第60話 正解は三角ではなく四角

 その日の出勤前のひととき。今日は小千谷さん以外の四人が出勤する日で、珍しく四人シフトとなっている。僕は例によってスタッフルームでスマホをいじって水上さんが到着するのを待っていた。既に浦佐と井野さんは来ていて、かたやゲーム、かたやスマホで漫画を読む、といういつも通りの光景を繰り広げている。


「お疲れ様です……」

 なんてことをしていると、少し焦ったような面持ちの水上さんがお店にやって来た。

「あ、あの八色さん、私スマホを」

「うん、あったから持ってきたよ」

 僕は一度ロッカーに向かい、カバンにしまっていた水上さんのスマホを取り出す。


「はい」

「あっ、ありがとうございます……てっきりどこかに落としたのかもって思っちゃって……」

「全然全然」

 浦佐はそんな僕らふたりをあんぐりと見て、


「……どうして、太地先輩、水上さんのスマホを持っているんすか?」

 と不思議そうに尋ねる。

「……え? えーっと……」

「くんくん……それに……なんか、太地先輩と水上さん、同じシャンプーの香りがするっす」

「へ?」


 こ、こいつの鼻は犬なのか……? そんな近い距離にいないぞ? 手は伸ばしても届かない。

「や、八色さん……? だ、だって昨日は私と一緒にいたんじゃ……」

 井野さんは井野さんでなんか不安そうに僕と水上さんの顔を見比べているし。

「太地先輩、まさか円ちゃんと野球見たあと、水上さんをお家に入れたんじゃ……」

「……あ、いや……えっと……」


 僕が答えに窮していると、どんどん浦佐の表情は曇っていく。

「見損ないましたよ……太地先輩。そんなとっかえひっかえ女遊びをする人だったなんて」

「ちっ、違うって、そんなんじゃなくて、水上さんがなんか知らないけど駅にいて、電車なくなっちゃったから仕方なく泊めただけで、そんな他意なんて」

「なんか知らないけどなんて……ひどいです八色さん」

「……自分のときはあんなに駄目って言ったのに」


 水上さん、半分面白がってますよね? やや演技入っているよね? あからさまに涙目作っても無駄だってでも状況はカオスになってるよどうしろと。

 最後に浦佐はあからさまにむくれて見せては、やや荒く携帯機のボタンを連打している。井野さんは変わらずキョロキョロと所在なさげに辺りを見回しているし。

「……ずるいっす、水上さんだけ」

 え、ええ……? 嫉妬の方向おかしくない?


「みんなあ、お疲れ様あ……ってどうしたのお? なんか空気が殺伐としているわよ?」

 ……やばい、ここで火にガソリンをぶち込む宮内さんがやって来た。

「……すんすん、あらあ? 水上さん、シャンプーと柔軟剤変えた? なんかいつもと違うスッとした香りがするわねえ、言うなら、太地クンと同じ……」


 浦佐も犬なら宮内さんも犬ですかね。予想通りガソリン注いでいただいてありがとうございます。宮内価格でレギュラーはリッターいくらですかね? 結構贅沢に使ったと思うんですが。

「さ、さあ、そろそろ着替えないとなあ」


 これ以上は分が悪いと見た僕は、一時撤退するために席から立ち上がって更衣室に逃げようとする。

「あらあら? あらあらあ? なんか楽しそうなことになってるう? もしかして」

 レギュラーに飽き足らずハイオクまでぶっこみますか? その姿勢ほんとに尊敬します。


 何やら楽しそうに喜色漂う声を発する宮内さんは相手にせず、バタンと更衣室のドアを閉める。

「ワタシ、こういうドロドロした空気だあいすきなの。いやねえこれに虎太郎クンも混ざれば」

「それはないっす」「……それはそれで別にあり、かもです……」「それはちょっと」


 なんだろう、見えないはずなのに誰が何を言ったかはっきりわかる。あとそこの腐女子。勝手に僕と小千谷さんをくっつけようとするな。それは色々な方面に問題が発生するから。津久田さんとか。

「ああもう、僕がいないところで勝手な話しないでくださいよっ」


 しかし、更衣室から出た僕には矢のような視線が四つ飛んでくる。

「……いや、水上さんと同じ香りさせて言われても説得力ないっす……」

「…………」

「さ、自分も着替えるっす」「私もですね」「……私も」

 お、おーい……なんで僕だけ悪いみたいになっているの? 僕は水上さんのわがままに付き合ってあげただけなのに……。


 なんかいたたまれない雰囲気になってしまった今日。金曜とは言え四人いてかなりシフトに余裕があった。浦佐はスタッフルームでゲーム本体をいじってもらうことにした。なんかご機嫌斜めになっていたし、これでお茶を濁す、という意味もあったけど。


 井野さんもなんか気まずいふうに僕に接しているし、水上さんと一緒にカウンターに籠って漫画の加工をしてもらうことに。……それはそれで問題が起きそうだけどもう知らない。僕が誰かと一緒にいると集中砲火浴びるからもう嫌だ。


 で、僕は僕で無心で本の補充をする。

「おっはー、少年。なんか顔が死んでいるけど元気してる?」

 なんてしていると、いきなり近くから女性の声を掛けられる。そのほうを振り向くと、ニコリと笑みを零す津久田さんが。


「……ど、どうも。今日も買取ですか?」

「ううん。今日は普通にお買い物。まあ、あと浦佐さんの様子を見に来たのも兼ねて」

「あ、ああ……なるほど」

「で、どうかしたの? まるでゾンビでも目にしたような顔色してたけど」


 棚に刺さっている文庫本を一冊適当に手にした津久田さんは、パラパラと本をめくりながらそう言う。

「そ、そこまでひどい顔してますか……?」

「君がそんな顔するなんて珍しい。何かあったの?」

「……いや、まあ、色々ありまして……」

「色々ねえ。ここのバイトさんは色々、抱えている人がいっぱいいますねー。こっちゃんとは大違い」


 ……あの人は逆に何も抱えなさすぎです。きっと。

「カウンターのふたりもなーんかギクシャクしてるし。もしかして、恋の三角関係でも勃発してる?」

「……どうなんでしょうね、ははは……」

 正解です、はい。


「そういえば浦佐さんは? バックに下がってるの?」

「は、はい。売り場にはいませんよ。おかげさまで、なんとかなったみたいで」

「いやいや、私はただただ手伝っただけだから。何もしてないよ」

 そう津久田さんと会話をしていると、背中から視線を再び感じる。


「やっぱり人気者みたいだね。八色君」

「……だといいですけどね……」

 カウンターに立つ二名からまた冷たい目を向けられた僕は、肩で息をついて、再び補充物の山をカートから持っていった。……なんで僕がこんな目に……。

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