第33話 受けは受けでも誘い受け(知ってた)
「……ほんと、すみませんでした……私の両親が色々失礼なこと言って……」
床に直接座って、貰った黄色いクッションを抱きかかえる僕。井野さんも似たような体勢で、水色のクッションを使っている。
「いや……別に気にしてないからいいよ。むしろ愛されてるなあとも思ったから」
一面の本棚、そして飾られている缶バッチなどのキャラクターグッズ、おまけのように掛けられている高校の制服。机には漫画を描くのに使うのであろう道具が置かれている。
「で、でも……つ、付き合っているわけじゃないのに……け、け、結婚の話まで勝手に始めて……」
リビングから離れてもまだ茹でたみたいに顔を赤くさせたままの井野さん。……まあ、判子を押す準備はできている発言のあたりはさすがにこっちも驚いたけど……。
「……それだけ僕が信用されているみたいでよかった……と好意的に捉えておくよ……」
高校三年生の娘に近づく四つ上の大学生なんていたら、僕なら追い返すねまず。
「にしても……随分と濃いご両親で……BL読むのも、その影響なの?」
「は、はい……。私が中学に上がったときくらいから、両親が隠さないようになって、ああいうふうに攻め受けの話や、カップリングの話は普通に毎日のようにしてます……それで私もって感じです……」
なるほど……なるべくして井野さんは腐女子になってしまったのか……。まさかお父様が腐男子だとは思わなかったよ……。
「じゃあこの部屋にある漫画って、もしかしてご両親のものも混ざってるの?」
「いえ。ここにあるのは私が買ったものだけです」
……まだ別に本棚があると言うのか……。
「だとするなら……凄い量だね……月いくら使っているの……?」
「え、えっと……大体一万から二万円くらいで漫画代は収まってます」
……もう驚くのはやめよう。だって井野さんイメチェン直前にアニメショップで会ったとき、えげつない量の漫画を買っていたじゃないか。あのときは怖くていくら買ったのとは聞けなかったけど、月にそれくらい行っていても不思議ではない。
ただ、僕がそれを聞いて黙り込んでしまったのが井野さんを不安にさせたみたいで、
「……す、すみませんやっぱり気持ち悪いですよね毎月こんなに漫画買ってたら」
「い、いや全然そんなことないよ、全然」
胸元に抱えているクッションを強く抱きしめてしまう。
しかし、改めて見ても凄いな……。なんか、ザ・井野さんの部屋って感じがする。所々女の子っぽい要素は持っているけど、全体的にオタクっぽい雰囲気がメインに流れていて……。と、そんなことを考えながら部屋を見渡していると、ふと井野さんのベッドが視界に入る。
……否応でもあそこで彼女はひとりで致しているのかと想像してしまう自分に嫌気がさす。これだから男の性欲は。
「……? どうかされましたか?」
「あっ、いや……なんでもないなんでもない」
井野さんのことも直視できないまま、とりあえず僕は適当に誤魔化す。
……軋むベッドの音、夜な夜な親に聞こえている井野さんの湿った声……ん?
「……一応聞くけどさ、ここの隣の部屋って?」
「り、両親の寝室ですけど……っっ」
恐らくは僕の質問でこの間恵さんがバラした事実を思い出してしまったのだろう。ぐるぐると頭を回しながら口元をクッションで隠しつつ、
「……そ、そんな、毎日しているわけじゃ……ないんですよ? ね、眠れない日だけ……そうするといい感じに疲れてよく寝られるんです……」
「いや聞いてないし話さなくていいから」
そこらへんの行動心理はただ快感を得たい野郎と違うだろうってのはなんとなくわかってるけどさ。ええ。
「ただ、普通に今の会話も観察されてたりするのかなあって……思っただけ」
まあ、さっきの様子を見る限りだと、なくはない話じゃないかなって。
「あ」
井野さんはしまった、というふうな顔をして慌てて部屋を出ると、やがて「リビングに行っててっ!」という叫び声が聞こえてきた。「えー、つまんなーい」「若い男女が夜同じ部屋にいるとどういう会話をするのかっていうサンプルを採っていたのに」などと、恵さんからも章さんからも不穏な声が聞こえてくる。……何? もし僕がタガ外して井野さんのこと襲っていたら、両親の観察下のもとだったってこと? あっぶねー。そのつもり全くなかったけどあっぶねー。
「八色さーんっ、円は受けだから、受けっ」「だっ、だから余計なこと言わないでって!」
「…………」
なんだろう、ここまでオープンな家庭も珍しい気が……。
「す、すみません……今リビングに移らせたので……」
井野さんはまた部屋に戻り、さっきと同じようにクッションを胸元に抱き留める。
「う、うん……まあ、はい」
「あっ、私が受けとかそういうのは……気にしないでいいので……」
「……というか、気にする機会そうそうないと思う……」
そんなのに注意を払うのって、ほんと付き合っている男女とかそういうものでしょうし……。
「というか……なんで受けって知られているの……? 親目線、子供の性癖ってなかなかつかめるものじゃないと思うけど……」
ましてや女子なら。男だったら、お母さんにエロ本見つかったとかでバレることはあるだろうけど。
「……た、多分、私が主人公が受けな漫画を多く買っているのを知っているからかなと思います……」
「あー、そういうこと……」
「びっ、BLだけじゃなくて、レディースコミックとかも含めてですよっ?」
レディースコミックって……大人の少女漫画的な? 詳しいことわかんないからあれだけど……。男女が恋愛する漫画においても主人公が受け側であるのが井野さんは多い、と。
……でも、その割には自分からキスをせがむこともあったしなあ。……ん? もしかして。
「……一応これも確認しておくけどさ。誘い受けとかでは、ないよね……?」
もし「いいえ誘い受けです」と言われたら僕は急いで警戒を固めないといけなくなる。
「…………」
あれ。何この間。もしかしてこれって誘い受けだったりする? ……よくよく考えたら小千谷さんから貰ったゴムを持参するような子だから、実は結構ガチな誘い受けだったりするのか……? むっつりさんでもあるし。
「……や、八色さん? どうされたんですか? 急に私から距離を取って」
「いや……なんとなく身の危険を感じて」
「そっ、そんな、誘い受けはあくまで誘うだけであって──あっ……」
スーッと僕は井野さんと距離を離していく。
「ちっ、違うんですっ、こっ、これは基礎知識みたいなものでっ」
「……だとしても井野さん前科あるからちょっとなあって」
「え⁉ 前科⁉ 円もしかして誘ったの⁉ 八色さんその話詳しく聞かせて⁉ たいち×まどか……たいち×まどか……」
「だからお母さんリビングいてって言ったのにっ!」
……なんか、ほんとカオスだなあ……。賑やかなのはいいことだ……うん。でも……僕はちょっとこのテンションについていくのがいっぱいいっぱいかなあ……。
午後十時を回ったタイミングで僕はお暇させていただいた。井野さんに高円寺駅まで送ってもらい、顔真っ赤になりつつも改札で小さく手を振って、僕らは別れた。
……予想とは違う方面にどっと疲れた一日だった。
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