第55話 聖域なき妄想、プライスレス

「……球場にはよく行かれるんですか?」

 一塁側の内野席、章さん、僕、円さんの順に座っている。膝の上には売店で買った焼きそばがポンポンポンと三つ。

「んんー、月一くらいかなあ。知り合いがシーズンチケット持っていてね、たまにそのおこぼれを貰うわけなんだ」

「……そうなんですね」


 と言ってもまあ、買った焼きそばは章さんのいつもみたいで、売店で売っている焼きそばに、フライドポテト、あと生ビール。僕も成年しているので、それに付き合うことに。高校生の円さんはメロンソーダで手打ちらしい。……未成年の娘に酒飲ませようとすな親。

 ジュースホルダーに差したポテトのカップからしなしなのそれをひとつつまみ、おいしそうに食べる章さん。


「やっぱりポテトはしなしな派なんだよねー、塩が効いていて」

「……糖尿になるよ、お父さん」

「怒られちゃった。じゃ、しなしなの部分は八色さんにあげるとしよう。はい、どうぞ」

 少しだけ残念そうに苦笑いを浮かべた章さんは、そう言い萎れたポテトを僕にあげようとする。僕はそれを指で受け取ろうとするけど、


「あー、ノンノン。そこはあーんでしょ」

「ぶっ、けほっけほっ。お、お父さんっ? な、何言っているの?」

 ……おい井野さん。言動と行動が一致してないよ。否定しているのに期待に瞳が輝いているよ? ……あなたは実親も対象になるんですね? 聖域はないんですね。


「ほら、八色さん、あーん」

 ……年齢知らないけど恐らく四十代男性からポテトのあーんを要求される大学生僕。何この状況。

「い、いや……さすがにそれは……」

 僕が固辞すると、章さんはケラケラと笑ってみせて、差し出した僕の右の手のひらにポテトを乗せる。


「ごめんごめん、冗談冗談。理解があるのと、それを実行できるのは違うからねえ。あ、ちなみに僕はどっちでもイケるクチだよ」

「……は、はあ」

 知りたくもない情報ありがとうございます。

「……あき×たい……意外とあり……なのかな?」

 そこの腐女子よ、実父とカップリングするんでない、色々ややこしくなるでしょうが。


「で、何の話だっけ、ああ、球場にはよく行くのかって話だっけ」

 ちょうどそのタイミングで、両チームのスターティングメンバ―の発表になったみたいで、遠いレフトスタンドの応援席から太鼓の音が響き始める。

「一番、センター──」

「やっぱさ、スライディングとかで選手と選手が至近距離に近づくの見たり、ホームランパフォーマンス見たり、サヨナラで選手が抱き合うの見たりすると──」

 なんだろう、物凄く嫌な予感がする。


「──すっごくそそるよね」

 ……知ってた。なんとなくわかった。純粋な瞳でグラウンド見下ろしながら汚れたことを言わないでお父様。グラウンドにはゼニが埋まっているってよく言うけど、掘る場所間違えないでくださいよ? ちゃんとマウンドかバッターボックス掘ってくださいね?

「お、いい飲みっぷりだねー、八色さん、お酒強いの?」

 酒飲まなきゃやってられなさそうなテンションだ。

「……普通ですよ。グラス三杯も空けたら顔赤くなるんで」


 その後、ホームチームのスタメンもコールされて、一時球場内のボルテージが上昇する。太鼓やトランペットの少し掠れた音や、メガホンスティックを叩く乾いた音だったりが近くから鳴り始めて、その音で声がかき消されてしまいそうだ。

「外野席、ライトスタンドは埋まっているんですね」

 盛り上がっているスタンドを眺めつつ、僕は章さんに話しかける。


「うん、まあこのカードならこんなもんだよ。逆に内野席は空いていることが多い。七時を回ればもう少し増えるんじゃないかなあ」

 そろそろ頃合いかな、と言い章さんは膝上に乗せていた焼きそばを開けて、持っていた割りばしを上下に割り、

「やっぱり球場に来たら焼きそばだよねー、この昔ながらのソースがたまんない」

 表情を崩して恍惚な笑みを作る。


「そ、それじゃあ僕も……」

「わ、私も……」

 それにつられるように僕らもふたをパリと開けてソースの絡んだ中華麺を頬張る。

 ……これはこれで、美味しい。


 試合はえげつない乱打戦になった。初回から五回までスコアボードに「0」が点灯したのはふたつだけだ。既に両チームの先発投手はマウンドを譲っていて、ホームチームはすでに三人目のピッチャーが登板している。

「やっぱりこういう展開になるよねー」

 章さんはポテトをつまみながら、カップのなかの生ビールを飲んで満足そうに笑う。


「五回終わってホームラン合わせて四本……ヒットも計二十本って……」

 これはバッターが凄いのか? それともピッチャーの調子が悪いのか?

 そういう試合展開だからか、進行は遅めで、半分終わったところで時計の針は既に八時を回っている。大抵三時間で終了するプロ野球でこの速さは平均より遅めだ。


 僕の右隣に座っている円さんは円さんで、選手と選手が絡むたびに「はぅ」とか、「……○○×△△」とか、不穏なひとりごとを呟いていらした。……本当に見境ないな。まあ、本人が楽しめているのならいいです。もう。


 意外と驚いたのは、円さんは野球のルールも把握していて、普通に試合を見ることができたということ。振り逃げのルールやボークまで知っていたあたりは普通の女子高生ではない(なんだったら恐らく僕よりわかっている)、と思ったのだけど、そういえばというか当たり前のように彼女はオタクだ。

 ……そして、界隈でまあ人気が出そうな野球漫画がアニメ化を果たしている……。

 きっと、そういうことだ。


「……ここまでホームランが出ると、なんか楽しくなってきちゃますね」

 五回と六回の合間のグラウンド整備の間、円さんはそう呟く。

「そうだなー、なかなかここまでの空中戦は見られない。それでいて二点差だから、まだ試合の行方もわからないし。初観戦にはうってつけの試合かもね」

 ……さながら、少しだけ早めの花火大会ってところか。


「どう? 八色さんは。楽しい?」

「は、はい。高校生以来で久し振りなんで、とても楽しいです。あと、傘振るのもなんか独特で」

「まあねえ、スポーツ観戦で傘振るチームなんてそうそうないからね。そこは他球団にもサッカーにもない特徴だと思うよ。横浜にひとつあるくらいかなあ」


 章さんはしっかり人数分のビニール傘を用意していたみたいで、それに伴って一塁側に座っている僕らはホームチームが点を取るたびに傘を開いている。

 これはこれでなんかバタバタして面白い。あと、周りのファンの順応がすごい。点が入るとすぐに傘を用意するから……鍛えられているなあ……。


 なんて、リラックスをしていると、ポケットのスマホが音を鳴らした。

「……なんだろ」


水上 愛唯:井野さんは違法


「……今休憩時間なのか?」

 ただでは転ばない水上さんの執念を感じつつ、僕はそっとスマホをおやすみモードに切り替えて、再開する試合の動向を注視し始めた。



*傘を応援に使うチームが他にも存在しましたので、そこの追記を入れました。

ありがとうございました。

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