第73話 ナンパは計画的に。触らぬ水上に祟りなし。
「すっごく楽しかったですね、八色さん」
「……そのようで何よりです」
流れるプールを三周して、ある程度満喫したところで僕と水上さんはプールから上がった。カバンにしまっていたスマホで時間を確認すると、もうお昼も回って午後の二時だった。
ビニールシートに戻ると、とても上機嫌そうに水上さんは微笑んで、足をぐっと伸ばしてくつろいでいる。
水上さんは楽しそうだけど、僕はそうでもなかった。彼女が落水するたびに僕は溺れかける水上さんを引っ張り上げないといけなかった。
水上って名前なのに暇さえあれば水のなかに落ちるものだから何回も何回も彼女の身体を抱えてボートに戻す羽目になった。途中、あれだったらお姫様抱っこみたいな感じにも。
普通、泳ぎが苦手な人ってこうなると元気がなくなるのが普通だと思うのだけど……水上さんは予定通りなのか計算通りなのか、それとも目論見通りなのか。全部同じじゃんという突っ込みはここでは聞かないでおく。
「八色さんったら……あんなに優しく触ってくれたと思ったらたまに男らしく抱いてくれるんですね……」
「言いかた」
顔を火照らせたまま言うんじゃない。
「ちょっと喉が乾いちゃったので、私飲み物買ってきますね。何か欲しいものありますか? ついでにこのタイミングでお昼にしようと思うんですけど、それでもいいですよね?」
「……うん、それでいいよ。だったら……なんか炭酸をお願いします。お金は後でいい?」
「ええ、大丈夫です。それと、簡単におにぎりだけは作って来たんです。あと適当に軽くつまめるものもどこかで探してきます、ではっ」
意気揚々とした足取りで水上さんは売店へと向かいだした。ラッシュガードを羽織って、適度に残った水滴を髪の毛から落としながらその影を小さくしていく。
「……やれやれ……」
以前みたいに、直接的に誘惑してくることは減ってきた。下着を見せてきたり、生の胸を押しつけてきたり、裸になって襲ってきたり。それに比べれば今日のそれは可愛いほうだ。不法侵入は除いて。
「それにしても……暑いなあ……」
ここのプール、パラソルは持ち込み禁止みたいで、日陰を作れるようなものは生憎持ってきていない。僕も、水上さんも。ビニールシートを敷いた場所もがっつり日なたのところだ。建物や木の影になるようなところは既に埋まっていたから。……まあ仕方ない。
「んん……」
ググっと腕を伸ばして仰向けに寝転がる。ちょっとした日光浴みたいなものだ。クソ暑いけど。
というふうに僕も家にいる要領でゴロゴロしていると、
「ねえねえ、君、ひとりー?」
「よかったら、ウチらと遊ばないー?」
近くを通りかかったビキニの女性ふたりに声を掛けられる。……片方は、程よく日に焼けた僕の苦手なタイプだ。
「え、えっと……?」
……これって、ナンパですか……? え? お約束と逆じゃない? 小説とか漫画だとたまにこういうシチュエーションで女の子が男に声を掛けられるシーンをしばしば見かけるけど、逆は見ないよ?
「なんか雰囲気柔らかいしー」
「押しに弱そうでなんか可愛いしー」
……宮内さんと似たようなこと言われた。そんなに僕、弱っちい雰囲気なんですか? それはそれで、なんかショックというか……。
「ひとりよりウチらと遊んだほうが楽しいよー」
「ほら、あそこのスライダー一緒に行こ? ね?」
上半身だけ起こして座っていた僕は、両腕をそのふたりの女性に取られてしまう。そのさい、たわわな膨らみが当てられてしまう。
「いやっ、ちょっ、それは」
「ほらー、やっぱり草食系だー」
「初心だねー、ちょっとおっぱい当てられただけで顔赤くしちゃって、かっわいいー」
……僕の抵抗空しく、一見連行のような形で僕はほぼ同年代の女性に誘拐されそうになると、
「……八色さん? 一体どこに行かれるんですか?」
僕の背中側から、凍りついた水上さんの声が刺さってきた。もはや水上ではなく、氷上さんと呼んだほうがいいかもしれない。
「みっ、水上さんっ、いやっ、違うんだこれはっ」
このままだとあらぬ誤解を招くと判断した僕は、口だけでなんとか説明を試みる。彼女は両手にロングポテトとカップに入ったジュースを抱えたまま、僕と女性ふたりの前に立ちふさがる。
「……すみません。彼、私の連れなんで、勝手に連れて行くのはやめてもらっていいですか?」
「えー、ちょっとくらいいいじゃんー」
日に焼けたほうの女性が唇を尖らせてそう言ってみるも……。
「……ふふふ、面白いことおっしゃるんですね。下品に胸を押しつけちゃって……。そんなことしても、彼は喜んではくれませんよ? 経験済みなんで」
怪我の功名とはこのことか。水上さんにとっての汚点であろう過去を利用してナンパ女を追い払おうとするなんて、世のなか何があるかわかりませんね。やっぱりものは経験。……って言うのは簡単ですが。っていうか、下品って理解しているんですね。そっちのほうが意外だ。
で、暗に「自分もそういうことをした」ということを伝えることで、僕と水上さんの関係を誤解させるように仕向けている。いや、水上さんにとっては誤解させるともりではなく、真実を伝えているのかもしれないけど、僕と水上さんは付き合っているわけではない。
「そ、そうなんですねー。はははー」
「しっ、失礼しましたー」
どうやら水上さんの意図通り、女性ふたりは僕と水上さんのことについて勝手に誤解してくれたみたいで、僕を腕から解放してどこかに逃げ去っていった。
「……どういうつもりなんですか? 八色さん」
へなへなとその場にしゃがみ込むと、水上さんは僕のすぐ側に立って、さっきの女性に向けたような凍った顔を差し向ける。
「だらしなく鼻の下伸ばして……。私のときはあんなに反応芳しくなかったのに……あんなふうな軽い女性のほうが好きなんですか?」
軽い人は好きじゃないけど、何事もほどほどって言うでしょ? 水上さんほど重たい人も得意ではないよ……僕。
「いや、それはないというか……。さすがにあんな感じの人は苦手で……」
「……じゃあ井野さんくらいの大人しめな子がお好みで?」
どう答えても僕は詰みなのでは。
「な、なんでそういう話になるんだよ……そんなことないって、別にタイプとかそういうのはないよ……」
「……まあいいです。八色さんに引っつく悪い虫は払うに決まってます。そんなことより、お昼にしちゃいましょう」
凍った表情を少し溶かして、かばんのなかから保冷剤が詰められた小さなバッグを出して、アルミホイルに包まれたまあるいおにぎりを並べる。その数五個。
「お口直しに、食べましょうか?」
……そういえば、水上さんの料理初めて食べるけど……どうなんだろう。
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