第31話 家族全員腐っていると言うの

 ……今日が十三日じゃなくてほんとによかったと思っている。心の底から。そうでなかったら、きっと僕は帰り道に顔見知りの女性に後ろからナイフで刺されるんじゃないか、そんな予想まで立ててしまうから。


 金曜日の夕方五時四十五分。僕は高円寺駅の改札側にあるコーヒーショップで時間を潰していた。何度も何度も腕時計で時間を確認して、しきりにマグカップのなかに入っているコーヒーにシュガースティックを入れたり。おかげで胸やけするほど激甘だ。


 ……大丈夫だよね、変な格好じゃないよね。もともと服に頓着しないタイプだから、派手な服は持っていない。ここはシンプルイズベスト、ということで真っ白なワイシャツ一枚に薄茶のズボンで整えた。……髭もちゃんと出かける直前に剃ったし、お土産のお菓子も忘れていない。なのに……どうしても不安です……。

 十本目の砂糖をコーヒーに突っ込んだところで、テーブルに置いていたスマホがメッセージを受信した。


いの まどか:すみませんm(__)m 今学校から出たので、これから向かいます

いの まどか:あと十五分くらいで着きます


 ……いっそ、永遠に着かないでくれ。僕がこのお店の砂糖を使い果たすまでは。

 井野さんの高校は新宿から電車ですぐのところにあるらしい。正直、こういうのを聞くと東京の高校生って羨ましいなあって思ったりする。放課後に新宿とか原宿とか渋谷とか行けるのって。遊ぶなんて地元じゃ基本ひとつしか場所なかったから。


「……甘」

 これ下手すると糖尿出そうな勢いで砂糖摂取しているんじゃ……。


いの まどか:今中野です もうすぐ着きます


 ……なるほど、次に着く電車だな。なんだかんだで約束通りの時間か。

 僕は残ったコーヒーを一気に飲み干して、お店を出る。ちょうどタイミングよく、井野さんが乗ったと思しき電車が到着して、たくさんの人が改札を通っていく。その一団のなかに、見知った顔と学校の制服を着た待ち人を発見した。


「すっ、すみません……ちょっと先生に呼び出されて時間かかっちゃって……」

 ……学校から駅まで走ってきたのだろうか、まだうっすらと汗が浮かんでいる井野さんは膝に手をつきながら僕にそう話しかけてきた。

「……いや、全然いいよ。コーヒー飲んでゆっくりしてたから」

「そ、それじゃあ……行きましょうか……」

 そうして彼女は僕に目配せをして、人で賑わっている商店街のある方角へと歩きだした。


「……すごい人通りだね」

 商店街には所狭しと並んだ多くのお店が連なっている。食品を扱う店からコンビニ、薬局、靴屋、紳士服と……なんか怪しげなビデオショップとか。そんな通りを人が色んな方向から出てきてはすれ違っていく。たまに自動車も通っていくからほんと混沌としている。


「朝とこの時間は混み合うんです。自転車の交通量も多いので、いきなり後ろから至近距離を通り過ぎられることもしばしばですよ」

「へ、へえ……」

 まあ、高円寺って立地はいいからね。都心に近いし、電車で一本だし。二十三区内だし。そりゃ人も多いか。


 商店街をどんどん奥に入り、やがてそれも終わり、今度は閑静な住宅街が並び始めた。どちらかというと、背の低い家が多く、空を遮るものが少なく、また通りに公園もあるみたいで子供の遊ぶ声が聞こえてきたりして、少し長閑だ。

 僕も井野さんもお互いに緊張しているからか、あまりこれといった会話をすることなく進んでいき、二十分が経った。


「……ここが、私の家です」

 連れて来られたのは、少し小綺麗な新しいマンション。ただ、例に漏れず背は高くない。 井野さんは緊張した顔つきでオートロックの共同玄関の鍵を解錠して、建物のなかに入る。エレベーターで三階に上がり、降りて三部屋通り過ぎたところに「INO」と書かれた表札が目に入った。


 ……とうとう、このときが来てしまった。落ち着け僕。別にやましいことはしていないんだ。井野さんの彼氏でもないし、そもそもお礼をしたいってことで招かれたんだから。そうだ。恐れるものなんて何もない。

 井野さんは玄関のドアの鍵も開けて、ゆっくりとドアを開ける。


「ただいま……」

「あら、八色さんお待ちしてましたー。どうぞ、上がってください」

 その瞬間。玄関とリビングを繋ぐ一直線の廊下に、先日お会いした恵さんがハイテンションでこちらにやって来た。エプロンを身に着けた姿は、一瞬だけど井野さん……円さんが結婚したらこんな感じになるのかなあって想像させてきたり。


「お、お邪魔します……。すみません、わざわざお招きいただいて……。これ、つまらないものですが、僕の地元の銘菓でして……」

 ひとまず靴を脱ぐ前に礼儀だけは済ませておく。

「そんな気を使わなくてもいいのにー。ご丁寧にありがとう。ほんと真面目でいい人ねえ。ささ、八色さん、リビングへどうぞ」

「……わ、私は着替えて来ますので……ちょっとひとりにしますけど、待っててください」


 い、んん。円さんはそう言うとそそくさと一番手前にある部屋に入っていった。

 僕は靴を脱ぎ、恵さんに連れられるままにリビングに入る。一般的な3LDKといった間取りみたいで、リビングのテーブルには、もう既に晩ご飯が並んでいる。この匂いは……カレーか。それに生野菜と一緒に唐揚げまでついてきている。


「どうぞ、そこの奥の席で座って待っていて。すぐに円が来ると思うから」

 恵さんに促されるまま、指示された場所に座ってそわそわと円さんが戻るのを待つ。いや、ほんと落ち着かない……。というか、お父さんは部屋にいらっしゃるのかな……? 今日一番の不安材料なんですお父様……。


 やがておどおどと制服から私服に着替えた円さんがリビングに入ってきて、

「お、お待たせしました……」

 力なくそう呟いては僕の隣の椅子に座る。……今日は比較的普通の服だった。少し淡い桜色がかったブラウスに、長めの白のスカート。……まあ、この間みたいな服を家では着れないよね。


「あら、円、そんなシンプルでいいの? この間あんなに悩んで服選んでいたのに」

「んっっ……よ、余計なこと言わないでよ……お母さん」

 台所からにょろっと顔を出した恵さんがからかうと、少し怒った円さんはむくれてみせる。……なんか、普通に反抗期もしているんだなって思うと意外というか。怒る、ってイメージが湧かないから……。


「お父さんー、ご飯にしますよー」

 すると、炊飯器を抱えた恵さんは、やはり家のどこかにいるらしいお父様を呼ぶ。

「ああ、今行く」

 ……どんなに願っても、お会いしなければいけないんですね……お父様に。隣の彼女も、両膝の上に手を合わせては、ぷるぷると震えさせている。


 足音がして、廊下とリビングを繋ぐドアが開かれる。そこには……

「……ああ、君が例の」

 って若っ! え、何ここのお家って実年齢マイナス十五くらいの見た目をしないといけない法律でもあるんですか? それなら娘さんが可愛い系なのも頷けるんですが。

 と、まあ失礼な感想も頭のなかでほどほどにしておいて、僕は椅子から立ち上がっては挨拶をする。


「ま、円さんと同じお店で働いている、八色太地と言います。よ、よろしくお願いします」

「うん、父の章です。よろしく。……ところで、君。攻めと受け、どっちなのかい?」

「……え? 攻めと受け?」


 ふと隣の円さんのことを見ると、カアッと顔を熱くさせて俯いている。そして、小さく、

「……私の父、女性向けノベルの作家をしているんです……」

 と説明してくれた。……わお。つまりここのお家は全員、腐っているってことですね。

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