第34話 お願い、選んで八色さん。

 井野さんの家から帰った僕は、力尽きてそのまま寝落ちてしまった。色々と張りつめた一日だったから。翌日の土曜日、目が覚めたときは、なんと午後の二時半。

「やばっ! バイト遅刻するっ!」

 慌ててシャワーを浴びて服を着替え、髪を乾かす間も惜しんで家を出た僕は、肩で息をさせながらなんとか四時の出勤に間に合わせた。


「あらあ、太地クンがギリギリなんて珍しいわねえ。どうかしたの?」

 スタッフルームに入るなり宮内さんに話しかけられる。もう他のメンバーは制服に着替え終わって、今まさに夕礼が始まろうとしているときだった。

「いやっ、単に寝坊をして……」


 事情を説明しつつロッカーにカバンを放り込み、飛び入るように更衣室に。

「夜更かしでもしたのお? だめよ、若いからって夜遅くまで頑張っちゃあ」

 ドアの向こう側からは宮内さんの少しまとわりつくような声が聞こえてくる。


「……もしかして太地先輩、夜遅くまでずーっとエロ動画でも見てたんすか……」

「浦佐の想像するようなことは一切してないから安心していいよっ!」

 なんで僕は寝坊しただけでそんな謂れを受けないといけないんだ。


 更衣室を出てスタッフの輪に入ると、これまた水上さんが無表情で僕のことを見つめている。……ああ、これはまた余計なことを考えているな。小千谷さんは小千谷さんでなんかニヤニヤしているのがイラっとくる。

「……それでは、夕礼を始めます、司会は水上です──」

 相変わらず顔が死んだままの水上さんがそう言って、夕礼がスタートした。


「それで、なんで寝坊なんてしたんですか? 八色さん」

 休憩までの最初の配置は、まず補充だった。カウンターは浦佐と中番の先輩、あと小千谷さんに任せて、僕と水上さんは本の補充をしていた。

「……昨日、井野さんのお家に行かれた日ですよね? まさか、本当に夜遅くまで頑張った、ってことはないですよね?」

「何言ってんの……? 十時くらいには帰ったよ。そんなことするわけないでしょ……」


「それを聞いて安心しました」

「聞く前から安心してもらいたいけどね」

 と、話しながら、文庫本の山をどんどん棚に差していく。

「ところで」

 ちょうど、手持ちの補充物がなくなったタイミングで、水上さんは僕のほうを向いて尋ねた。


「……明日のこと、覚えてますよね? 八色さん」

「…………」

 あ。そういえばプラン提示するなら今日までに連絡って言ってたっけ……。やばい、井野家訪問でそれどころじゃなくなってたから、綺麗に忘れていた。


「約束通り、八色さんから指定がなかったので、明日の予定は私が考えました。八色さんって、カラオケはお好きですか?」

「え、あ、まあ……好きは好き……くらいだけど……」

「ならよかったです。明日は買い物とカラオケにしようかなって考えていたんで」


 ……こう言っちゃあれだけど、意外と普通だった。てっきり水上さんのことだから、僕の家に押しかけて一日中軟禁とか、なし崩しに一泊二日に温泉旅行を計画して強引に同じ部屋に寝泊まりさせるとか、それくらいぶっ飛んだことをやりそうかと思って。

「それでしたら、明日は午前十時に、渋谷駅のハチ公口待ち合わせでお願いしますね」


 いや、僕の感覚は間違っていなかったんだ。……あの、水上さんが僕の思う普通のデートプランを考えるはずがなかったんだ。


 ハチ公口に約束の五分前に着いた頃には、人だかりのなかに既に水上さんは待っていた。

 無地の白シャツに適当なワイシャツをボタン開けて着るという適当な僕を見つけると、上機嫌そうに駆け寄ってきては、

「おはようございます、八色さん」

 薄い水色の裾が長いワンピースを揺らした水上さんはそう言う。


「……お、おはよう、水上さん」

 やはり、井野さんとは対照的なんだよな。井野さんはどこか年頃の女の子っぽい雰囲気を醸し出しているのに対して、水上さんは少し大人びた女性的な印象を僕に与える。

「……今、別の女性のこと考えてましたね? 八色さん」


 少しの間何も言わずにいると、目を細めた彼女は口をとがらせて僕に指摘する。

「だめですよ? デート中に他の女性のこと考えたら。今は……というかこれからもそうであって欲しいですけど、私のことだけ考えてください」

「……すみません」

「わかればいいんです、わかれば。では、行きましょうか?」

 そうして、ウキウキの水上さんが僕を連れて行った先は……。


「ちょっと待とうか水上さん、なんで僕がここに入らないといけないの?」

 とあるビルに入居している……ランジェリーショップだった。

「なんでって八色さん……言わせたいんですか? えっちな人ですね……もう」

 吐息混じりに呟くな。色気混ぜても駄目からな。


「い、いやさすがにおかしいって、男の僕が入るようなところじゃないってここ」

 赤青黄色、色々な色、デザインの下着が並んだお店の目の前で駄々をこねる僕。……そりゃそうだろうね。これは正当な抗議だと思いたい。


「大丈夫ですって。ほら、あそこにカップルで入っているお客さんいますよ? 別におかしな話じゃないから安心してください、八色さん」

 彼女は何食わぬ顔をして店内にいる男女客を指す。

「だっ、だとしてもちょっと僕には刺激が強すぎるというか」

「……もーっと刺激が強いことしてあげましょうか?」

「う……」


「それに、八色さんに選んで欲しくて連れて来たんですから……どうせ八色さんに見せることになりますし」

「ねえおかしくないなんで僕の前で脱ぐ前提になってるの」

「そんなことは気にしないで、さあ、入りましょう?」

 すると最後通牒を切った水上さんは僕の手を無理やり引っ張って、数々の下着が陳列されている男の僕にとっては最高に居心地が悪い空間へと連れて行かれた。


「八色さん、この白色の下着と赤色の下着、どっちがいいと思いますか?」

 声色弾ませて彼女は、可愛らしい花柄のデザインが入った下着と少し露出が激しそうな下着を交互に見せてくる。

「……ぃゃ、ほんとに勘弁して……真面目に恥ずかしいんだって僕……」

 多分井野さんばりに顔が真っ赤になっているんだと思う。体温も上がって、周りの人に見られているんではないか、そんな感覚もしてしまう。


「水上さんの選びたいものでいいと思う……よ?」

「私が選びたいのは八色さんが選んだものなのでっ、さ、考えてくださいっ。あ、実際に試着してみせたほうがいいなら……そうしますか?」

「それは絶対にまずいからだめ……」

「じゃあ、想像のなかで私を脱がして、履かせてみてください?」

「……言いかた」


 んんん……まさかほんとに脳内で水上さんの着せ替え下着ファッションショーをするわけにはいかないので、なんとなくよさげなものを選択する。

「じゃ、じゃあ……この白の花柄のほうで……」

 そっちのほうが、見せつけられても精神衛生上まだよさそう、とは絶対に言わないけど。

 はあ……前途多難だよこれ……。

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