第37話 見えた。……私が仕込んだタイトルのメッセージ、気づいてくれましたか?
「楽しかったですねっ、八色さん」
「……ぼ、ぼぐはそうでもない……」
満足そうにお店を出た水上さんとは反対に、僕のテンションと声は最底辺だ。歌いすぎで声が出ない……。
「え? 歌いすぎて疲れちゃったなあ、ちょっと休憩してこうかですって?」
「いっでないいっでない」
あろうことか自分の都合のいいように僕の発言を改変し始めたから、慌ててジェスチャー込みで否定の意を示す。
時刻は夕方五時。パンケーキを食べていた時間と、ちょっと休憩(そのままの意味で)した時間もあるからだけど、五時間はあの密室のなかにいたことになる。……よく僕は自分の貞操を守り切ったと思う。キスのひとつやふたつくらいされてもおかしくない密着度だったからね、あそこ。
「……別にそれでもいいんですけどね、私は」
何ちょっと寂しげに言っているんですか? 絶対に入らないからね、ラで始まってルで終わる施設なんて。
「どれだけやっても八色さんがその気になってくれないので、私に女としての魅力があるかどうか不安になっちゃいますよ、まったく」
いや……こっちは必死で堪えているんですよ? 一歩気を抜くとズボンの形が変わりそうになるのをすんでのところでなんとか抑えているんですよ? 僕だって水上さんの言葉借りるようで悪いけど「健康な若い男性」ですからね、ええ。
「……魅力の欠片は感じだがら気にしなくていいど思うよ」
「……へ?」
渋谷駅へと戻る途中、かの有名なスクランブル交差点の信号を待つ間、僕はそう呟いた。またもや、水上さんの反応は停止して、切り替わった青信号に置いていかれるように立ち止まったままでいてしまう。
「……今、なんて言いました? 八色さん」
これからどこかに繰り出すのであろう、大学生らしき男女の集団が僕らの側を通過していく。その様子はとても陽気で、明るくて、今の僕とは百八十度も違うだろう。
やがて信号が点滅して、横断歩道を走って駆け抜ける人が増えてきても、水上さんの足は動かなかった。すぐに車道を車が往来するようになって、切りつける風が立ち止まったままのふたりを撫でる。
「……んん」
ガラガラの喉を一度咳払いしてから、再度僕は言った。
「……魅力の欠片は感じたから、気にしなくていいと思う」
「……また、八色さんがデレた……」
「だから誰がツンデレじゃい」
淡い水色のワンピースを風に揺らしながら、水上さんは信じられない、といった表情のまま僕を見つめる。
車の行き来も止まると、またすぐに信号が青になって、渋谷名物よろしく、色々な角度から大勢の人々が道路を渡り始める。
「……駅、行かないの?」
「ちょ、ちょっと待ってください……。この信号を渡ったら……今日が終わっちゃう気がするので……。少し、気持ちの整理をさせてください」
僕がそう聞くと、電球が灯ったみたいに顔を赤くさせた彼女は僕から視線を逸らして、斜め下のアスファルトに目をやり始めた。
……僕に言わせてみれば、今の水上さんも十分デレていると思うんだよなあ。ヤンデレのデレ、の部分ね。これだけ見ていれば十分魅力に思えるのだけど、やはりいかんせん愛が重たいから無条件でキュンとすることができない。
「いつでもいいよ。どうせ時間なんてまだあるんだし。気が済むまで信号待って」
「……そ、そういうところですよ。八色さんっ」
「なに?」
「……そういうピンポイントで女の子に優しくするのがいけないんです。だから好きになるんです。今後それは私にだけ見せるようにしてください、いいですねっ?」
ほら、油断するとすぐこうだ。また病みの部分が顔を覗かせる。車が通り過ぎる疾走音を背景に、僕は薄暗くなった夕空を見上げ、
「それは……多分無理だと思う……。だって僕も意識してないから、どういう行動が当てはまるかわかってないし」
少しは良くなった喉を精一杯使って弁明する。
「っ……どうしたら……完全に選んでくれるの……」
水上さんはギュッと唇を嚙みしめて、ぼそっと何やら呟いた。
また信号が切り替わる。今までと同じくらいの人だかりが、一斉に交差点へと流れ込む。その喧騒に紛れるように、
「……次。次のデート、いつにしますか?」
彼女は言った。
「……次って、まだあるの?」
「だって、井野さんとは二回プライベートで会っているんですよ? なら、私とも二回会わないと不公平です」
「……はいはい、わかりましたよ」
ここで断るとまた面倒なことになりそうだ。
「ちょっと、また大学の課題とかレポートの準備とか、ゼミの発表があって忙しくなるんで、テストも終わる八月くらいにどうですか?」
ああ、そっか。僕と違って水上さんはちゃんと大学に行っている大学生だもんね。単位も取らないといけないから大変だ。……僕は必要な分を取り切ってあとはゼミだけだし、それも単位が確定したから……こう、ね?
「いいよ、覚えておく」
「あ、でも。また井野さんと何かされるようでしたら、その限りではないんで。それもよーく覚えておいてくださいね?」
青信号が点滅し始めた。それと重なるタイミングで、しばらく立ち止まったアスファルトから動き出した水上さんは駆け足で横断歩道を渡り始める。
「それじゃあ、帰りましょうか。ほんとはどこか適当な場所に連れこむ予定でしたが、八色さんが二回もデレていただいたので今日はなしにしてあげますっ」
「……そりゃありがとね」
へー。僕、デレてなかったらほんとにホテルに連れ込まれてたんだー。そうなんだー。あー怖い怖い。バックのなかの防犯ブザーが役に立たなくてよかったよかった。
僕も水上さんの後を追うように、走って信号を渡る。最後のほうはもう赤に切り替わっていたから、もうタイミング的にはアウトだったみたいだ。
まあ、アウトなことを平気でやらかすのが水上さんだから……と、言い訳をしつつ、渋谷駅の改札内へ入っていった。
家に帰ると、スマホがラインのメッセージの受信を知らせた。……誰だろ。
水上 愛唯:今日はありがとうございました
水上 愛唯:お礼に今日買った下着の写真をプレゼントします
水上 愛唯:使用用途はご自由にどうぞ
水上 愛唯:写真を送信しました
「…………」
僕は無言でその写真を見ると、トーク画面をそっと閉じ、ベッドにスマホを投げつけた。
「……すぐこういうことしてくる」
とりあえず無視しとこう……。もう疲れた……寝よ寝よ。ただ、既読スルーをしたことで水上さんの不安を買ったみたいで、すぐにスタンプ爆撃攻撃がやってきて僕の安眠を妨害してくれた。……おかげで反応せざるを得なくなってしまったじゃないか。まったく。
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