第32話 判子を押す準備はできている

「いやねお父さん。こんな優しい外見をしているのだから、オーソドックスに受けに決まっているじゃない」

 お皿にご飯とカレーをよそいながら、恵さんがそう言う。……お母様?


「いいやわかってないね。見た目と中身のギャップはあって然るべきだ。想像通りのキャラをしていては面白くない。優しい表情をしつつ相手を責めるのもありだと思わないか?」

 お父様? あなた真面目な顔で何をおっしゃっているんですか? しかも食卓ですよ?


 すると、隣の娘さんはまだ何も食べていないのに激辛のカレーを口に含んだみたいに顔を真っ赤にして、

「お母さんもお父さんもやめてよっ! 八色さん困ってるでしょっ?」

 僕の攻め受けで熱い議論をしているご両親を一喝した。

 ははは……僕の行く先々はどこもカオスですか。そうですか。


「……ああ、申し訳ない。まさか円が友達を、ましてや男の子を連れてくる日が来るなんて夢にも思ってなかったから、つい興奮してしまって」

「ほんと、そうよねー。彼氏はおろか、友達もできないまま高校三年生になっちゃって。先行きが不安だったのよー」

「……も、もう恥ずかしいからやめてよ……」

 まだご飯始まってないのに涙目になっているんですが。これが、アウェイの洗礼って奴ですか? おかしいな、円さんはここホームのはずなのに……。


「はい、とりあえずご飯にしましょう?」

 僕を含めた四人全員にカレーが行き渡り、恵さんの一言で「いただきます」と呟いた皆様はカレーを一斉に一口食べる。……家族だあ。

「い、いただきます」

 僕もそれにならうようにカレーを口に入れる……。

「……お、美味しい」


 瞬間、不思議とその感想が口を衝いてでた。程よい辛みのルー、舌に触れた瞬間ほくほくに溶けていくジャガイモ、甘みも兼ね備えたニンジンに柔らかい豚肉……。なんだこのカレー。美味しすぎるぞ。


「ふふっ、おかわりもあるからたくさん食べていいからねー。私はこのカレーでお父さんを落としたんだから」

「ほんと、お母さんの作るカレーは僕にとって世界一だからね」

「もう、お父さんったら、褒めても何も出ないよー?」


 くふふと、新婚ほやほやの夫婦みたいに笑い合って見せるおふたり。またもや円さんはそれを見て首をすくめている。

「……す、すみません……私の両親、いつもこんな調子なんで……」

「いや、仲が良いのはいいことだと思います……」

 すごい、このカレーほんとに美味しい。そりゃあこんなカレー作られたら評価ポイントにもなるだろうなあ……。毎日でも食べられそうだもの。


「でも、八色さんにもカレー、満足していただけたようで私嬉しいわー。うちに男の子がいたらこんな感じだったのかしら」

「円と結婚すればこれも普通になるんじゃないのか?」

「ぶっ……けほっけほっ」

 僕はその衝撃発言にむせてしまい、慌ててコップの水を口に入れて消火活動を行う。

 お、お父様? 急に何をおっしゃるのですか?


「おおおおお父さん、ななな何を言っているの? 八色さんはバイトの先輩で、別にそういう関係じゃ──」

「でも、好きなんだろ? 急に髪切って眼鏡外したと思ったら、この間はあんな漫画っぽいお洒落して出かけて」

「っっぅぅ……」

 あのー、井野さんのご両親は僕の前で娘さんを辱めるのがご趣味だったりされるのでしょうか? さすがに可哀そうになってきたよ?


「親の僕が言うのもあれだけど……円はほんとに典型的な地味なオタク女子だったからなあ……。外見は変わっても、性格までは変えようがない。男っ気もなかったしね。でも、そんな円が選ぶ人なら、僕は誰でも賛成さ。……BLに理解がある人なら、ね」

「大丈夫よお父さん。八色さんはその点には理解がある人みたいだから」

「それは素晴らしい。いいよ、八色さんなら円を任せてもいい。僕の息子になってもいい」


「っっっっ、ごほっ、ごほっ」

「や、八色さん? だ、大丈夫ですか……?」

 二度目の咳だ。……予想していた方向と全く違う会話がなされて僕は困惑しています。すっごいフランクな人でビックリしています。逆にどうしてこの陽気なご両親から大人しい円さんが生まれたのか不思議に思うくらいです。……それとも、ご両親のボケに突っ込みを入れるうちにこうなったのかな。


「だ、大丈夫だよ……あはは……」

 コップの水が空になっちゃったよ……。次むせたらアウトだな……。

「おっ、お父さんも、お母さんも勝手なこと言って八色さん困らせないでよ……。そもそも八色さん、来年からは就職決まってるし、そんなこと簡単に頷けるはずないよ……」


 カレーのせいかこの展開のせいか、それとも両方か。円さんは相変わらず顔を赤くしたまま正面に座るご両親に抗議する。

「あら、八色さん今四年生なの?」

「は、はい。卒業も都内の会社の内定も決まっているので……来年からは社会人です……」

「なら尚更安心じゃない、お父さん」

「だな。円が成人する前でも僕は婚姻届に判子押してあげるから、八色さん」

「げほっ、げほっ、んんっ、んん」


 水っ、水っ!

「や、八色さん、これどうぞっ」

 三度目の咳込みに円さんは慌ててコップに入った水を差しだしてくれた。

「あっ、ありがと……」

 僕はそれを半分ほど飲み込んで、ようやく落ち着かせる。


「あら? それ、円が口をつけたもの……あらあらー?」

「もっ、もうやめてよお母さん、お父さん……」

 ご両親からの攻撃に耐えきれなくなった円さんは、へなへなとテーブルの上に崩れ落ちてしまった。耳から首まで赤色に染まっていて、桜色のブラウスと合わさってグラデーションがかかったようにも見えてしまう。

 とまあ、そういった感じで基本ご両親が娘を辱める形で夕飯はつつがなく(?)進んだ。


 食洗機があるお家みたいで、片付けがすぐに終わると、リビングで座ったままの僕に恵さんがニヤニヤした表情で一冊の分厚い本を持って近づいてきた。

「八色さん……円のアルバム、見たくない?」

「えっ……? で、でも……」


 それを聞いて、隣で突っ伏していた円さんは、全身という全身を真っ赤にして椅子から立ち上がり、

「ぜ、絶対に見せちゃだめっ! や、八色さん、私の部屋行きましょう?」

 僕の手を強引に引っ張ってはリビングを後にしていった。

「家から出たほうがいいならラインしてねー。あっ、円は受けなんで八色さーん」

「よっ、余計なお世話っ!」


 そして、玄関に一番近いところにある井野さんの部屋に僕は通された。部屋のなかは、どこかふんわりと淡い芳香剤の香りがして、彼女らしい空気を漂わせている。一面には本棚という本棚がずらりと並んで、そこには漫画の数々が入っている。……ほぼBLだけど。


 クローゼットのなかから可愛らしい黄色のクッションを引っ張り出して彼女は、

「……どうぞ、これに座ってください」

 と言ったけど……。これはこれで状況としてまずくないですか? ふたりきりだぞ?

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