第51話 連行は通告のあとに

 浦佐の家出から七日が経った。……そろそろさすがのことなかれ主義の浦佐両親も動くのではないかと思うのだが。どうやら親と毎朝電話はしているようなので、向こうも誘拐とかそういうことは疑っていないのだけど、いかんせん高校三年生になる娘が七日も家に帰らないとなると、何もしないほうがどうかしている。

 

 ……逆に、実質六日間も他所の子を泊めることのできる津久田家の懐の広さ。いや、褒めているわけではない。あまりいいこととは思えない。学校の友達でもなく、多少強引な形容をすれば、知り合いの友達の家に泊まっているのだから。

 だから、さっさとこの事態は収拾がついたほうがいいのだけど……。


「わっ、ちょっとタンマタンマ、何? 何が起きてんの? なんでここに佳織の家の黒服がいるの? 八色、助けっ──」

 ……出勤前のひととき。今しがたスタッフルームで起きたことを説明しようと思う。


 小千谷さんは午後の二時から閉店までのシフトが基本だ。契約では七時間四十五分の労働で、休憩は六十分取っている。一応法律では八時間以内なら四十五分で事足りるのだけど、万が一閉店トラブルで残業が必要になった場合、休憩時間が足りなくなってしまうから念のための保険だ。


 夕礼が始める前のこのタイミングで十五分休、僕らと同じタイミングで四十五分休に入るのだけど、その十五分休のとき。いきなり真っ黒なスーツを全身に纏い、サングラスを付けたガタイのいい男性三人がスタッフルームに突入してきた。

 居合わせた僕と水上さんは呆然とその様子を眺めていて、小千谷さんは途端に顔を真っ青にさせた。


 鮮やかな動きで二名が小千谷さんを拘束して、すぐにどこかに小千谷さんを連れて行く。

 そして冒頭の悲鳴に戻る。


「ぎゃああ、あそこ、あそこだけは嫌だああ! 八色お、水上ちゃん、助けてくれええ!」

「「…………」」

 B級映画もビックリないきなりの展開に、僕と水上さんは唖然としてついていけない。残ってたもうひとりの黒服の人が、


「お騒がせしました。佳織お嬢様の指示で、小千谷様を指定のところまで連れて行くことになりました。宮内様には既に話を通しております。また、代わりのスタッフも手配していますので、何卒ご了承願います。では、失礼しました」

 と言い残し、スタッフルームから出て行く。


 ……もしや、この間言っていた津久田さんのお仕置きって……これ?

 あのお嬢様、一体何をするつもりなんだ? しかも、小千谷さんもこれから連れて行かれる先を理解したような悲鳴のあげっぷりだった。初めてではないのだろうけど……。

 佳織お嬢様……怒らせると怖いんだな。今度から小千谷さんに関する情報は積極的に提供しておこう。僕の保身のためにも。


「あっ、おぢさんもう連行されたっすか?」

 ただただスタッフルームの一点を見つめていると、ひょこりと身軽な動きで浦佐が僕の視界に入ってきた。

「あれ? 今日浦佐休みじゃ……」

「ああ、代わりのスタッフって、自分のことっすよ?」

 お前は津久田家の取引に利用されていいのか。人身売買はだめですよ、絶対に。


「なんでも、家出中お家に預かってもらった対価に、今日おぢさんの代わりに出勤してくれって佳織さんに頼まれたっす。それくらいでいいのなら、全然ってことで引き受けたっすけど」

「……ところで、津久田さんは小千谷さんに何をするつもりなんだ? 相当あの人怖がっていたけど」

「ああ……」

 僕が尋ねると、浦佐は気まずそうに目線を僕から逸らし、言葉を濁す。


「……何だよ、誤魔化して」

「いや、そんな大したことじゃないっすよ。……お腹いっぱいに手料理を食べさせるとかなんとか言ってたっす。……一皿一粒も残させずに」

「……ん?」

 それだけ聞くと本当に大したことには聞こえないけど……。


「ただ……佳織さん、とっても料理が下手みたいで……。作る料理作る料理がとても食べられたものじゃないとか……。佳織さん本人が言うのだからきっと間違いないっす。学校の調理実習や宿泊学習で意識を失った犠牲者は通算で三桁を超えるとか」

 ごめん死活問題だね。そりゃ小千谷さんもあんな反応になるよ。……しかも、それをお腹いっぱい、一皿一粒も残させずに? ……生きて帰ってくるといいね。

 あと、小千谷さんが結婚に応じない理由って、もしかしてそれもあったりする……?


「みんなあ、お疲れ様あ、さっきの虎太郎クンの悲鳴聞いた? すっごくそそったわねっ。男と男が本気で絡んだときの悲鳴は聞いてて興奮するわあ」

 宮内さんも夕礼のためにここにやって来たのだけど、スタッフが拉致(事前通告済)されたにも関わらず、なんだかとてもテンションが高い。


 この人なら浦佐を用意してなくても、小千谷さんの悲鳴だけでおつりが来るのでいいですよ、とか言い出しそうだ……。

「さ、着替えるか―みんな」「そうっすね」「……は、はい」

 これ以上この件について話すのは疲れそうだと判断したバイト三人は、スムーズに移動を開始して、流れるように更衣室への列を形成し始めた。


 この日も基本客入りは穏やかだった。そろそろカレンダーも半分が過ぎ、迫りくる「7」がその影を大きくしている。七月になるとボトムも過ぎて、またいつも通りの来客量になるため、こんな呑気に構えていられる時間は少なくなる。

 休憩後の時間も、残り僅かになったであろう暇な時間を享受しつつ、カウンターで僕と水上さんが本の加工をしているときだった。……相変わらず、少し距離を取られている。


「いい加減にしなさい! みさお!」

 店内に、そんな怒号が響き渡った。僕は隣にいた水上さんと顔を見合わせて、声のしたほうの様子を窺いに向かう。

 単行本の経済書コーナーで補充をしている浦佐を捕まえていたのは、浦佐の父親か?


 一旦カウンターに戻り、水上さんに「ごめんしばらくひとりでここ守って」とだけ伝えて、改めてふたりの近くに向かう。宮内さんはもう上がっているから、この場で一番の先輩は僕になる。

「……あの、どうかされましたか?」

 まだスーツ姿の男性が、浦佐の父親と確定したわけではないので、いつも通りの丁寧な口調でとりあえず話を聞くことに。父親でも丁寧に話すけどね。


「君か? 娘をそそのかしたのは」

 これは父親で間違いなさそうだ。にしても出会って一言目にそれはムッと来るなあ。浦佐は浦佐でそっぽ向いて拗ねてるし。


「……なんのことを言っているかは存じ上げませんが、彼女は今勤務中です。私用の話でしたら退勤後にしていただいてもよろしいでしょうか? それとも、何かお探しのものでもございましたか?」

「なっ……もう七日も家に帰ってないんだぞ、七日も! 進路で大切な時期に! こんなことあっていいはずがない!」


 ……それには同意しますけどまず筋を通してください筋を。アポなしで突撃してるんじゃないよ社会人だろ。

「だから、そういう話は勤務外の時間にしてください。あなたも仕事をされているならわかりますよね?」

「今はそれとこれとは話が違うだろ!」


 あーもう面倒くさい。そんなに急ぎならこっちだって退勤今すぐさせるって。別に忙しいわけじゃないし。……それすらも待てないのかよ。

 僕は仕方ないと空気を吸って、この頭が固い浦佐の父親に返しの一言を言おうとした。

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