第78話 エン・カウントは突然に

 七月も下旬に入り、井野・浦佐の高校生組が夏休みに入った。お店に来る格好も高校の制服から私服に切り替わり、ふたりともある分野においてはオタクであるゆえお金が入り用で、ロングシフトや、週三から週四に増やしたりとお店にいる時間が増えていた。


 それに対して、大学生の水上さんはテスト直前、もしくはテスト期間、ということもあって週四のところを週三に減らしていた。まあ、これでとんとんと言ったところだろうか。


 ボトムの時期も過ぎて、また次のセールが近づいてきた。今度は八月、お盆の時期にある五日間に渡る大規模なセールだ。……そういえば、東京のお盆って八月じゃないらしいということを聞いて驚いていたり。


 次のセールでまた大量に在庫がはける予定なので、それに備えてストッカーのなかを整理して、パンパンに詰めておいたり、すぐに補充できるようにあらかじめ補充物を大量に用意しておいたりといった作業をここ最近は行っていた。でないと、セール中はレジで人を使うから、加工に人員を割いていられない。ひとりでも多く補充に回して開いた棚の穴を埋めないと売上は伸びない。


「……と、言うわけで今日は補充を完全にストップさせて、三人で本の加工溜めをしたいと思います」

 火曜日の休憩後。この日は僕と井野さん、浦佐の三人だ。水上さんは本来の出勤日だけど、さっき言った理由でお休みだ。


「わ、わかりました……」

「了解っすー」

 加工スペースに並ぶふたりに指示を出し、さらに僕は隣に置いたコンテナに手をかける。

「とりあえず、今日の目標、このタワー、全部加工済みにして箱に詰めることだからそのつもりでよろしく」

 ……僕の身長くらいの高さに積まれた本のコンテナ。


「じ、10オリもですか……?」

 井野さんはそのコンテナのタワーを見上げて少し慄いている。浦佐に関してはもはや顔が九十度上向きだ。

 ちなみに、ここで言うオリとはコンテナのこと。折りたたみコンテナ10個。略して10オリ。もしくは10オリコン。


「そう。ほんとは朝番のうちに半分くらい片づけるはずだったけど、今日万引きするアホがいたらしくてその警察対応でバタバタしてあまり進まなかったらしい。まあ……頑張れば終わるよ。多分」

 少し上ずりそうな声を押さえつけて、僕は後輩ふたりを説得する。……僕だって嫌だよこんな量一気に加工するなんて。本気でかかってギリギリ終わるかどうかだし。


「ま、まあ最悪終わらなかったら、僕か小千谷さんあたりが早出か残業してスタッフルームでわんわん泣きながら加工するから、やれる分までいこうか。とりあえず、僕がラベルを出すから、浦佐と井野さんはラベル貼りをよろしく。レジと買取来たらどっちか行って。で、加工済みになったものは箱に詰めてね。その際、冊数を数えて記入もよろしく」

「は、はい……」「わかったす……」


 冊数を記入してもらうのは、補充せずに残ったときのため。セール後に何があるかって……セールより地獄の棚卸しだ。いちいち箱のなかの本まで数えていられないから、今計算しちゃうんだ。これをミスるととんでもない事故が発生する。閉店後、始発まで仕事し続ける地獄行きの。……思い出しただけで寒気がする。


 お客さんが来ない間は、それぞれ手を動かしながら適当に雑談をする。三人もカウンターにいて無言とか、そうとう雰囲気の悪い店でないとあり得ない、と思う。

「浦佐は志望校決めたの? さすがにもう決めないとやばいと思うけど」

 どんどんバーコードをスキャンして、ラベルを印刷し続ける僕。


「とりあえず、家の近くにある私大の経済学部受けることにしたっすよ」

「あれ……浦佐さんの家って……」

「多摩川のすぐ近くっす。線路もすぐ近くを走ってるんで、録画に気を使うんすよねー、電車の音入っちゃうっすから」


 ……京王線で多摩川、の近くの大学。……完全なボーダーフリーの大学じゃないと思うんだけど、そこらへんわかっているのかねえ。こいつは。少なからず卒業が怪しい奴が何も勉強せずに入れるところではないと……。

「わ、私も多摩のほうにある大学受ける予定なんだ。もしかしたら近所になるかもね……」

「……でも、円ちゃんはまあまあ頭いいっすから、きっと自分とは縁もゆかりもない大学に入るんすよね」

 ラベルを漫画に貼る浦佐は、そう言っては遠くの棚を眺める。


「そ、そんなことないよ、ふつうだよ、ふつう」

 浦佐の反応を見た井野さんは指にラベルを貼ったまま手を振って謙遜し始める。……仲が良いのはいいけど仕事の手は止めないでくれ。

「……この間の模試、自分より偏差値三十も高かったじゃないっすか……円ちゃん」

「そ、それは……えっと……」


 おい、逆にどうやったら三十も偏差値に差がつくんだよ。井野さんが六十あると仮定しても浦佐三十じゃないか。それはさすがにまずくない?

 と、浦佐の学習状況に一抹も二抹も不安を抱きつつ仕事をしていると、ひとりお客さんがレジにやって来た。


「い、いらっしゃいませー」

 それを見て、レジに近いところで仕事をしていた井野さんが速やかにレジに入る。……きっと、気まずい空気になったんだろうな。

 とりあえず今はラベルを発行しないと、そう思いてきぱきと手を動かしていると、ふとレジからこんな声が聞こえてきた。


「お兄ちゃんはいくらで売ってますか?」

「……え、え? お、お兄ちゃん……?」

 困惑する井野さんと、どこかで聞いたことのある声。……そうだな、言うならば、数年前まで過ごしていた実家あたりで……。

 僕は顔を上げてレジのほうを見ると──、


「み、美穂……どうしてここにいるんだよ……?」

「あっ、やっとこっち向いてくれたー。やっほーお兄ちゃん、来ちゃったよー」

 高校卒業以来に見る、すっかり大きくなった妹の八色美穂やいろみほの目がほぼ同じ高さにあった。


「……っていうか、身長どんだけ伸びたんだよ……美穂」

 僕はその場に立ち尽くしたまま、いきなり現れた妹と話を続ける。

「えーっと、ここ三年で二十センチくらいかなー。一気に伸びちゃった」


 ポニーテールの髪は昔から変わらないまま、少し日に焼けた肌色もそのまま、人懐っこい感じの瞳もそのまま。だけど、身長だけはえげつない成長を見せていた。……僕と同じくらい、ということは、一七〇いかないくらい。


「……なあ、今、何年生だっけ」

「お兄ちゃん、私の年忘れちゃったの? 十四だよ、十四。今年で中学二年生」

「ち、中二でその身長……なんすか……? そ、そんな……」


 美穂の言葉を聞いた浦佐が、愕然として加工台に手をついてしまう。……井野さんといい美穂といい、今日はお前が散々な日かもな。浦佐からすれば、四つ年下なのに三〇センチも見上げることになるから、ショックは計り知れないと思う。……井野さんも女子のなかでは高い身長のほうだろうけど、同い年だしね。


「……そ、それは、まあ……いいんだけど、なんで東京にいるんだよ?」

「夏休みに入ってね、お兄ちゃんのところに行きたいってお願いし続けたら、お父さんがやっと折れてくれてね。今日特急で来たんだー。二週間、こっちで過ごしていいって」

 ……へえ、夏休み、ねえ。親の許可取ってる、ねえ。二週間、ねえ。ふーん。


「お兄ちゃん、何時にバイト終わるの? そこまで時間潰さないといけないんだけどさ」

 ……親父、聞いてねえぞ。妹が上京するなんて。報告連絡は基本じゃないのかよ。


「……お、お兄ちゃん……八色さんが」「お兄ちゃん……なんすか……太地センパイ」

 居合わせた井野さんと浦佐は、僕と妹のことを見比べては、そうぼそっと呟いていた。

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