第56話 聖域は人それぞれ、個人差があります(ここ大事)

 試合はそのままシーソーゲームのまま荒れた試合模様で続いた。バックスクリーンの得点表記はとうとうお互い二桁に到達。……なんつー試合だ。

 ホームチームが一点ビハインドで迎えた九回裏。もう既に時刻は十時を回っている。だからだろうか、太鼓やトランペットの音は鳴りを潜め、手拍子とスティックの音だけが響くある意味異様なムードになった。


「さて……最終回か……クリーンナップに回るから一波乱起こして欲しいけどね……」

 両膝に肘をつき、口元を手で隠す章さん。……何も疑わずに聞けば、贔屓のチームがサヨナラ勝ちして欲しいって意味なんだろうけど、あなたが言うのを聞くと、サヨナラ勝ちで選手同士が絡むのを見たいっていう不純な動機に見えます。


「ま、この空気で大人しく試合が終わるとも思えないけどね」

 それはそうでしょうけど……。なんて内心苦笑いを浮かべていると、周りの歓声が一段と大きくなった。

「お、先頭がデッドボールで出塁だ。やっぱり何か起きるぞお」


 ワクワクと瞳を輝かせる章さん……と円さん。そこの親子。本当にチームの勝ちを願っているんでしょうね。

 続く二番打者は送りバントを決めて、三番打者はライト前にヒットを打って繋げた。これで、一死一・三塁のビックチャンスで打順は四番だ。


 応援席は大盛り上がりで、さっきからずっととある有名な夏の曲を使ったチャンステーマが流れ続けている。

「さてさてここで四番かあ、期待できるぞお」

 ワクワク、ワクワクと井野親子ともども、スタンドの周りの観客の期待値が上昇している。


 そして、四番への初球。緩い弧を描いたボールがちょうど選手のベルトの高さ、打ち頃の絶好球となり、次の瞬間には、

「おっ!」

 あたりからそんな声があちこちと聞こえては、周りの人がみんな立ち上がる。


 視線は空にポンと浮かんだ白球を追っていき、そして、その行く先は、ホームのファンが待つライトスタンドに飛び込んでいった。

 その直後に、周りの人が飛び跳ねたり騒いだりのどんちゃん祭り。ただ、仕上がっているファンはすぐに傘を開いて、振り回し始める。


 そんななか、

「「…………」」

 サヨナラ3ランホームランを打ったバッターがホームインした直後、ベンチから飛び出してきた味方の選手にクーラーボックスの氷水をぶちまけているのをジーっと眺めている人がふたり。


「……あの、サヨナラしたんですけど……」

 僕はきょろきょろと両隣の父と娘を見やるけど、そのフォームは変わらない。

「……あのー」

「やっぱりそそるわー」「そそりますね……」


 おーい章さん。何スマホでパシャパシャ写真撮っているんですか……? そこの娘、何瞳輝かせて光景を焼きつけている。別に要素どこにもないよね? え? もしかしてそこの界隈の人って何でもありなんですか?

「はぁ……」


 やっていられなくなった僕はほんの少し残っていたコップの生ビールを一気に飲み干して、

「勝ちましたねー! よかったですねー!」

 と、叫んだ次第です。


 ヒーローインタビューが終わって、人の流れについていくように球場を後にする。満足そうな顔をした人がほとんどのなか、僕と一緒に歩いているおふたりは別の意味でつやつやとしていらっしゃる。


 なんだろう、花火乱発の大盤振る舞いで、試合後のトークも大盛り上がりしそうなものなんだけど……。っていうか、周りはそうなっているんですけど……。

「お父さん、野球観戦もたまにはいいね……」

「……だろう? たまにはいいだろう? 円」

 なんか虜になった人がいるんですけど……。


 人混みのなか、球場から千駄ヶ谷駅に戻る道すがら、なんか別の意味で満足気な顔をしたふたりを両脇に歩いていると、今度は僕じゃないスマホが着信を知らせた。

「あっ、僕のスマホだ、えーっと……げっ」


 章さんが電話を掛けてきた相手の名前を確認すると、途端に顔色を怪しくさせる。そして無言で画面をスワイプしたのち、何も見なかった、というように平然と歩き始める。

「い、いいんですか? というか、こんな時間に電話掛けるって、急ぎの電話なんじゃ」

 でなければ家族からか。それだと電話切る理由ないし……。


「う、うん。いいんだ。別に、きっと急ぎの用事じゃないだろうし……ははは」

 ……怪しくね? なんて思っていると、

「あっ! 見つけた綺羅野きらのさんっ! やっぱり野球見に行ってた!」


 千駄ヶ谷駅前についたところで、そんな若い女性の声が聞こえてきた。

 ……その名前を呼ばれると、何回か僕がしたような顔の動きを章さんはする。

「締め切りもう落としてるんですよ? お家に行ったら娘さん連れて野球見に行ったって言うからここで張ってたら! さあ、はやく残り五十ページ描いてください!」


「あっ、ちょ、待って待って、僕はまだ円の彼氏候補とまだ話をしたいのにー」

「彼氏だか婿だか知りませんが、はやく原稿用意してください。さ、缶詰部屋行きますよ、タクシー!」

 首根っこ掴まれて引きずられる章さんを呆然と見送る子供ふたり。


「……あ、あの……井野さん。……今の女性は」

「お、お父さんの担当さんで」

塩沢しおざわですっ! 円ちゃん、お父さんお借りしてきますねっ!」

 ご丁寧にありがとうございます……。

「ほら、はやくうらやまけしからん続きを見せてくださいっ。気になって朝も起きれないんですから私っ」

 ……いや、やっぱりおかしい。朝は起きてください。ええ。

 そうして、つい最近見た誘拐現場と同様、章さんはタクシーに乗せられてしまい、


「ごっ、ごめん八色さん、円を家までよろしく頼むよっ! わわ待って待って、やるからやるから、ノートパソコンの角で頭ぐりぐりしないでっ! ひゃあああ!」

「り、了解です……」

 嵐のように章さんは連れ去られて、結局僕と井野さんのふたりになる。


「……ちなみに、キラノさんって」

「お父さんのペンネームです。フルネームで綺羅野亜衣きらのあい。綺麗な修羅の野原に、亜細亜の衣です。……いのあきらのアナグラムで」

 ……うん、っぽい漢字ですね。よくこういう感じの名前の作者さん見ます補充で。


「そ、そっか……」

「で、でも……まさか締め切り落としてるなんて、知らなかったです……」

「とりあえず……帰ろっか」

「そ、そうですね……」

 なんか思わぬ形でふたりになってしまったけど、とりあえず早めに家に……。


 とホームで電車を待っていると、

 キュウ。

「……あ、え、えっと……」

「……どこか、家の近くで何か食べてく?」

 お腹の虫が鳴った彼女の様子を見て、僕はそう提案してみた。

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