第35話 かかったチャンス、逃したくない

 かれこれどれくらいの間決まりの悪い時間を過ごしただろうか。唯一の心の支えだったカップルの男性客も「うふふあははえへへ」と言いながら連れの彼女さんと腕を組んでお店を出て行ってしまった。


 何この仕打ち。僕をひとりにするな。いちゃつくことで独り身の僕にダメージを与えるな……。十中八九こういうお店に独り身の男が来るほうが悪いけどそんなの関係ねえ。


「……あ、八色さん。こういうの、どう思いますか?」

 水上さんはもう買うものは決めているはずなのに、なかなか僕をこの牢獄から解放してくれない。下着という名の鞭で囚人の僕をぶって尋問しているような感覚だ。……これももしや「責め」の一環ですか? ……小千谷さん、今度会ったらめっちゃめんどくさい家電の買取振ってやろう。


「どうって──っっっ、な、なにその下着……」

 そして、水上さんが僕に見せたのはとてつもなくエッロい奴。上も下も隠す気あるんですかって布面積だ。

「これ着ているのを見たら、ムラムラします?」

「……知らない」


 ちょっと見るのも憚られる代物だったので、ぷいと視線を外して答える。いや、他のものも十分視界に入れるのは恥ずかしいけど、これはその比じゃない……。

「あー、ちょっと。恥ずかしがらないでちゃんと見てくださいよー。八色さんの返答次第ではこれも買うのもありなんですからー」

「じゃあ絶対に買わないでください」


「……でも、これだとちょっとお手入れしないと……はみ出ちゃうかな……」

「ケホッ、ゴホッ、き、急に何言い出すんだよ……」

 今絶対聞こえるように言ったでしょ水上さん。

「女の子のムダ毛の処理を馬鹿にしたらだめですよ、八色さん。プールや海行くのだって気を使うし、ノースリーブ着るのも油断するとすぐに恥ずかしい思いをするんです。お洒落に努力はつきものなんですよ?」

「……い、いや、それはそうかもだけど。……それと……これは違うでしょ絶対……」


「じーっ」

 彼女は声を出しながら僕の顔を見つめしばらく間を置く。

「八色さんの反応が可愛かったので、これも買いますねー。あ、大丈夫ですよ? 八色さんにしか会わないときだけ履きますから」

「……なんも嬉しくないです僕は……」


 そうして、二組の下着をかごに入れた水上さんが、レジにいそいそと向かいつつ財布に入れてあるクレジットカードを用意し始めていた。

 ほくほくとした表情で袋を片手に出てきた水上さんをお迎えして、次なるスポットへと連れて行かれた。

 最初でこれだろ……最後はホテル連れ込まれるんじゃないの、僕……?


 お昼の時間になって、どこで食べるんだろう、僕は渋谷なんて普段行く機会がない。せいぜい横浜に出るときに東横線の乗り換えで通る程度だ。美味しいお店なんて知らないし、そもそも日曜昼なんてどこも混雑しているのではないだろうか。なんて考えていると、


「次はメインのカラオケです。お昼もここで済ませちゃいましょう? 私、食べたいものがあるんです」

 と言われ入ったのはさっきのビル近くにあるカラオケ店。ただし、よくあるチェーンの店ではない。どこかカラオケボックスらしからぬいい雰囲気を漂わせている店内に入り、受付に行く。


「正午から予約していた水上なんですけど──」

 ……彼女、僕より東京歴短いのに、めっちゃ慣れてません? なんなら僕より頼り甲斐あるかもしれない(一定のベクトル方向に対しては)。

 すると、僕の表情から思考を読み取ったのか、


「……八色さんとのデートだから、本気でプラン立てたんですよ? ……ただの友達と遊ぶために、ここまで頑張ったりしません」

 はにかむような笑みでそう彼女は耳元で囁いた。

「……そ、そっか……はは」


 受付からかごに入ったマイクと伝票をもらい、指定された部屋へ直行。

 ドアを開けてなかに入ると……。

「……はひ?」

 恐らく少人数用の部屋、なんだろうけど……。お屋敷で靴を脱ぐスタイルのこの部屋は、ふたりも入ればほぼ満員のような広さだった。


「もしかして……狙った?」

 ドアの開閉部、家で言うところの三和土で後ろを振り返りつつ尋ねると、満面の笑みで、

「はいっ。狙いましたっ」

 逃げも隠れもせず水上さんはそう答えた。

「ここなら合法的にくっつけるって思って」

「……いや、なんか……もういいです」


 入ってしまったものは仕方ない。それに、最初のランジェリーショップはともかくとして、文句があるなら自分で考えたらよかっただろ、ということになるのでグッと言葉を飲み込んで手狭な室内に靴を脱いで入り込む。水上さんもそれに続くんだけど……、


「……わざわざ隣に座る必要なくない? 正面空いているんだし」

 僕の隣に女の子座りで位置を取った水上さん。丸型テーブルの反対側が空いているのに。

「言ったじゃないですか。合法的にくっつくためって。じゃないと私がここにしてもらった意味が八割くらいなくなりますっ」

 正面が空いたならと足を伸ばして座っている僕の左膝に水上さんのちょっとぷにっとしたふくらはぎの感触がする。


「……残りの二割は?」

「それは……これですっ」

 カラオケのタブレットと並ぶように設置されていた小型タブレット。そこには、でかでかと映るパンケーキの写真が。


「ここのお店、パンケーキが美味しいことで有名みたいなんですっ。東京と言えばパンケーキ、タピオカ、一度食べてみたかったんですよ……私」

「なるほど、ね……」

 普通にスタンドやカフェで行列に並ぶより、カラオケを予約して食べてしまうほうが何かと都合がいい。食べるだけでなく、歌うこともできるのだから。それに、待ち時間も生じない。


「八色さんは、どれにしますかっ?」

「じゃ、じゃあ……シンプルにホイップが乗ったこれで……」

「でしたら、私はこのフルーツがたくさん乗ったものにしますっ。早速注文しちゃいましょうっ」


 ……なんか、普通に楽しそうにしているところ、初めて見たかもしれない。今までは僕のためとか、僕のためとか、僕のためとか色々重たい部分ばっかり見されられてきたけど……、こういう含みのない楽しそうな顔もちゃんとするんだなあって……。


「八色さんは、カラオケは行くんですか?」

 パンケーキを待つ間、とりあえず雑談でもして暇を潰すことに。

「まあ……二次会とかで行くことはあるけど、自分から行くことはあんまりないかな……」

「へえ、そうなんですね。実際は、どうなんですか? 上手いんですか? 歌」

「別に、普通じゃないかな。すごい音痴ってわけでもないし、めっちゃ上手いとも言われないし」

「八色さんのカラオケ、楽しみなんですよ……こっそり」


 そ、そんな期待の眼差しを向けられても……困る。あと、やっぱり近い。なんか柔軟剤とシャンプーの香りが混ざっていい匂いがするし……。これも、狙ったのか……?

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