第88話 開門待ったなし(何が)

「……すー……すー……」

 や、八色さん……完全に寝ちゃいました……。ど、どうしよう……。今日もバイトでお疲れでしょうし、無理に起こすのは気が引けます。それに、浦佐さんや美穂ちゃんまでまとめて起こしちゃうかもしれません。……あと、このふたりに今の姿を見られたくないです……。


 でもでも、それとこれとは別で限界が近いのも事実です。……こ、こんなことになるんだったら早いうちに一度行っておくべきだったよお……。

 八色さんの腕の力は強いままですし、そ、それに、こんなに至近距離にいるとちょっとおかしくなっちゃいそうです……。さっきまで枕で八色さんの匂いを嗅いでいたのに、今は生の八色さんの匂いが鼻先に流れていますし……。


「う、ぅぅ……」

 朝まで我慢できるかな……。とてもじゃないですけど、こんな状況でおちおち眠れるはずがありません。なんだったら、少し目が冴えています……。


 八色さんにこんなに強く触られるのは初めてですし……。普段はとても穏やかな方だし、たまに頭を撫でてくれることはありましたけど、こ、こういうふうにされるのは当たり前ですけど今までにない経験です……。


 こ、骨格とかこんな感じなんだ……これから漫画描くときの参考になりそう……。

 といったことを気を紛らわせるために考えていると、テーブルに突っ伏していた美穂ちゃんがゆっくりと立ち上がります。

「……え」

 も、もしかして、起きちゃいました……?


 お兄ちゃんである八色さんが大好きな美穂ちゃんがこの光景を見たら……とんでもないことになるのは予想に難しくないです。

 ……私が勝手にベッドに横になっていたのが悪いですよね、自業自得です……。覚悟を決めて、美穂ちゃんのことを見つめると──


「くふふ……お兄ちゃん……くふふ……」

「ひ、ひぃぃん……み、美穂ちゃん……?」

 美穂ちゃんは寝ぼけていたようで、バタンと八色さんと私がいるベッドに潜り込んでしまいました。ちょうど、私をサンドイッチするような形です。背中に八色さん、前に美穂ちゃん。


「えへへ……お兄ちゃん……なんだか今日は柔らかいんだねえ……」

「ひ、ひゃうぅ……み、美穂ちゃん、そ、そこはだめぇ……」

 兄妹らしい、という表現が適切なのでしょうか、美穂ちゃんは私の胸に顔を埋めて、もぞもぞと体を動かします。その際に私の敏感な部分が擦られてしまい、思わず湿っぽい声が漏れてしまいました。


 ……それに、今の刺激で、尚更お手洗いに行きたくなっちゃいましたし……。

 ますます状況が悪化しちゃいました……。うーん、うーん……。


 数時間が経ちました。時計を見ることもできないので、はっきりとした時間はわかりませんが、恐らく三時とか四時とか、そういった深夜の時間だと思います。

 限界は確実に近づいていて、また、八色さんと美穂ちゃんもがっちり私を挟んで眠ったままです。


 うう……そろそろ決断をしないといけないかもしれません。美穂ちゃんや浦佐さんに私が八色さんのベッドを使ったことを知られるのを我慢して、今この場で起こしてしまうか。このままトイレを我慢して、八色さんだけが先に起きる可能性に賭けるか。……でも、それは美穂ちゃんや浦佐さんが先に起きる可能性も否めませんし、そもそも、私の我慢がもつ保証もありません。……高校生にもなって、それだけは避けたいです……。ましてや、自分の布団ではなく、八色さんのベッドですし……。


「……や、八色さん……すみません……」

 背中側にいる八色さんに小さく声をかけてみますが、起きる気配はありません。

「や、やいろさん……お、起きてくださーい……」

「……すぅ……すぅ……」

 だ、だめです……起きません。

「ひ、ひぅっっ」


 すると、美穂ちゃんが今度は私の胸に手をあてがいます。その拍子に、水門が開きかけるような感覚が私を襲いました。

 だ、だめ……このままだと八色さんの前でとんでもないことをしてしまいます。は、はやく起こさないと……。

「ひゃ、ひゃいろさん……お、お願いします……起きてください……」

「……すー、すー……」

 絶対絶命です。


 意識という意識を全て傾けないと、粗相をしてしまいそうになってからしばらくしました。閉めたカーテンの隙間から柔らかな朝陽が差し込んで来たので、日の出の時間は過ぎているのでしょう。六時過ぎとか、そのあたりでしょうか。


 そ、そろそろ起こせば八色さんも起きるかなあ……。お、起きてもらわないと困るんですけどね……。

「……す、すみません……や、八色さん……」

 しかし、八色さんは気持ちよさそうに寝息を立てたまま。そ、そろそろ本格的にまずいよう……。

「や、八色さん……朝ですよー……」

 隣の八色さんは変わらず眠ったまま、代わりと言ってはなんですが、玄関のほうからガチャガチャと音が鳴り始めました。


 え、え……? 誰か来た……?

「あれ……鍵、かかってない……? 不用心ですね……八色さーん? 大丈夫ですかー?」

 みっ、水上さんっ?


 そうです、水上さんに違いありません。この透き通ったような羨ましい綺麗な声は水上さんのものです。

 浦佐さんや美穂ちゃんにも見られたくはありませんでしたが、水上さんには一番見られたくないです。……水上さん、八色さんが絡むとちょっと怖いんです……。


「八色さーん、ちゃんと休んでます……か……?」

 片手に何か入ったレジ袋を持った水上さんは、部屋に入ると、まじまじと私たちの光景を見つめました。……浦佐さんがテーブルで寝落ちていて、ベッドには私が八色さんと美穂ちゃんに挟まれている。そんな、光景を。


「……どういうことですか?」

「ひっ、ひぃ」

 バサリと音を立てて袋を落とし、鋭い目で私のことを睨みます。それに驚いた私は──

「あっ……あぅ……ぃゃ……」


 〇


 目覚めは、少し温いシーツの感触と、誰かの泣きじゃくる声でだった。

 ゆっくりと閉じていた瞳を開けて、視界を確認すると、どういうわけか目の前には涙で顔を濡らしている井野さんと、どういうわけか部屋にいる水上さんの慌てている姿があった。

「……ごっ、ごめん……一体何が起きてる……の?」


 訳がわからないままふたりに尋ねると、水上さんは首を振りながら答えた。

「……差し当たり、今すぐ妹さんも起こしてシーツその他諸々を洗濯して、お風呂を沸かすことをおすすめします、八色さん。……あと、それからだいじーなお話があります」

 ……どうやら、僕は何かやらかしてしまったみたいですね。

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