第52話 彼女が敬語で話すとき

「……ああもう、そんなんだから娘に家出られるんでしょったく。店にまで押しかけて大きな声出して、みっともないとは思わないんですか」

 この間の酔っ払いのおっさんは仮にも客だったのでここまで言わなかったけど、今は客以前に浦佐の父親として来ているので言いたいことを言わせてもらおう。


「えっ……」

 しかも二十二のガキにちょっと反抗されただけでビックリしてるんじゃないよ……。僕でこれじゃ反抗期ど真ん中のお宅の娘さんなんか言うことに耳なんか貸すわけないでしょ……。

「つーか、お前もお前で拗ねてないでなんか言え。そんなんじゃいつまでたっても解決しないぞ」

 ちょうど腕を伸ばして指先が届く位置に立つ浦佐は、ツンとそっぽを向いたままだ。


「はぁ……なんで他所の家の親子喧嘩にただのバイトが首突っ込まなきゃいけないんですか……」

 この様子を見る限り、普段からこんな調子なんだろうなあって……。

 予想した通り、見るに正反対な親子だ。


「まあ家出をしたという事実に関してこいつを擁護する気はさらさらないですが、そうなるに至った事情に関しては一定の理解を示しますよ」

「……え?」

 浦佐は、僕がそう言うなり驚いたように僕の顔をまじまじと見つめる。……狐に包まれたような表情して。僕が援護するのがそんなにおかしいのか?


 そして、浦佐父は僕の発言にスイッチが入ってしまったようで、経済書コーナーの反対に位置するゲームソフトの棚に向かい、適当なソフトをつまみ上げる。

「第一、こんなのが何の役に立つんだ。ただの娯楽じゃないか」

 乱暴にソフトのパッケージを指で叩いては、無駄に音を鳴らす。……壊すなよ、壊したら買ってもらいますからね。

「ゲームなんて、子供がする暇つぶしみたいなものだろう。こんなものに人生を乗っける価値なんて──」


 そこまで言わせませんよ。

「価値があるかどうかは、あなたが決めることじゃない。こいつが決めることです」

 ……是非はともかくとして、人が好きなものを、ましてや自分の娘が好きなものを頭ごなしに否定させてたまるか。


「な……やっぱり君がそそのかしたんじゃないのか? さっきから話を聞けば」

「……だから、決めつけないでくださいって。言ったじゃないですか。家出を擁護する気はないって。女子高生を家に泊めるはずないでしょう」

 頭も固ければ思考も早とちりなのかい……そりゃ浦佐もやってられないだろうな。


「まあ僕も大してゲームはやらないクチなんで、あなたの言う通り単なる娯楽程度にしか思ってませんよ」

「そうだろう」

「……ただ、単なる娯楽を必要としている人が多いからこそ、ゲームはビジネスとして成立しているんです。ゲームに限らず、ここにある商材は全部そうです。需要がなければこんな店、あっという間に潰れます」


 外食店でもスーパーでも薬局でもない、この古本屋という職種は、とくにそうだ。誰かが新品の本を買って、それを売ってもらって初めて商材が手に入る。そもそも紙の本を買う母数が、パッケージ版のゲームソフトを買う人が減ってしまえば成り立たない商売なんだ。実際、うちのチェーン全体でも買取金額は年々減少の一途を辿っている。原因は今言った電子への移行、フリマアプリの普及とかが挙げられているけど。

 でも、それでも今現在この店はまだ続いている。営業実績もほぼ横ばいでここ数年は推移している。


「誰かが……少なからずビジネスが成り立つ程度の母数の誰かが必要としているから、続いているんですよ。それを、簡単に人生乗っける価値がないなんて、言わせるはずがないでしょう」

「ぐっ……」

「あなたがどんな職種についているか知りませんが、それも基本的に需要があるから成り立っている、違いますか? そういう意味では、ゲームも大した差なんて持ってませんよ」

「……太地、先輩……?」

「今ここにいるこいつがやっている、やろうとしているゲーム実況だって同じです。金が回るほどの需要がそこにあるんです。確かに人気に収入を左右されやすいでしょうし、五年後も続く保証なんてどこにもない。……でも、あなたはそういう心配をしているわけでもない。だから家出されるんですよ、話すらせずに」


 これが、きっとアイドルになるとか、芸能人になるってことだったらまた違ったのだと思う。この父親も、今言ったような心配をストレートにしてくれると思うから。

 だって、きっとテレビはくだらないものとして考えていないから。


 ただ、ゲームだから。それだけで否定をされては、浦佐に話す気がなくなるのもわからなくはない。

 ……もうこのへんでいいかな。父親の棘も抜いたし、僕はお役御免でしょ。


「……あとは好きにしなよ。すぐ退勤してもいいし働いてからでもいい。ただ、さっさとこのわけわからん家出生活にはケリをつけて。いいね」

 戻り際、立ち尽くしたままの浦佐にそう一声かけてカウンターに向かう。

「……た、太地先輩」

「ん? 何?」


 俯いたまま、目線はこちらにやらないまま、少しだけ耳が熱くなっている浦佐はぼそっと呟いた。

「……あ、ありがとう……ございます」

 珍しい。浦佐が普通に敬語で話すなんて。明日雪でも降るんじゃないだろうか。

「そう思うんだったら、これからはもう少し真面目に働いてくれてもいいんだよ」


 それだけ言い、また僕は歩き出す。背中から微かに、

「……わかりました……っす」

 らしくない彼女の声が聞こえてきた。

「……結局、浦佐さんにも優しくされるんですね、八色さん」


 カウンターに戻って、再び水上さんと本の加工に混ざると、冷たい声色でそう告げられた。

「別にそういうつもりじゃなかったんだけど……」

「……やっぱり、このままじゃ……。津久田さんに連絡したほうが……」

 僕には聞こえないくらいの大きさで何かを言う水上さん。心なしか顔色はさっきよりも青くなっている気がする。


 結局浦佐はすぐに退勤をして、そのまま一度自宅に帰ったそうだ。恐らくは、きっちりと親に話をつけたのだと思う。……じゃなかったら、僕は浦佐にキレていいと思う。散々普段から仕事のフォローしてやっていて、今日もこんなにお節介焼いてで何も進展しなかったら、僕はただ他所の父親に説教かました大学生になってしまう。

 それだけは勘弁してもらいたい。


 小千谷さんは小千谷さんで、無事次の日のお店に顔を出した。……ゲッソリとやせ細った身体は、とてもじゃないけど一日で変化する程度ではなかった。


 ……一体どれだけの量食べさせられて、どれだけ吐いたのだろうか。この人は。スタッフルーム内の自販機で売っている普通の缶コーヒーを口にした瞬間、目に涙を浮かべて「これが飲めるコーヒーだよな」としみじみと呟いたのを聞き、津久田さんの料理の才能が「本物」であることを改めて理解した。


 ちなみに、小千谷さんが戻って来た日にやって来た津久田さんの話によれば、昨日のうちに浦佐は荷物を全部持って自宅に帰ったらしい。

 ひとまず、彼女の家出騒動は折り合いがついた、ということになるのだろう。

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