第62話 井野さんとDVD

「え、えーっと……DVD返しに……歌舞伎町にあるレンタルショップへ」

 別に言葉だけ見ればやましいことはないから、ダラダラと汗を浮かべながらも僕は正直に答えた。……返そうとしているのはがっつりやましいものなんですが。

「でっ、でしたら私も一緒についていきます、そんなに遠回りにもなりませんしっ」

「……そ、そう? まあ、別に……いいけど……」


 ほんとは全然よくないけど。女子高生と一緒に歌舞伎町行ってレンタルビデオ店にAV返しに行くって、これなんて企画ですか? ……他意はない、偶然だ偶然。


 断るとそれはそれで怪しまれそうなので、仕方なく僕は同意して、西口から京王百貨店や小田急線の駅がある方角へと歩き始める。いつもは地下通路を通って駅に向かっているけど、今日は地上だ。


 この時間帯の新宿はこれから帰宅する人でいっぱいで、なかには「居酒屋どうですか? 待ち時間なしで案内できるんですけど」「カラオケ探してますか?」とかそういう客引きも見られたり。僕は高校の制服を着た井野さんがいるから、居酒屋の客引きは来なかったけど。


「……ところで、何を借りていたんですか?」

「えっ? ああ……えーっと洋画とか邦画とか……適当に」

 まさか馬鹿正直にえっちなビデオですとか言えないし。っていうかそもそも借りたの僕じゃないし。今度友達に学食の焼肉定食でも奢らせよう。それくらいの対価は支払っているよね僕。


「……八色さんって、映画も見たんですね」

 やや意外そうに口をすぼませている井野さん。……確かに、そんなに映画を見るなんて話を僕はしない。実際そうだし。せいぜい好きな小説が映画化されたら見に行く、くらいの程度だ。知り合いに毎日映画館通っているガチ勢がいるけど、そいつの話を聞くだけで映画はお腹いっぱいだ。


「ま、まあ……たまには?」

 今にも下手くそな口笛を吹いて誤魔化したい雰囲気だ。


 西口から大ガードを抜けて、靖国やすくに通りに出る。何もかもが狭い空間に凝縮された街並みはまさに東京そのものだ。特に、新宿は眠らない街って形容もされるくらいだし。人がまったくいない瞬間なんて存在するのかと思うくらいだ。たまに早朝にここら辺あるくときもあるけど、それでさえ酔いつぶれたおじさんとかが歩道を千鳥歩きしているから凄い街だ。実家付近でそんなことしようものなら一瞬でご近所の噂になってしまう。


 さて、そうこうしているうちに目的のレンタルショップに到着した。雑居ビルの小さいエレベーターに乗り込んで、ようやくこれで終わる……と一安心をする。

 僕はカバンの口を開けて、布製のバッグに入ったレンタルDVDを出す。

 途中、手前のフロアでエレベーターが停止した。


「あっ、すみません、降りまーす」

 一緒に乗り合わせていた人の集団がぞろぞろと降り始める。エレベーターのドア付近に立っていた僕は出る人波に揉まれてしまい、右手に持っていたDVDを落としてしまった。


「八色さん、落としましたよ」

 すぐにドアは閉まって、僕と井野さんのふたりだけになった密室空間。井野さんは散らばった透明のDVDケースを手に取って、そして、

「……えっ、あっ、こっ、これって……」


 なんてこった……。こうなるんだったら、お店に入ってから口を開けるべきだった。でも、店内でカバンの口開けるのって少し抵抗あるから……。万引きするみたいで……。

 井野さんはラベルに印刷されたタイトルをまじまじと見つめ、ポッと頬を紅潮させる。


「……や、八色さんも……こういうの見られるんですね……」

 少しだけ申し訳なさそうに身をよじりながら、彼女は僕にDVDを手渡す。……なんか、すみません。ほんとに……。


 ここで「いや、これは友達が借りたので」と言うこともできただろうけど、このタイミングで言うとどう聞いても言い訳にしかならない。……悪手だ。

「え、えっと……って、は?」

 井野さんから受け取ったもののタイトルは、僕が予想していたものとは百八十度違うものだった。


 ……アニメ『美男子イケメンに抱かれちゃ──


 え? 待って? あいつ、AVだけじゃなくてBLアニメも借りてたの? 何それ僕聞いてない。……ウェイウェイ待て待て待て。なんかすっごくキラキラした瞳で井野さんが僕を見ているけど待って、待ってこれは僕が借りたのじゃなくて。


「ちっ、ちがっ、これは友達がっ」

「誤魔化さなくてもいいですよ八色さん。そのアニメは入門にはうってつけの良作ですっ激しすぎず軽すぎず性描写も程よくソフトにまとまっていて初めて見る人でも楽しめる作品なんですっ特に八話の主人公と──」


 しかも井野さんのスイッチが押されてしまったようだ。超絶怒涛の早口でそのアニメの布教をしてくれている。

 ……ある意味、素直にAVのタイトル見られたほうがまだマシだったかもしれない。三枚重ねて手渡されたDVD.下にある二枚はきっちり「女子校生」「JD」の定番ワードが目に入った。


 DVDを返却ボックスにいれて、またエレベーターに乗ったのだけど……。

「言ってくだされば、円盤持っているのでお貸ししたのに……」

「い、いや……えっと……」

「BL二本目におすすめのアニメがあるんですけど休暇中にいかがですか? さっきのより少し恋愛関係が重くドロドロした感じになるんですけどとっても面白いんです」

「……あ、いや……」


 さっきからずっとこんな調子だ。新宿駅まで歩く途中、僕は延々と井野さんにBLアニメのおすすめを教えられてしまい、別の意味でゲッソリとする羽目になってしまった。

 ……焼肉定食、肉増し米増しだなこれ。絶対ただじゃ許さねえ……。

 頭のなかでニヤニヤしている友人の顔を思い浮かべ、僕はそう固く決意した。


「……わかってはいたけど……暇だ……」

 翌日。迎えた僕の夏休み。大学もテスト期間が近づいているけど、単位を取り切っている僕にはそれすら関係のない話で、ほんとにすることがない。

 買っただけで机に積んでいた未読の単行本を朝起きてからひたすらに消化し続ける引きこもり生活を過ごす。


 お腹が空けばカップラーメンを、喉が乾けば500ミリのコーラを飲んで、ただただページをめくり続ける。

「……ああ、でもこうやって落ち着いて本読めるのって久し振りかも……」

 週五契約に変更する前の大学三年生の前期以来かも……。その前は週四だったから……。


 なんてベッドに横たわりながら本を読んでほくほくしていると、枕元に置いてあるスマホがピコンと音を鳴らした。

「……何だろう」


いの まどか:八色さん……ツッコミが不在でお店が回りません……( ;∀;)

いの まどか:何かいい方法ありませんか(涙)


「……わお」


八色 太地:……心を殺すか、自分もアホになるか。その二択だと思うから頑張れ


 ……普段の僕の突っ込み量を知って少しはいたわって欲しい。というかまだ夕礼前の時間だよね? そこでSOSが出るって……。

 どれだけボケ倒しているんだあいつらは。


「ま、今は休暇中だし、バイトのことは忘れてのんびりしようっと」

 少し悪いと思いつつも、スマホの電源を切って、僕は読みかけの本の続きを読みだす。

 この間買ったサイン本、やっぱり面白い……。また来月に新刊出るんだよなあ……。

「……ゆっくりできる休暇って最高」

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