第40話 健気な彼女の誘いかた

 それから数日。静かになってしまった浦佐の変化は、僕や小千谷さんに留まらず、井野さんや水上さん、宮内さんも気づくようになっていた。

 みんな口を揃えて言うのは「変に大人しい」の一点。いつもなら見た目通りの子供っぽい言動をするはずなのに、妙に静かだから、みんな不思議に思っているのだろう。


「最近浦佐さん……なんかおかしくないですか?」

 そんな会話を井野さんとしたのは、六月頭のある日の休憩後でのカウンター内。

 ラベルを貼る手は止めないまま、最近話題の能天気スタッフについて話をしていく。


「井野さんもそう思う? やっぱりそうだよな……」

「出勤前のときとかも、ゲームやりながらでもちゃんと話聞いて返事していたのに、生返事が増えてきてますし……」

 ああ……。確かに。もとのそれもさすがゲーム実況者って思う技術だけど、ここ最近は話を振っても「あー」とか「うー」とか適当に返すだけになっている。


「……浦佐さん、テスト大丈夫なのかなあ……」

「まあ、あいつの場合純粋に心配だよね。勉強している素振りまったくないから」

「でっ、でも、さすがにテスト一週間前とかになったら、私にちょくちょくわからないところとかラインで聞いてくることがあったんです。でも、今はそれすらもなくて……」

 ほう。それは不安にもなるな……。


「……というか、浦佐の進路希望どうなってるか知ってる? さすがに三年の六月になって未定はもうあり得ないと思うんだけど……」

「一応、進学とは言ってました……」

「一応、ねえ……」

 今は選びさえしなければ大学は入れる時代になってはいるから……まあ、好きにすればいいと思うけど。どこに行こうがそれは浦佐の勝手で自由なわけだから。


「……そういえば井野さんはどうするの?」

 ちょっと空気が閉塞気味になってきたから、話題を変えることにした。あまり外野が騒ぐべき問題でもなさそうといえばなさそうだし。……気にはなるけどね。

「わ、私ですか? えっと……私も……進学しようかなって……」

「そっか。どこ受けるとかもう決めたの?」

「いっ、いえ。まだ私立文系でとしか決めてないんで……そこまでは……」

「うちのお店、無駄に高学歴な人多いから、色々聞くといいかもだよ」

「……そ、そうなんですか?」


「うん。まず水上さんは国公立大の一年生だし」

「そういえば初出勤の日にそう言ってましたね」

 忘れそうになるけど、あの子めっちゃ頭いいんだよ。……行動がぶっ飛んでいるけど。


「あと、小千谷さんはC大の法学部卒。あれでなんでフリーター選んだか未だに謎。……あの人、一歩間違えれば弁護士や検察官コースだからね。まあ、大学では勉強してこなかったみたいだし、就活も面倒だったからっていう理由はつけているけど」

「そっ、そうなんですかっ? い、意外です……」

 あんな適当な弁護士がいたらそれはそれでやばそうだから、ある意味日本のために正しい選択をしてくれたのかもしれないけど。


「そう。なんやかんや、ここにいる人って選んでここにいるって感じだからね……。特に小千谷さんなんかは」

「へ、へえ……」

 頭いいからって行動がまともとは限らないのが悲しいところだよなあ……。女子高生にゴム渡す先輩が、実は法曹候補だったなんて……。


「小千谷さんはともかく、水上さんあたりだったら言えば勉強教えてくれると思うよ。同じ文系だし。今は大学が忙しいからあれかもだけど、夏休みに入ったら」

「……や、八色さんは……どうなんですか?」

 すると、本にラベルを貼る手を一瞬だけ止めて、井野さんは尋ねた。


「え? 僕? 僕はだめだよ。中途半端に受験勉強して、中途半端に第一志望の国立大落ちて、滑り止めの滑り止めしか受からなくて心折れてそのまま進学した人間だから」

「でっ、でもこの間古文の問題聞いたとき、スラスラと教えてくれましたしっ……」

「あれは大学で目と耳がタコになるくらい読んだからであって、別に僕ができるとかそういうことじゃ」


「わっ、私……古典が一番苦手で……他は大丈夫なんですけど、古典だけはどうしてもわからなくて……な、なので、八色さんに教えてもらえると……う、嬉しいかなあ……って思ったり……」

「…………」

「あ、い、いらっしゃいませー」

 レジが来たので、井野さんが入りにいった。

 ……今のも、つまりはそういうことなのかなあって。


「ありがとうございましたー」

 対応が終わり、また加工スペースに戻って隣に立つ井野さん。心なしか、顔が少し赤い。

「……まあ、僕でいいんだったら、いつでも教えてあげるよ」

 勉強教えてください、なら水上さんをおすすめするけど、古典教えてください、なら僕の範囲は範囲だからね……。もろそこが専攻だから……。


「あっ、ありがとうございますっ……」

 ひと通りラベルを貼り切ってしまったので、また僕は本のバーコードをスキャナーに通してラベルを印刷する。

 勉強教えるくらいなら……とかはきっと水上さんには通用しないんだろうなあ。はあ……まあいいや。どうせデートの回数が増えるだけだ。


 大学受験は人生を左右する一大イベントだし、協力を求められたらなるべく応えてあげるのが筋だろうし。

「でっ、でしたら……その、八色さんが空いている日って……次は」

「えーっと……、次の休みは水曜なんだけど、その日はちょっとゼミがあって、きっと飲み会まで付き合わされるから空いてはないんだよね。その次は木曜だけど……」

「わ、私もその日はお休みなんで……よかったら……」

「うん、いいよ」

「……やった」


 手元で小さく右手を握りしめる井野さん。その健気な様子もどこかいじらしい。

 水上さんには……まあ、そのうち話そう。隠せる気はもうしない。逆に隠すと後が怖い。襲われたり襲われたり襲われたり。下着の写真送りつけられたり送りつけられたり送りつけられたり。


 水上さんの栄誉のため、写真は保存せず、有効期限が切れるのをひたすら待っている。というか……もしそんな写真を保存しているのを他の人に知られたらそれこそ僕が犯罪者になる。

 さて……浦佐のことは……まあ、口は出さずに静観しておこう。自分のことは自分で決めるべきだろうし。


 閉店後、またゲッソリした表情の小千谷さんをスタッフルームで見かける。今日は裏で家電の仕事をする日だったけど……。

「どうかしたんですか? 小千谷さん」

「……え? ああ、ここ最近、佳織からのラインが止まらないんだよ……」

「…………」

 水上さんみを感じる。とは絶対に口にはしないけど。


「ねえ今度はいつ飲みにいける? またお父さんのお古持って行っていい? とか」

「……愛されてますね、小千谷さん」

「最近連絡来ないから安心してたのに、また佳織にビクビクしないといけないなんて……。夢で佳織が婚約指輪持って追いかけてくるんだ、八色お、なんとかしてくれよお」

 ……僕は何でも屋じゃないから。……純粋なだけまだいいよ。純粋なだけ、まだ。

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