第86話 保健の授業で聞かなかった?

「と、とりあえず……今円ちゃんが撮った写真さえあれば、焼き肉は間違いなしっすね」

 マウスを動かして、ブラウザを閉じてパソコンをシャットダウンする浦佐さん。

「……ところで、お兄ちゃんはこ、こういうえっちな動画を見て何をしているんですか?」

「「えっ?」」


 ……素朴な疑問なんだと思います。美穂ちゃんは純粋に不思議、という目をして私と浦佐さんの顔を見比べています。私たちもその質問を受けて、気まずそうに目を見合わせました。

「……え、えっとそれは……」「は、話すと長くなるというっすか……」

「?」

 答えに口ごもっていると、美穂ちゃんはさらに小首を傾げます。うう……なんて答えればいいんだろう……。


「ほ、保健の授業で習わなかったっすか? に、妊娠とか、そういうお話のところっす」

「うーん、流れについては習いましたけど、具体的にどうしたら妊娠するのかについては習ってないんですよね」

 ……そ、そこって性教育のなかでも結構肝心なところなんじゃ……。

 どうしよう、なんて説明すれば……。


「そ、そうっすね、あ、赤ちゃんを作る練習みたいなものっすよ、たぶん」

 浦佐さん、それ微妙に違う気がします……。間違っているわけではないと思いますけど……。


 でも、かといって他に適当な説明が思いつかないのも事実なので、ひとまずスルー。……だって、ただ単に気持ち良くなりたいだけなんて美穂ちゃんには説明できないよう……。それに、一緒にお風呂に入っているってことは、この説明をきっかけに何か変化が起きちゃうかもしれないし……。


「へえ、そうなんですね」

 とりあえず、納得しちゃったよ……。どうしよう、この誤解が後々に影響あったりしたら……でも、訂正する方法もわからないし……。もう、美穂ちゃんの学校での保健の授業に期待するしかないよ……。


「浦佐さんや井野さんも練習するんですか?」

「ぶっ」「……円ちゃん、女の子ならもうちょいまともな反応して欲しいっす」

 思わずむせてしまいました。だ、だっていきなりそんなこと聞かれたら……。


「さっき、気持ちいいとかなんとか話してましたけど、それと練習って関係あったりするんですか? だったら私、少し気になるんですけど──」

「はわわわっ、みっ、美穂ちゃんにはまだ少し早いと思うよ」

「そ、そうっすっ。そ、そうだ。もうこんなえっちな話は終わりにして、ゲームするっすゲームっ。さっきまでやりたがっていたっすよね妹ちゃん」


 き、聞かれていました……。大変です。私たちのせいでまだ純粋な(アダルトサイト一緒に見た時点で違うかもしれませんが)美穂ちゃんを汚すわけにはいきません。浦佐さんと一緒になんとか誤魔化しにかかります。


「ゲームですかっ? わかりましたっ、そうしましょうっ」

 美穂ちゃんは浦佐さんからコントローラーを受け取って、瞳を輝かせてテレビの前に座ります。

 ふ、ふう。なんとか誤魔化せた……。でも、八色さんに知られたら……怒られそうだなあ……。


 〇


「おーい。……八色、大丈夫か? 今日ずーっと仕事に手ついてないけど」

 気がつけば休憩後。弟のお願い通り小千谷さんを家電に入れたことで、小千谷さんは家電の補充をしていた。その合間、僕と水上さんが入っているカウンターに立ち寄った際に、僕にそう声を掛けていた。


「……ハハハ、ダイジョウブデスヨ。ハハハ……」

 井野さんから送られたラインはあまりにもショックが大きかった。そりゃそうだろう。井野さんが知っているということは、十中八九その場に居合わせた浦佐や美穂もあの画面を見ているということになる。


 ……僕が普段見ているAVのタイトルを把握した、最悪見ていてもおかしくはないってことなんだから。

 その……ガチなSMとかはないんだけど、ちょっと人には言いにくいジャンルのものがあるから……。

 それを、あの三人に見られたかと思うと、恥ずかしすぎて消えたい。


「どうしたんだろうな、八色。夕礼からずっとこんな調子だな。水上ちゃん、何か知らない?」

「い、いえ……さすがに私も」

「……自分の周りがおかしくなると冷静になれるって本当なんだな。最初はずーっと怖かった水上ちゃんが今は普通だもの」

「イラッシャイマセー、アリガトウゴザイマシター」


「……そりゃあ、誰もお客さんレジに来てないのにこんなこと言いだしていたら冷静にならざるを得ませんよ。普段はしっかりしている先輩なので」

 ……消えたい、家に帰りたくない、あの三人と会いたくない。……新宿から実家に向かう最終の特急って確か午後の十一時まであったよね……。それに飛び乗れば、強制的に実家に帰ることができる……。これからのシフトは……もういいや。


「おーい、八色―。しっかりしろー。あれか? 今日歌舞伎町の風俗行って童貞捨てる予定でいるからあまりに楽しみでそわそわしてるのかー?」

「……アッ、オウリイタダケルオキャクサマデスネー」

「駄目だこりゃ。普段の八色だったら『んなわけないでしょ小千谷さん、馬鹿なこと言ってないで仕事してください』とかなんとか突っ込むはずなのにそれがない。今日の八色は使いものになんないかもな」


「……みたいですね」

「ま、俺はもうずっと売り場で家電補充している予定だから、何かあったら呼び鈴鳴らして」

「わ、わかりました」

「……そんな、親や彼女に隠しているAV見つかったとかじゃあるまいし……」


 最後に小千谷さんがそんなことを呟いて売り場に復帰していくと、途端に水上さんの目が鋭くなった。

「……八色さん? もしかして、今日おかしくなったのって、あの三人がそれを見つけたってことじゃないでしょうね?」

「アハハ、ナニイッテルノミナカミサン」


「……怪しい。でも、浦佐さんと井野さんなら八色さんの部屋を漁っても不思議ではない……その可能性は全然ありそう……」

 ブツブツと僕に聞こえないくらいの大きさのひとりごとを言いながら、水上さんは加工した本を三段カートに積んでいく。


「あ、いらっしゃいませー」

 結局、この日はレジも買取も全部水上さんか小千谷さんが入るという、とても珍しい一日になったらしい。僕に記憶は残っていないけど。


「八色……帰ったら早く寝ろよ? お前がぶっ壊れたままだと店が回んなくなるから」

 閉店後、小千谷さんに優しく励まされてしまう。……こんなにまともな先輩らしいことを小千谷さんが言うなんて、明日は雪が降るんじゃないだろうか。


 ああ、もう穴があったら入りたい。そして永遠に埋まっていたい。

 それか、あの三人の記憶を都合よく抹消できたりしないでしょうか。それくらい恥ずかしくて、恥ずか死ぬ。

 ……なんで僕がこんな思いしているんだよおおおおおおおおおお!

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