第80話 甘えたがりは妹なりに。

 美穂から教えられたのは、お店のあるビルからほど近い場所にあるいつか井野さんと池袋で一緒に入った学生に優しいお安いファミレス。

 入り口の階段を降りて、店内にぞろぞろと連なって入っていく。お客さんだと思った店員さんは、一瞬だけ僕らのことを案内しようとしたけど「あ、待ち合わせているんで」とやんわりと断る。すみませんイレギュラーなことして、すぐ帰るんで、すぐ帰るんで……。


 美穂のことはすぐに見つけることができた。四人掛けのテーブル席にひとりでパフェを食べていたようだ。空になったグラスがひとつ置かれている。

「お待たせ、美穂。じゃあ帰ろうか」

「あ、お兄ちゃん、……と、さっき一緒にいた人……」

 僕の姿を認め美穂は表情を緩めるけど、すぐにそれを曇らせる。


「……どっちかお兄ちゃんの彼女、とかじゃないよね?」

「かかかかのじょなんてそんな……まだ……」「な、なに言ってるんすかそんなはずないじゃないっすか」


 美穂の一言に井野さんと浦佐は初っ端から振り回されてしまう。井野さんは顔の前で手を振って、浦佐はカチコチに固まった動きをしてそれぞれ誤魔化している。

「ただのバイトの後輩だから……。こっちの背が高いほうが井野円さんで、ちっこいほうが浦佐操さん。ふたりとも高校三年生」


「……は、初めまして……井野です……」「センパイ、その区別の仕方は何なんすか」


「そうだよね、お兄ちゃんには私がいるもんねー。彼女なんていらないよねー」

 僕の説明におおかた満足したのか、美穂は席を立ちあがって僕の腕に甘えるようにしがみついてくる。


「あっ、あ……」「いとも簡単に……腕にひっついったっす……」


「お兄ちゃん、私ちょっと疲れちゃった……」

 その台詞に、不覚にも反応してしまう。いかんいかん。水上さんに毒されているから思考が邪になっているぞ。相手は妹だ。


「昔みたいに、おんぶして欲しいなー。なんてねっ」

「……さすがにもう無理だよ。僕と身長同じくらいなのに」

「じゃあ、高い高いでもいいよー」

「それはもっと無理」

「もー、お兄ちゃんってばわがままだなー」

「どっちがだよ」


 ……ああ、懐かしい。この流れるように緩いボケが連発されるこの感覚。うちのお店の人たちのボケが160キロを超える剛速球だとするなら、美穂のこれは100キロにも満たない緩いスローカーブ、といったところだろうか。共通しているのはどちらも連投してくるということ。肩か肘壊すよ。


「……太地センパイのツッコミが鋭い理由、なんとなくわかった気がするっす」「……うん。そうだね……。日頃からあんな感じだったなら、鍛えられるよね……」


 僕の後ろで唖然としているふたりは、ぼそぼそとそんな会話をしている。そう思っているならボケの頻度減らしてもいいんだよ。


「や、八色さんと美穂ちゃんって、どれくらい仲が良いんですか?」「太地センパイって昔はどんな感じだったんすか?」「実家だと怖かったりするんすか?」

 ファミレスを出て、地上の道を歩いて新宿駅まで向かう途中、井野さんと浦佐はここぞとばかりに美穂に質問の波状攻撃を仕掛けた。……おい、僕の過去もついでに漁ろうとするのはやめて。水上さんにつつかれる。


 美穂も美穂で、僕のことを他人に話すのは満更でもないようで(僕の腕にひっついたまま)ニコニコとしながら聞かれたことに答えていた。

 まあ、基本的には「んー、お兄ちゃんは優しいよー」でまとめられていたけど。


 京王線の駅に着き、名残惜しそうに浦佐は僕らと別れ、新宿駅に着いて各駅停車のホーム下にたどり着いた井野さんも、同じような感じにして僕と美穂のことを見送っていた。


「……というか、荷物それだけなの? 軽すぎじゃない?」

 新宿からの快速電車、武蔵境駅で降りてから家に向かう。僕は、隣にくっついている美穂の身軽さに違和感を覚え、そう尋ねた。


「えーっと、明日お兄ちゃんの家に着替えとか必要なもの宅配便で届くんだー。カバンに入っているのはとりあえず今日の着替えだけだよー」

「そう、ならそれでいいんだけど……」

「くふふ、お兄ちゃんの匂いだー」


 すると、誰もいない夜道なのをいいことに、美穂は頬ずりをしてくる。……同じ身長だから背伸びとかせず自然にできてしまうのか。……三年後、僕美穂に見下ろされてないかなあ。不安だなあ。


「ど、どうしたんだよいきなり」

 顔と顔が接することで、実家で使っている懐かしいシャンプーの香りと、長距離の移動で出てしまった汗の匂いが混ざって、僕の鼻をくすぐる。


 ……あと、腕にひっついた上に頬ずりをすると何が起きるかというと、腕に当たるんですねこれが。妹のだから別になんとも思わないのだけど、見ない間にすっかり女の子らしい身体つきになってしまったなあとちょっとしみじみ。……少しの間だけ、浦佐のことを思い浮かべたけど、すぐに追い払った。……不憫だ。浦佐が不憫で仕方がない。


「だって、お兄ちゃんと会えるの楽しみにしてたんだよー? 私。お兄ちゃんなかなか家に帰ってこないから」

 ……美穂の言う通り、実家に帰省はしなかった。別に実家が嫌いなわけでもないし、地元が嫌なわけでもない。ただ、帰るのが億劫になっていたのと、お金がかかってしまうから、自然と足が遠のいてしまったんだ。


「だから、この二週間は思いっきりお兄ちゃんに甘えるんだーにへへー」

「……そ、そっか、ははは……」

 身体は大きくなっても中身はそのまんまだな……。それはそれで凄いというか……。


 家に帰ると、とりあえずすぐにお風呂を立てた。長旅で疲れているだろうしね。数十分ほどしてお風呂が沸きましたのメロディが鳴り響くと、床に座ってテレビを見ていた美穂がベッドに寝そべって本を読んでいた僕の手を取って、

「お風呂が沸いたってっ。お兄ちゃんっ」

 と、花が咲いたように満面の笑みを浮かべる。


「……さ、先に入っていいけど」

 一応、僕は断りをいれておく。一応。

「……お兄ちゃん。さっき言ったよね? 一緒にお風呂に入ろうね、って」

 美穂はまた少しだけ不機嫌そうに唇を尖らせて、グイグイっと僕の体を引っ張る。


「で、でも、うちのお風呂狭いし、美穂ももう中学生だし」

「……お兄ちゃんは、私と一緒にお風呂入りたくないの?」

「……わ、わかったわかった。だからその腕離して……」

 美穂のお願いを聞かないと、基本的に最後は泣き落としにかかるから手に負えない。夜に泣かれるとお隣さんに迷惑がかかるから、ここは早めに手を打っておこう。


 台所に移動して、兄妹同時に服を脱いでいく。……ほんと、脱衣所ある家にすればよかったなあ。家賃ケチったのがここで響くなんて。一足先に移動していた美穂が脱いだものを脱衣かごに入っているのを見て、改めて成長を感じる。……ブラジャー買ったんですね。


「それじゃあ、先入ってるね、お兄ちゃんっ」

 タオルで隠すことも何もせず、本当に一糸まとわぬまま僕のほうを振り向き、狭い狭いお風呂へと入っていく。


 ……うう、心は子供で身体は大人に近づいているのが辛い。妹だけど。妹なんだけど。

 うっすらと見えた黒い何かに心のなかで涙を流し、僕はタオルで大事なところを隠して美穂の後を追った。

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