第39話 適当なあいつの悩みごと

「私、ずーっと待ってるのになー、こっちゃんが頷いてくれるの」

 カウンターに両肘をついて、手のひらに顔をちょこんと乗せたまま小千谷さんを見つめている津久田さん。……まあ、彼女がうちのお店に来たら大抵こういう行動に出るから慣れたものだ。

 ちなみに、こっちゃんとは小千谷虎太郎の、虎を取ってこっちゃんらしい。……すぐ側にいるおぢさんと呼ぶ高校生と似たネーミングの趣味を感じる。


「だーかーらー、俺はお前と結婚する気なんかさらさらないって言ってるだろ? お前の親父さんにもそう言っているはずなのに、なんで諦めてくれねえかな」

「だって、そろそろ誰かと結婚しないと、お父さんが私の結婚相手決めそうなんだもの」


 もう、横から聞いているだけでお腹がいっぱいになりそうな設定だよ。幼馴染兼許嫁ってだけで濃いのに、それにいいところのお嬢様? それで結婚させられそう? 住む世界が違過ぎるし、そんな人と親交があるこの適当男も罪な人だと。


「こっちゃん以外の男の人と結婚するのは嫌だなーって」

「ぐっ……」

 普段どんなに僕がキレても適当に流すことが多い小千谷さんを、唯一ダジダジにさせることができる存在で、まあ僕はありがたく関わらせてもらっている。


「それで、査定は終わりそうなのー? これ、お父さんの私物のお古なんだけど」

「……親父さんの私物をわざわざここで売りに出すなよ。まさか、親父さんついてきてるんじゃないだろうな?」

「ううん。今日は執事さんの車だよ―。地下の駐車場で待ってもらってるー」


 まずあの査定物がお古と呼ばれている時点でカルチャーショックだ。どれも一世代前のものであり、一般庶民からしたら十分現役を張れるものだから。

 まあ、あと執事さんがいるのもだけど。

 ……さ、あと十五分で閉店か。

「浦佐―、そろそろ環境整備始めてー」

「……了解っすー」


 裏でソフトの研磨(ディスクの盤面についているキズを磨くこと)している浦佐に一声かけて、僕もカウンター内の掃除を始める。

「小千谷さーん。あと十五分で閉店なんで、さっさとその買取終わらせてくださいよー」

 各レジ下と、加工スペースにあるゴミをひとまとめにしつつ、てんやわんやの先輩にそう言う。


「このっ……他人事だと思って……」

 だって他人事ですもの。……普段僕がいじられているとき、あなたはニヤニヤしているだけだから。僕もそうさせていただきますよ。

「……あとパソコンのOSの確認さえできれば全部終わる。八色、今のうちに万券1レジに片っ端から集めといて。十は超える」

「すげ……わかりました」


 本当に閉店前に終わらせたことも凄いけど、総額が十万円超える買取っていうのもなかなか凄い。

「さすがこっちゃん、これだけの量を一時間ちょいで終わらせるなんてすっごいー」

「褒めても何もでねえぞ」

「えー? ……じゃあ。──もしもし? 沼田ぬまたさん? ええ、佳織です。もう査定が終わるんですけど、そのままこっちゃんとご飯食べてから帰るので、お先戻られて大丈夫です。ええ、ええ、帰りは電車で行きますので、はい。父にもそう伝えてください」


 凛とした口調で恐らく駐車場で待たせている執事さんに、そう電話をした津久田さん。小千谷さんはみるみるうちに顔を青ざめていかせて、

「か、佳織、何勝手に」

「だって、四月入ってからずーっとお父さんの出張に付き合って、面白くもない取引先の社長の話を聞き続けたんだよ? 最近会えてなかったし、久しぶりにこっちゃんとお酒飲みたいなあって」


 ……なんだろう、どこか水上さんと通じるものを覚えるんだ。病んでるとまでは言わないけど、対象のためなら迷わず行動を選択するあたり。

「大丈夫、支払いは私が持つから」

「そっ、そういうことじゃなくてだな」

「こっちゃん、パソコンの画面、なんか変わってるよ?」

「お、あ、ああ……これで終わりだよ……」

 強い……津久田さん。ここまで小千谷さんを操れる人はなかなかいない。


「それじゃあ、ビルの通用口の前で待ってるねー」

 買取精算を済ませた彼女は、楽しそうに手を振りながらお店を出ていく。それを見送った小千谷さんはげっそりとした顔色で買取カウンターに突っ伏す。

「八色おお……金輪際お前を恨むぜ……」

「ならさっさとくっつくかちゃんと振るかすればいいじゃないですか」


 ブーメランだけど。思いっきりブーメランだけど。

「だー! それができたら苦労しねえって! 何回も何回もちゃんと断ろうとするけど、その度その度泣きべそかくから困るんだよっ。佳織泣かせると親父さんに殺されるし」

「じゃあ殺されればいいじゃないんですかね」

「雑っ。八色思考が雑っ」


 カウンターの掃除を済ませた僕は、レジ差異の確認を始める。小千谷さんは小千谷さんで、買取が済んだ家電五点の後片付けをしている。

「……楽しそうでいいっすね、太地先輩とおぢさんは」

 すると、すうっと影薄く出てきた浦佐が、どこか遠い目をしながら抱えた加工済みソフトの山を売り場に持ち出そうとしていた。


 僕と小千谷さんは、またもや不思議なものを眺める目で顔を見合わせる。

「……ほんと、羨ましいっすよ……」

 営業時間が過ぎた店内に、カタカタと音を立てながらゲームソフトを補充している浦佐の表情は、やはり晴れないままで、いつもの能天気さはすっかり影を潜めてしまっていた。


「あっ、こっちゃんお疲れ様―、さっ、行こう?」

「ちょ、佳織引っ張るなって、おいっ! や、八色、浦佐、じゃあなー」

「お疲れ様でーす」

「……お疲れ様っすー」

 お店を出ると、宣言通り津久田さんが小千谷さんを回収して夜の新宿の街へと繰り出していった。……めっちゃいい店いきそうだけどなあ……。バーテンダーとかいるお洒落なバーに。


 ふたりになった僕と浦佐は、無言のままとことこと新宿駅に向かう。いつもなら取り留めのない馬鹿話を浦佐がひとつやふたつ振るものだけど、今日はそれもない。

 そのまま駅について、先に京王線の改札に入ろうとする浦佐を、僕は呼び止める。

「ねえ、浦佐……何か、あったの?」


 少年のような短い髪を揺らした彼女は、それと裏腹にはためく高校のスカートを回すように振り向いては、どこか喉に残留物があるように引きつった笑みを浮かべて、

「何もないっすよ、太地先輩。心配性っすねーまったく」

 またくるりと人混みの走る改札内へと走っていった。


「……何もない人間がする顔じゃないと思うんだけどなあ……」

 そのタイミングで、僕のスマホがピロリンとメッセージを受信する。


水上 愛唯:今日も他の人と何もなかったんですよね?

水上 愛唯:あったら私泣きます


「……何もないって」

 僕もそうだけど、さ。

 ……人には色々あるんだよなあってなんとなく思いながら、駅のコンコースを歩いてた。

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