第42話 寝たら死ぬぞ(※雪山ではありません)
そして迎えた木曜日。僕は寝ぼけ眼をこすって、待ち合わせ場所の尾久駅前でふたりのことを待っていた。
……前日の水曜日に、ゼミがあって、そのまま飲み会の三次会まで付き合った。
……つまるところ、オールだ。一次会、二次会と居酒屋をはしごして、三次会ではカラオケでどんちゃん騒ぎ。家に帰ったのは朝の九時だ。そのままスイッチが切れたように寝て、お昼過ぎに目覚めシャワーを浴びて、家を出た。
「……酒は抜けたとは言え……少し眠いな」
一分に一回くらいの勢いであくびが出てしまうくらいには、眠い。一応家の近所のスーパーで魔剤を二本ほど購入しておいて、戦闘準備は整えておいた。……いや、まじで水上さんの家で寝落ちてみろ。朝起きたら絶対縛られているか脱がされているかの二択だから。
「……寝たら死ぬぞ寝たら死ぬぞ……」
今にもぼやけそうな意識のなか、何度も何度も自分に言い聞かせる。
「……あの、八色さん……大丈夫ですか?」
ぼやけた視界に、うっすらと白色の長袖ワイシャツと赤色のリボン、水色のスカートが目に入り込む。
「あ、い、井野さん?」
下から覗き込む体勢で僕を見上げていた彼女は、目が合うとニコッと小さく微笑んでは、
「……はい、井野です」
とはにかむ。自分の髪を撫でるその仕草が、ちょっと可愛らしい。
「……あくびも結構出てますし眠いんですか?」
「いや……申し訳ない話、今日徹夜明けでね……。三時間くらいしか寝てないんだ」
「……そういえば、昨日は飲み会があるとか言ってましたね」
「うん、もうほとんどの奴が内定・卒業確定した記念みたいな感じで大騒ぎ。飲みでオールしたのなんていつぶりだろ……」
「あっ、あの……」
「うん? 何?」
井野さんは、少し聞きにくそうに体をもじもじとさせて、小さな声でそっと僕に聞いてくる。
「その飲み会って、女の人もいらっしゃるんですか……?」
「そうだね、僕の専攻って国文学だからさ、そもそもの比率が女子多めなのね。全体で四対六くらい? 僕のゼミはもっと極端で、男四人の女子十人かな。三次会も何人か女子残ったし」
「……そっ、そうなんですね……そ、そうですよね……」
井野さんは残念そうに声を萎ませて、俯いてしまう。……あれ、もしかしてゼミに女子がいることに対して嫉妬している?
「あ、あー。大丈夫、その女子達、大抵もう彼氏いるから。文学部の女子って、ほら、大抵他学部の男子と付き合うのがセオリーだから、文学部の男なんて基本余り者だし」
「お待たせしました」
なんてフォローを入れていると、今回の会場提供者であられる水上さんが駅に到着した。
もうちょっとだけ夏の足音が近づいている東京。水上さんの出身地はわからないけど、もう半袖の英字が書かれた白のプリントTシャツに、薄茶色のサマージャケットを合わせている涼しそうな格好だ。
「駅からすぐのところが家なので」
と言われて本当にすぐのところのお家に連れて行かれた。……さすが女の子のひとり暮らし。オートロック付きのマンションだ。いいなあ……僕もこんな綺麗な家に住みたい……。え、これで駅から徒歩三分もしない位置にあるの?
「……水上さん。ぶしつけなこと聞くようで悪いけど、これで家賃って……」
「七万円ですよ」
ですよねー、それくらいは飛びますよねー。しかも都区内だし。
「……学費が安い分、家にはお金かけられたので」
「そ、そっか」
マンション内に入り、最上階までエレベーターで上がる。そこのフロアの角部屋のドアの鍵を開けて、水上さんは部屋に入る。
「どうぞ、あまり広くはないんですけど」
玄関に入ってまず思ったのは、意外と物が少ないんだな、ということ。女性のひとり暮らしって結構色々なものが必要だったり、また買ったりすることが多いだろうから、それにしてはやや殺風景な印象も受けた。それもまた普段は落ち着いた水上さんらしいっちゃらしいけど。
必要なものだけが取りやすいところに配置されているキッチンを通り過ぎ、1Kのワンルームに足を踏み入れる。と、
「……え、ここの家ロフトついてるの?」
部屋の上にまた設置されている空間に僕はまた驚く。
「はい、普段はロフトで寝てます。……というか、ロフトで寝ないと部屋が狭いので何もできないんです」
そう答えながら、水上さんはキッチンに置いてある冷蔵庫からホームサイズのペットボトルと紙コップを両手に戻ってきて、丸型のテーブルにトンと置いた。
「あと適当に軽く食べられるお菓子出しちゃいますね」
「ご、ご丁寧にどうも……」
「……ありがとうございます、わざわざ」
ペットボトルに紙コップ。しかも未開封だ。……これは大丈夫だよな? さすがに。そんなしばしば大人のビデオで見る針か何かで薬を混入させるとかガチなことはしないよね? それに、今回は井野さんもいるわけだし、井野さんにまで薬を飲ませたら意味がないはず。
「とりあえずひと口チョコにビスケット、あとクッキーですね。まだ八色さんが食べるかなって思ってポテトチップスとかはあるんで、足りなかったら言ってください」
丸型の大きいお盆に個包装されたお菓子たちを乗せた水上さんが、またまた部屋に戻ってきて、今度は僕と井野さんの間に入るように座り込む。……まあ、丸型テーブルなんで、どう座ろうが僕が隣に来るんですけどね。
「……それで、井野さんは古典って言っていたけど、水上さんは何をするの……?」
まさか、僕と井野さんをふたりきりにさせないためだけに乱入してきたとするなら、それはそれで凄い精神力だけど、果たして。
「実は教養科目で私も古文の単位があるんです……。教授の板書の文字は汚いし活舌も悪くてしかも説明もわかりにくいの三重苦で、何をやっているのか全然わからなくて……。奨学金も取っているので無駄に単位は落としたくないんで、どうにかしたいんですね」
あ、普通に真面目な単位確保だった。水上さんは部屋の隅の勉強机に置いてあったカバンから、恐らく教科書として使っている単行本を二冊持ち出す。
「……よりにもよってそれですか」
水上さんが持ち出した本に書かれたタイトルは、鎌倉時代に成立した擬古物語。同性愛に近親愛に強姦と何でもありなもので、まあエッロい。……僕も読んだよ。読まされたよ。……あと、登場人物にヤンデレの女キャラがいる。水上さんなんか比にならないレベルの。
「どういうお話なんですか?」
僕が渋い表情をしたことで、井野さんが興味を抱いたようだ。水上さんに見せてもらった教科書をパラパラとめくっている。
「まあ井野さん的に言うなら、失恋した男同士が慰め合うシーンも存在する、そんなお話」
「っっっ、それ、ほんとですかっ⁉」
食いつきいいな。……さすが一家そろってお腐り奉っている家族の娘さんです。
「……昔の物語って、結構そういうお話もあるよ。幼女に恋する話もあれば男の娘が出てくるのもある。わりかし自由なんだ」
「そ、そうなんですねっ、なんか一気に興味がでてきましたっ、古文にっ」
ははは……そうなってくれるとこっちも嬉しいかなあ……ははは。
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