第84話 なんだ、ただのいいお兄ちゃんかよ
「お疲れ様です……」
出勤前、スタッフルームに入ると、
「おっ、おい八色っ、お前妹がいたってほんとなのかっ?」
右手にプルタブの空いた缶コーヒーを持った小千谷さんが血相を変えて僕に詰め寄ってきた。
「……一体誰から?」
このお店、すーぐ情報が広まる。セキュリティもへったくれもあったものじゃない。
「だ、だって……水上ちゃん、ずーっとあんな感じでこっわい顔してるから、どうしてって聞いたら『八色さんの妹さんが今上京してる』って」
逆によく聞けたな。今気づいたけど鬼の形相してるよ水上さん。命知らずにもほどがあるよ小千谷さん。実はあなたこそマゾなのでは?
「……ま、まあそれはそうですけど」
「言え」
次いで、小千谷さんも真剣な表情をしつつ僕の両肩を掴んで至近距離で尋ねる。井野さんが見たら鼻血出しそうな光景だな。
「何がですか」
「妹に八色のことなんて呼ばせているかだよ。お兄ちゃん? お兄さま? 兄貴? にーに? あんちゃん? 兄さん? それともシンプルに名前? クソ兄貴?」
……よくもそんなにすらすら「兄」を指し示す二人称が出てくるね。あと最後のひとつは何。
「……べ、別に呼ばせているわけじゃないですけど……」
「ま、まさか……もっと恥ずかしいような……せ、先生とか、ご主人様とか?」
「あんたのなかで僕はどんな立ち位置だ」
先生の二人称って、この関係性だとエロい響きなんだよ。映画化された官能小説でもそんな話あったし。……あれはエロかった。友達が借りてきたのを一緒に見されられただけだけど。
「ふ、普通にお兄ちゃん、ですよ……」
「おっ、お兄ちゃんだとお⁈」
小千谷さんは体に電流が走ったかのように体をのけぞらせて、大げさなリアクションを取る。
「……ちなみに、妹の年齢は?」
「じ、十四ですけど」
「中二の妹にお兄ちゃんと呼ばれているだと……あ、あり得ない……現実にそんな妹が一緒にいるなんて」
「八色さん、その妹さんと一緒にお風呂入ったらしいですよ、昨日」
「い、一緒にお風呂だとおおおおおおお!」
挙句、目を血走らせて小千谷さんは僕の体をブルンブルン揺さぶる。
「……さ、最近お世話になったエロ漫画と同じ展開じゃないか。許せぬ八色、お前にそんなことをする妹がいたなんて。彼女ができないできない思っていたら、そういうことだったんだな八色……」
「小千谷さんエロ漫画読むんですね……。あと、エロ漫画に出てくるようなことは絶対してないんで」
「……お兄ちゃん、俺、今日家電触りたいなー」
「僕の両親はあなたのような適当な子供を産んだ覚えはないでしょうし、僕もあなたを弟に持った覚えはないです」
あと、その外見、イケボでお兄ちゃん言うな。
「お兄ちゃん……だめえ?」
甘える声も出すな。なに、あなたナレーションの学校でも通っていたんですか? 七色の声を持っていたりするんですか? 井野さんの前で色々やってあげてくださいよ。出血大サービスになると思うんで。
「た、太地クン……とうとう虎太郎クンにお兄ちゃんと呼ばせる趣味を持ってしまったのね……ま、まさかのたい×こた……? それとも、こたの誘い受け……それもアリわね……井野さんと情報共有しないと」
いつの間にか戻っていた宮内さんは口に手を当てて驚愕の表情。そりゃそうでしょうね。二十四歳男性が二十二歳男性に向かって至近距離で「お兄ちゃん」と甘えた声を出していたらね。
あとひとつ気になる言葉が聞こえたんですけど、井野さんとパイプ繋がってます? もしかして。……おお怖い。
「宮内さん……勘違いしているようなので伝えておきますけど、目覚めたわけじゃないので。妹が上京してきただけなので」
「あら、あの妹さんこっちに来たのね。今いくつだっけ」
「こ、今年で中二になりました……」
「あれ、宮ちゃん八色に妹いたの知ってたんすか?」
「ええ。面接のときに聞いたわあ。あまり家に学費支払う体力がないから、もし妹が高・大とお金が必要になったときのために学費を稼いでおきたいって」
「み、宮内さん、それは他の人には言わないってっ」
た、確かにそれは本当の話だけど、他人に話されると恥ずかしい。
「……八色、お前、実はめっちゃいいお兄ちゃんなんじゃねえかよ」
「実はって何ですか実はって。小千谷さん僕のこと普段どういうふうに思っているんですか」
「ただ面倒見のいい八方美人」
「ひどいですね」
……浪人しなかったのはそういう理由があったりなかったりする。東京に出るなら一年で、っていう気持ちはあった。一浪だけでも結構な額飛んでいくからね。
「こんないい兄貴を持って妹は幸せだなあ。それでいてブラコンとか、許せねえ」
「褒めたいのか貶したいのかどっちなんですか。情緒不安定ですか」
「うるせえ。お前ばっかり周りの女の子に懐かれていて嫉妬しているんだよ。井野ちゃんはもともとだったけど最近浦佐もお前と近くなってるし──」
そこまで口にしたところで、小千谷さんは寒気を感じたのか、いきなり話を止めてしまう。
「──ひっ、ひい。……み、水上ちゃん? ど、どうした? そんなに冷たい目で俺たちのこと見ちゃって」
目線を動かすと、椅子に座ったままの水上さんが、糸みたいに目を細めて、眉を吊り上げていた。
「……い、いえ。妹さん思いのいいお兄ちゃんだなあって。ね、太地お兄ちゃん?」
「……そ、それはどうも、あははは……」
水上さんの反応に少しの恐怖を抱くと、狙ったかのように僕のスマホがピロリンと鳴った。
この空気から逃げ出すために、僕は通知を確認すると。
いの まどか:や、八色さん……こんなご趣味を持たれていたんですね……
いの まどか:意外です……(/ω\)
いの まどか:画像を送信しました
送られた写真を見ると、僕のパソコンの画面をスマホで撮ったものが。それは、僕が普段お世話になっている動画サイトのホーム画面と、購入した動画作品のサムネイルが。
「…………」
どうやって僕のパソコンのロックを解除した? 誕生日とかわかりやすいものにはしていない。……もしかして、美穂、か……?
……おお、神よ。
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