言いながら査定していた。

「ひい、太地お兄ちゃんが怖いよお」

「太地お兄ちゃんっ? はぅ」


 一緒にカウンターに入っている井野さんが、勤務中だと言うのに鼻血を垂らしだした。

「……はい、ティッシュ」

 僕は加工台の下の収納棚に置いてあるボックスティッシュを差し出す。井野さんはそれを受け取って、鼻をティッシュで押さえる。


「ず、ずみまぜん……で、でも……ショタ属性もありかも……今度店長さんに教えないと」

 ……そのBL包囲網は健在なんですね。

「井野さん、忘れてないよね……?」

 あなた今日の朝、なんでもしますからって言ったよね? 真面目に働いてくれてもいいんですよ?


「ひゃ、ひゃい……」

 鼻血を押さえながら、井野さんは背中を丸める。おもらしもののAV見つかった僕と、おねしょしちゃった井野さん。どっちも恥ずかしいけど、多分井野さんのほうがレベルは上だからね。僕が開き直ったらあれだからね。


「……何? 八色と井野ちゃん、主従関係でも結んだの? 先生とご主人様的な?」

「あんたはそのピンク色の思考を今すぐ止めろ」

「ごっ、ご主人様……はぅぅ……」

「ひゅうー。太地お兄ちゃん突っ込み絶好調―。昨日のぶっ壊れ具合はどこへやらー」

「……僕も小千谷さんみたいに気楽に生きたいですよ」

 そう吐きつつ、スキャナーを操作していく。


「おーし、とりあえずこれで査定終わりっと……」

 小千谷さんの仕事も一段落ついたみたいで、備え付けのマイクを持って、

「店内でお待ちの番号札5番、5番でお待ちのおきゃく……お待たせしましたー」

 言い切る前になんか落ち込んだ表情の津久田さんがカウンターにやってきた。


「……なんか、えらく元気ないな佳織」

「うーん、まあ、色々あってねえ……」

 小千谷さんは買取のタブレットを傾けて、津久田さんに金額を提示している。

「とりあえず、150冊で、四万円になるけど」

「うん、それでいいよ……はぁ……」


 仕事帰りなのか、ちゃんとスーツを着た津久田さんは肩で息をして画面に金額同意のタッチをしている。クールビズだけどね。のろのろとした動きで財布からポイントカードと免許証を提示して、

「……ねえ、こっちゃん」

「何、佳織」

「……私、とうとうお見合いさせられるみたいで」

「ぶほっ」

 どんな吹きかただよ。一応お客さんの前だぞ小千谷さん。常連・幼馴染とはいえ。


「へ、へー、お見合いねえ。いいじゃん」

「……こっちゃんはそう言うんだ」

 きっと求めていたリアクションとは遠くかけ離れていたからだろう、津久田さんは不満そうにむくれている。まあ、ここはお約束として「……だ、誰とだよ」とか「行くんじゃねえよ」とか、そうでなければ最低限「いつ」とか聞くべきだろうけど。……僕も大概漫画の読み過ぎかなあ。そんなに読んでいるつもりはないのだけど。


「そろそろ私もアラサーだし? お父さんも早めに私に結婚させたいみたいでさー。なんかどこかの支社の部長の息子さんと会わないといけないらしくて」

「……アラサーって、まだ佳織二十四だろ、俺とタメなんだから」

「次の誕生日で二十五だもん。四捨五入したら三十だもん」

「だもんって……」


 二十五歳でアラサーを自称したら、本当のアラサーに怒られる気がします(二十二歳大学生談)。

「……はわ、お、お見合い……強引な婚約、それを避ける駆け落ち……はぅ……」

 ……それを聞いて勝手に妄想を膨らませている十七歳高校生女子。いいよね、まだあなたはティーンで。若いって素晴らしいと思うよ。


「まあ、お父さんももう年だし、早く後継ぎが欲しいんだと思うよ? 子供は私だけだし、なんだかんだお父さんも考えが古いから、私に後を任せる気はないと思うよ。そこそこ経験積ませたら結婚させて、その相手か子供に二代目三代目ってするつもりなんだろうけど」

 ……お嬢様も色々大変なんですね。こんな古書店に来ている時点でなかなか庶民派みたいですけど。嫌味抜きで。


「しかもさ、聞いてよ、そのお見合いの相手、私より年下なんだってさ」

「……へえ、意外だな。あの親父さんなら、てっきりもっといいところのボンボンとか、名門大学主席卒業、とか箔のついた三十代の男とくっつけたがるかと思ったけど。ってことは、二十三とか二十二? 八色と変わらんくらいの奴ってことか」

 ……確かに、そうなると僕と同年代ですね。さすがに学生はありえないだろうし。それ以下はないだろうし。


「私も何枚かあるのをババ抜きの要領で選んだから、どんな人かは知らないんだけど、選んだらお父さんが『佳織は年下が好みなんだな』とか言っちゃうし。ちーがーう、私はこっちゃんが好きなーのー」

 子供みたいに、わざわざ言うなら浦佐っぽく駄々をこねるふうにして言う津久田さん。……もしや、先日の浦佐保護で浦佐っぽさを吸収してしまったのか?


「……じゃあ、精算してきますねー」

 あ、逃げた。小千谷さん逃げた。

「……二週間後くらいにだってさ、こっちゃん」

「それを俺に言ってどうして欲しいんだよ」

「止めて欲しいの」

「どうやって」

「そ、それは……か、簡単じゃない」

「俺には難しいけどなー、ほれ、明細と四万円。用事すんだらさっさと帰れよー。でないと俺が親父さんにどやされる。『佳織の帰りが遅い』ってな」


 小千谷さんは今度こそ逃げ台詞を言い捨てては、そそくさとカウンターからスタッフルームに退却していこうとする。

「あっ、ちょっとこっちゃん、こっちゃんってばっ。もう……また逃げるんだから……はぁ……ごめんね、騒いじゃって。また来るから」


 さすがにこれ以上粘ることはできず、津久田さんは諦めて苦笑いを僕と井野さんに向けてエスカレーターへ足を動かしだす。

「あ、ありがとうございましたー」

 ……適当人間に惚れてしまった津久田さんも、それなりに不憫だなあって、そのときの僕は他人事みたいに考えていた。


「……井野さん、いつまでトリップしてるの」

 しばらく何も口にしてないと思ったら。井野さんはボーっと前を見つめて鼻血をちょっとだけ漏らしていた。……元気だね、井野さん。

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