第61話 自宅警備は厳重に
「……あの、みんな何か喋ろうよ。お店出てから一言も話してないよ……?」
閉店後、新宿駅へと四人で向かう途中、会話は一切生まれなかった。
「べっつにー。女たらしの太地先輩と話すことなんて何もないっすよ」
「……ちょっとショックです……あの後に水上さんと会っていたなんて」
「私は別に話してもいいんですけど、なんか空気が重たいので」
……八方塞がりなんですけど。主に高校生組の反応が冷ややかだ。
「はぁ……じゃあ僕にどうしろって言うんだよ……別にそんなつもりはなかったのに」
「太地先輩、お家の最寄り駅ってどこなんすか?」
話すことなんて何もなかったんじゃないのかよ。都合いい会話だなあ。
「……言うわけ」
この流れ、教えたらこいつも押しかける気だ。僕の家はフリーWi-Fiスポットではないからな。場合によっては入場料の徴収も検討するから。
「水上さんはよくて、自分は駄目なんすね。因みに円ちゃんだったらどうなんすか?」
「いや……別に水上さんもいいわけじゃ。井野さんも駄目だけど」
「でも、泊めたわけっすよね?」
「ぐ……」
そこは紛れもない事実なので、どう弁解することもできない。……いや、ほんと無理だから。走っても走っても表情変えずに追って来られるとかホラー映画のそれだから。あれで断れるのは鋼の心臓を持った人間だけだ。
「で、最寄り駅はどこなんすか?」
「…………」
「水上さんは知っているんすよね? どこなんすか?」
浦佐は埒が明かないとばかりに、聞く相手を僕から水上さんに変更したようだ。けど、水上さんはニコリと張りついた笑みを作っては、
「勝手に八色さんの住所教えるわけにはいかないんで」
と。……僕の許可なく待ち伏せした人が言う台詞とは思えないですね。ええ。
「むう……男性とは思えないガードの固さっすね」
「悪かったなガード固くて」
……これが普通の人だったら何の抵抗なく教えたよ。でも、君ら教えたらきっと来るでしょ? 前触れなく。だから嫌なんだよ……。
そんな攻防戦をしているうちに、京王線と、JRの改札口に到着した。僕はポケットから定期券を出して、改札にタッチする準備をしようとしたけど。
「スキありっ」
それを待ってましたとばかりに、右手に掴んだICカードをひょいとひったくっては、まじまじと券面を見つめている。
「あっ、ちょっと何するんだよ、返せって」
「ふむふむ、武蔵境←→市ヶ谷……円ちゃんと同じ方向なのは知ってるから、お家は武蔵境っすね太地先輩」
してやったりとしたり顔の浦佐は僕に定期券を返し、鼻歌を歌いながら軽い足取りで京王線の改札に駆け出す。
「それじゃあ、自分はこれで帰るっすーお疲れ様っすー」
「あっ、ちょっ……」
「……武蔵境なんですね、八色さん……」
「え」
……まずい、小千谷さんも僕の家を知っているから、これで夜番の同僚全員に僕の家の最寄りまでは把握されたことになる。
通学経路、変えようかな……。
僕が有給休暇に入る直前の六月末。高校生組のご機嫌も取って、この日が休暇前最後の出勤になるのだけど……。僕はひとつ危ない橋を渡ろうとしていた。それは。
カバンのなかに、レンタルショップで借りたムフフなビデオが入っているということ。
僕が借りたわけではない、そこは神に誓ってもいい。大学の友達が勝手に借りたのを持ってきて、それをあろうことか僕の家に置いて行きやがって、しかも回収するの面倒だから返しておいてーと頼まれた次第だ。ちなみに今日が期限らしい。
そのラインが来たとき、DVDを叩き割ってやろうかとも思ったけど、借り物だからそれはやめておいた。その友達ともかれこれ四年間単位取得の協力をし続けた仲なので、無下にするわけにもいかずこうしてリスクを負っているわけなんだけど、正直気が気でない。
こう……わかるかな、初めて本屋さんでエロ本を買う直前の背徳感というか、緊張感というか。それに近いものを今僕は抱いている。専らデジタルに移行した僕にとって、ビデオの返却だけでも十分耐性がないから、平常心は失われる。
「八色おお、休暇前に俺と飲みに行こうぜ……」
仕事も終わって、これから帰宅するというときに、涙目になった小千谷さんが僕にそう絡んできた。
「これからお前がいない間俺は週五で勤務してほぼ毎日売り場に出るっていう地獄の二週間を味わうことになるんだ。せめてその前に酒を飲みたい……」
「……それを地獄だとするなら僕は毎週地獄にいることになるんですけど」
「お前はMだからそれでいいんだろ」
「その認識改めてもらっていいですかね。おかげで水上さんが勘違いして大変なんです」
「ん? 水上ちゃんが勘違いすると何かあるのか? 八色」
「……いや、何もないです」
まずいまずい、この人に水上さんとの顛末を話すと確実にネタにされる。
「と、とにかく、今日は早く帰りたいので、飲みはなしです」
あと、カバンにAV入れたままどこかに行きたくない。色々リスクが増す。
「ええー? お前いっつもこういうときは付き合ってくれるのにー。……さっさと帰って見たいビデオでもあるのか? ビ、デ、オ」
そこを強調して言うな、あからさまにあからさまでしょうが。
「……さ、津久田さんでも召喚しようかなあ。これから飲み会するんですけどどうですかーって」
「おっ、お前まで佳織と連絡するようになったのかよ。それだけは勘弁してくれえ、佳織が来ると確実に地獄になるから」
「酔っ払うんですか?」
「……強すぎて俺を潰す」
「わお」
想定の反対で驚きです。へえ……そうなんだ。それは意外。……でも、お酒の場、結構数踏んでそうだし、強くても不思議ではないか。
「わかったよ、今日はなしでいいから、休暇明けにでも一杯やろうぜ。ここ最近、お前と飲んでなくてネタが溜まってるんだよネタが」
「はいはいわかりましたよ」
「八色さん、小千谷さん、帰らないんですか……?」
「あー、はいはいごめんもう帰る帰る」
先に出ていた井野さんを待たせていたようで、スタッフルームに残っていた僕と小千谷さんは慌てて帰る支度を整えて、お店を後にした。
「んじゃ、また二週間後なーお疲れー」
「お疲れ様でーす」「お疲れ様です……」
小千谷さんと別れ、いつものように駅に歩こうとした井野さん。僕は彼女を呼び止めるような形で、
「あ、ごめん、僕ちょっと寄らないといけないところあって、ここでいい?」
少しうわずった声で、さっさと退散してしまおう、そう目論んだのだけど……。
「……ど、どこに寄られるんですか……?」
普段大人しい彼女は、こういうときに限って食いつきがよい。……なんて言おう。
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