第46話 闇が深い水上さんと、家出少女

 その日の閉店後、帰り道。地下鉄の駅に向かう小千谷さんとは別れて、こつこつと無言で水上さんとJRの駅へと歩いていく。

 ふと、恐る恐るというように、水上さんが口を開いた。

「……あの、八色さん……怒ってます?」


 ……僕が怒っているかも、という想像ができるだけ、まだ常識は残っていたようで安心したよ。あれをやって本気で僕が喜ぶと思っているのなら、一度考え直したほうがいい。「怒ってるか怒ってないかの二択で答えるなら、怒ってるよ」

「…………」


 いつもと変わらないトーンで返したのが、より彼女に刺さったのだろう。何も言い返すことなく、淡々と進んでいくままだ。

「別に……僕のこと好きになるのも水上さんの勝手だし、水上さんの家で何しようがそれは水上さんの勝手だけど……。ああいうのは、本人の合意を得てからすることだよ……。あんなの、強姦と変わらない」


「そ、それは……」

「……下着見せつけられたり胸押しつけられたりとか、そういうのもちょっと困るというか……」

「だ、だって、それくらいしないと男の人は満足しないって」

 ……はい?


「それ、本気で言ってる?」

「……経験談です」

 どんな恋愛歴を持っているんだ水上さんは。一体何があったというんだ。

「……それくらいしないと満足しない男に、ろくな人間はいないよ」

「でっ、でも私は八色さんに喜んで欲しくて」

「じゃあ言いかた変えるね。僕は、喜ばない。……さすがにちょっと、重すぎるよ……」

「これくらい、ぜんぜん重いうちには入りませんよ……?」


 ええ……? 過去、水上さんに何があったんだ? 闇深すぎませんか……?

「と、とりあえず。もう昨日みたいなことは二度としないで。僕にも、僕以外にも。ちょっと今すぐ元みたいに接するのは頑張らないと無理かもだけど……別に水上さんにもいいところあるのは普通にしていても感じてるから、ね」


 はぁ……これで水上さんにも二度目のお説教をしたことになる。夜番メンバーで僕から説教されたことないのが井野さんだけになりました。……井野さんはおかしくなるのはBL関係だけだから、扱いやすいと言えば扱いやすいのだけど。


 中央線のホームにつき、僕らは別れる。別れ際、弱々しい声で水上さんが、

「お疲れ様でした……」

 と呟く。僕もそれに、

「うん、お疲れ様」

 と、裏返りそうな声を抑えて階段を上り始める。いつも通り、半分くらい過ぎてから一度振り返ってみるけど、今日ばかりは手を振っていなくて、ただただ僕の後ろ姿を眺めているだけだった。

 まあ、そんな気分ではないでしょうしね……。

 このお説教が効いてくれればいいんだけど……なあ。


 それからというもの、水上さんはひとまず大人しくなった。勤務態度は今までどおり、時折見せていた僕への色仕掛けも控えるようになり、僕がした説教にも一定の効果があったみたいだ。……浦佐や小千谷さんにはいくら説教しても直らないんですけどね……。


 僕が井野さんなどの女性スタッフと話していると、やや怪しい顔にはなるものの、もう色仕掛けがなくなっただけでも大きな一歩だから気にしないでおく。

 この調子なら、少しは今まで通りになれそうかな……なんて思っていた矢先のことだ。


 高校生組の定期テストが終わって、少しした頃。

 この日の出勤は僕と小千谷さんと浦佐という俗に言う危ないヤツらが集合する魔の一日だった。夕礼前の時間、僕はボーっとスマホをいじり、小千谷さんは缶コーヒーにスポーツニュースを読んでいると、

「お疲れ様っすー」

「ああ、お疲れさ……ま?」


 何やら物凄い量の荷物を背負って浦佐がスタッフルームに入ってきた。僕の挨拶も、それを見てなんか変な感じになってしまう。

「う、浦佐……? どうした、その荷物の量」

 ロッカーに入りきらないんじゃ……?


「これっすか? ちょっと自分、家出することにしたっす」

「「……は?」」

 それに対して、僕と小千谷さんは同時に同じ反応を示す。

 い、家出だと……?


「ごめん、説明プリーズ。俺の脳みそがオーバーヒートを起こしてわけわからんことになってる」

 まさかの小千谷さんが突っ込み役に回っている……!

「いやー、この間の定期テストがあまりにもひどくて、親と喧嘩になっちゃったんすよー」

 そんな、ちょっと風邪引いちゃったんすよーくらいのノリで言わないでもらいたい。


「危うく持ってるゲーム全部捨てられるところだったんで、慌てて避難させられるぶんだけ持って、家出をすることにしたっす」

 オーケー、とりあえず大まかな状況は把握した。そのうえでの答えはこれだ。

「……いや、お前何言ってんの……?」


「……なるほど、ゲームばっかりしてないで少しは勉強しろと言われ、ゲームを捨てられそうになったのを見て荷物をまとめたと……」

「そういうことっす。それで、差し当たってなんすが、おぢさんか太地先輩、どっちのかの家に二・三日避難させてくれないっすか?」

 浦佐の説明を聞き、改めて状況を理解すると、彼女はそうお願いしてきた。


「いやいやいやいや待て待て待て待て。どこのどいつに家出している女子高生を泊めるアホがいる。通報案件だぞそんなことしたら」

 ……小千谷さんの反応ももっともです。


「いやっすねー。自分がそんなおぢさんを売る真似するはずなんかないじゃないっすかー」

「お前はそうかもしれないけど世間はそうじゃねえんだよ」

「えー? じゃあ、太地先輩はどうっすか?」

「……僕もさすがに泊めるのはちょっと……」

「そんなー、ふたりとも薄情っすねー」

「「無茶言うな」」


 なんだろう。今日は小千谷さんと波長が合う。突っ込みが複数いるってなんて楽なんだろう。

「い、家に帰るという選択肢はないの?」

「現段階では選択肢にないっす」

 ……こりゃ槍が降っても家出を完遂する気だ浦佐は……。


「と、とりあえず水上さんか井野さんにラインしてみれば……? 水上さんならひとり暮らしだし、もしかしたら泊めてくれるかもしれない」

「ああ、それもそうっすね。そうしてみるっす」

 はぁ……というか、家出先の当てって、普通同性の友達とかじゃないの……? なんかそこらへんずれてるよなあ……。


「水上さんが泊めてくれるみたいっす。とりあえず今日は大丈夫になったっす」

 ふう……。とりあえず目下の危機は脱した。

 ただ……どうすんの? これから。

 一難去ってまた一難とは、このことかいとつくづく思った。

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