第53話 聞きたいノイズ、聞こえたいノイズ
浦佐の家出騒動が終わり、数日が経った。徐々に客入りの量も回復して、春先に見た忙しさもまた目にするようになってきた。
変わらず店はカオスなままで……と言いたいけど、カオスの内訳が少し変わってきた。
いつもなら小千谷さんと浦佐がやらかしてそれに僕が突っ込みをいれたり、井野さんが腐ったり、水上さんが暴走したり、宮内さんがボケたりだったのだけど。
最近はお店によく顔に出すようになった津久田さんと小千谷さんの絡みそのものがネタ気味になっていて、むしろそれがメインになっている。フリーターと幼馴染の七千日戦争でも始まるのかって勢いでだ。
ただ、水上さんの暴走はなくなったし(そのかわりひとりごとは増えたけど)、浦佐のボケも少なくなってきた。井野さんは相変わらず。
井野さんとの野球の約束がある週の水曜日。この日の出勤は僕と浦佐と水上さんだ。
出勤前に、僕は宮内さんとひとつスタッフルームで話をしていた。
「──で、いつ有給使う? そろそろ使わないと消えちゃうわよ?」
「……別にいつでもいいんですけど……いつがいいですか?」
僕の溜まりに溜まった有給休暇の話だ。週五で働き続けていればそりゃかなり増えるもので、その日数は二桁をゆうに超えている。
「八月はセールがあるから遠慮してもらえたら嬉しいわ。太地クン、実家には帰らないの?」
「あー、まあ別にいいかなとは思っているんで」
「そう? なら……七月あたりにまとめて取っちゃう? とりあえず消えそうな十日分。つまり二週間の夏休みね」
「それでいいのなら……」
「じゃあ七月の頭からってことで。申請書出しといてね。その間は虎太郎クンに頑張ってもらうから」
「ありがとうございます」
「それじゃあ、今日もよろしくねー」
話が終わると、宮内さんはヒラヒラと手を振りながら一度売り場に出て行く。
「……八色さん、夏休み取るんですか?」
椅子に座ると同時に、少し離れた位置に座る水上さんが僕に尋ねる。
「え、まあ、うん。でも、休み取ってもやることなくて暇だったりするんだよね」
大抵寝て起きて本読んでご飯食べて寝てだ。
「……そうなんですね……」
「お疲れ様っすー」
なんて話をしていると、制服のスカートを揺らしながら浦佐が入ってきた。
「あ、お疲れー」「お疲れ様です……」
僕らがそう返すと、途端に浦佐はよそよそしい反応を示して、
「っっ、ど、どうもっす……」
と、ぎこちない動きでロッカーから更衣室へと向かう。
そんな彼女の様子を見て、唇を噛んでいるのは水上さん。……あのー、見境なく嫉妬するのはやめてもらっていいですか? 浦佐ですよ? あの。
「……ほら、やっぱりこうなった……」
そしてまたひとりごと。少しだけ険しい目で電気の点いている更衣室を睨んでいる。
「でも……まだ……このままじゃ……」
怖い怖い怖い。ひとりごとで不穏な空気演出しないで。
浦佐は浦佐でチラチラと僕のことを見ては目を逸らし見ては目を逸らしだし……。
「顔に何かついてる?」
「いっ、いやっ、そんなことないっすよーあははー」
お店の制服に着替えた浦佐はピューとトイレに駆け込んでしまうし。
……水上さんは水上さんでぶつぶつと何か言っているし。
「さっ、みんなあ、夕礼を始めるわよお」
宮内さんはいつも通りのままだし。……これ、僕が有給取っている間の突っ込み役は誰がやるんですか? 井野さんですか? 頑張ってねー、井野さん。色々大変だと思うけど。
「……で? その後親とはなんて?」
その日の休憩後。水上さんを補充に出して、僕と浦佐でカウンターに入った。この日は休憩前までの買取量がえげつなく、即出ししたい本が結構あったので、それを先に加工していた。漫画やライトノベルの新刊は一日経過するごとに売れにくくなり、値崩れを引き起こしやすい、鮮度が命になる商材。一般文芸の文庫本や単行本に比べるとその傾向は顕著だ。
「え、えっと……とりあえず大学には行くことを条件に今後も配信活動続けてもいいってことになったっす……」
「ふーん、よかったね」
ま、そこが妥当な落としどころでしょうね。大学さえ出ておけば、という発想はあの父親ならいかにもしそうなものだし、実際そうなのだから。
どんなにその人が優秀だろうと、高卒と大卒で待遇が変わるのが悲しいかな、この国の真理だ。配信で食べられなくなったとき、就活をすることになったとき、単純に大卒のほうが選択肢は増える。行けるなら行ったほうがいい、がもはや定説になりつつある。就職予備校っていう揶揄はここでは本題ではないので置いておく。
「ま、そのほうが安牌だとは思うよ。想像以上に息苦しいからね、現実は。専門でも大学でも行けるなら行ったほうがいい。あまりこういう言いかたは好きじゃないけど、社会がそうなってるんだから仕方ない」
「仕方ない、っすか」
「そうそう。これが口癖になるともう駄目。何やっても諦めが先行するようになるから」
「太地先輩は、いつからそうなったんすか?」
「……高三、受験に失敗したとき」
「……げ」
「ほんとは今頃
本にラベルを貼り、特に新しい漫画についてはシュリンクでビニール包装をしていく。浦佐がそのシュリンカーに漫画を積みながら、目を細めて、
「……生々しいっすね」
と呟く。僕もため息をひとつついて、さらに続ける。
「中途半端な私大通ってる大学生なんて大抵はそんなもんだよ。国公立落ちた学歴コンプレックスの塊。……ま、だからこそ自由にやってる浦佐が羨ましいんだけどね」
「おぢさんはどうなんすか?」
「あの年でフリーターにはなりたくない。しかもあの人夢を追っているわけでもないし」
「……そんなもんなんすねえ」
「そんなもんだよ。妥協なんてしなくていいならしないほうがいい。小千谷さんに言わせれば、そんなもん犬にでも食わせておけ。とくに、高校生のうちから妥協を覚えたら、癖になって踏ん張りきかなくなるし」
「……だから、太地先輩は、あのとき自分をかばってくれたんすか?」
ちっこい身長から僕を見上げる瞳はどこか純粋な疑問を携え、本を触る手は細く小さく。
「妥協は強制されてやるもんじゃない。これが持論。それをされたら後悔なんかじゃ済まない妬みに繋がるから。やりたいことをやれるうちは、それに打ち込んだほうがいい」
「……そう、なんすね」
「年上困らせるのが年下の仕事、自由が効く今のうちに好きなようにやりなよ。浦佐の場合、夢が夢で終わらなさそうな位置まで来ているんだから」
「……ど、どうもっす……」
この日の浦佐もどこか文字通り大人しく、たまに見せていた子供っぽい行動も影を潜めたまま、営業時間は過ぎていった。
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