第30話 結局こうなりました。

 井野母襲来から二日が経ち、プレミアムフライデーかブラッディフライデーになるのかの心配が徐々に大きくなってきた水曜日。……バイトは花金もプレミアムなフライデーもないんだよ……。むしろ書き入れ時だよ……。今週は休みだけど。

 退勤も済ませてさあこれから帰ろうってときにスマホにメッセージが届いた。


いの まどか:すみませんm(__)m 母も父も連れてこいの一点張りで

いの まどか:私から誘わないと明日お店に行くと言い出して聞かないんです

いの まどか:申し訳ないんですけど、金曜日……いいですか?


 三通立て続けに送られてきた。僕はそれをスクロールして確認すると、肩をすくめる。

 ……やっぱり、行かないとだめですか。ただタクシー代立て替えただけなのに、どうしてこんなことに……。


「どうしたんすか? ため息なんてついて」

 従業員専用のエレベーターを待つ間、浦佐に声を掛けられる。ちっこいところから見上げる顔は、どこか不思議そうだ。


「いや……その……」

 ただ、今ここに水上さんも一緒にいるから、正直に答えるのは憚られる。返事に窮していると、しかし浦佐は余計な勘の良さを働かせてしまい、

「あっ、一昨日来た円ちゃんのお母さんの話っすね? そういえば、お家にお誘いされてたみたいっすけど、どうなったんすか?」

 などと馬鹿正直に全部話してくれた。……おい。


 おっかなびっくり後ろに立っている水上さんのことを見ると、これまた張りついたような笑みを浮かべているではないか。ああ……またきっと僕は襲われるんだろうな……。

「え? ああ、いや、さすがに流れたよ。いきなりだったし」

 デートだけでなくお家にまでお邪魔するなんて知ったら、水上さんは僕の家まで特定してもっとすんごいことをしてきそうなので、とりあえず誤魔化すことに。


「そうなんすか? つまんないなー」

 お前はつまんないかもしれないけど僕はこれでも十分詰まっているんだよ、人生が。

 エレベーターを降りて、夜の新宿の地下通路を歩いて駅に向かう。途中の京王線の改札で浦佐と別れるとすぐに、


「……八色さん? どういうことなんですか?」

 隣にいる水上さんは冷めた表情を僕のすぐ近くにまで持ってきて追及してきた。ほら見ろ。

「月曜日に井野さんのお母さんがお店にやって来たんだ。この間の大雨のときに、僕が井野さんの帰りのタクシー代を立て替えたことのお礼をしたいから、家でご飯でも一緒しないって話が出かかった。それだけ」

「……そ、それだけって。ご、ご両親と一緒にご飯だなんて、そ、そんなのまるで……婚前みたいじゃないですかっ」


 まあその考えは一理ある。水上さんは慌てふためくように視線をあっちこっちに振り回す。

「……でも、予定が合いそうにないから流れた」

 僕がそう言い、とりあえず水上さんを安心させようとすると、再び通知が鳴った。

「ちょっとスマホ見せてくださいっ」


 すると、水上さんは僕のズボンのポケットから強引にスマホを取り出してロック画面を確認する。

「な、何するんだよ、だめだってっ」

「……八色さんの嘘つき」

 画面を見終えた彼女は、力なく僕の腕のなかにスマホを返すと、弱々しい調子でそう言った。


「金曜日に行くことになっているじゃないですかっ」

 ……何が届いたんだ? 僕も通知を見て中身を確認すると、


いの まどか:や、八色さん? やっぱり用事ありました? 既読ついてるから  読んではくださったんですよね……?


いの まどか:もし行けるなら、金曜日の夕方六時に、高円寺駅の改札前に来てください


いの まどか:お返事お待ちしてますm(__)m


 僕のアホ……なんで見たときに返事寄越さなかったんだ……! おかげで水上さんにバレちゃったじゃないか……。

「嘘をつく悪い人には……罰が必要ですね」

 水上さんの重々しい一言に、僕の肝が冷える。


「……井野さんばっかりデートしてずるいです。私にも付き合ってください。……少なからず、井野さんと同じくらいには。……でないと不公平ですし、私を選んだはずなのに、不誠実です」

 いや……確かにあのときの二択では水上さんを選んだけど……条件付きだったじゃないですか……。


「八色さん。次の次のお休みはいつですか?」

 中央線のホーム下、たどり着いた僕と水上さんは立ち止まって、面と向かいあって話をする。

「……日曜日だけど」

「私も日曜日はお休みです。じゃあ、その日、ふたりでデートしましょう?」

「…………」

 正直すごく嫌なんですけど……。


「八色さんのお好きなプランで構いません。お家デートがいいならそれでもいいですし、八色さんが行きたいところでもいいです。それも決めるのが面倒だって言うなら私が考えてもいいです。つまりは、何もかも八色さんが選んでいいです。それでも駄目ですか?」

 ただ、断るともっとひどいことになるよな……。ほぼ確実に。

「わ、わかったよ、いいよ……それで……」

 仕方ないので僕は頷くと、嬉しそうに顔を綻ばせた水上さんはぺこりと頭を下げる。


「ありがとうございますっ。では、プランなど決まったら連絡ください。あ、土曜日までに何もなかったら、私に任せたってことにして、私が待ち合わせ場所を指定しますので、踏み逃げはさせませんからね?」

「……了解です。じゃあ、僕は電車乗ります、お疲れです……」

「はいっ、お疲れ様でしたっ」

 僕が階段を上りきるまで手を振り続ける水上さんは今日も健在で、後ろ目に覗いた彼女の純粋に嬉しそうな笑顔を見て、少しだけため息をまたついた。


「……そうだ、返事送らないと」


八色 太地:わかりました、その日は暇なので行くね


 多分、トーク画面を開いたまま待機していたんだと思う。すぐに既読がついて、


いの まどか:ありがとうございます(*^-^*)

いの まどか:スタンプを送信しました


 と連続で画面上部のバナーで通知が来る。

「ふっ……」

 電車のつり革に掴まりながら、反対の手で持つスマホの画面には、アニメのキャラが全力で土下座をしているスタンプが映し出されていた。

 ……そんなに謝らなくてもいいのに。


 ああ、でも。当日何着ていけばいいのかな……。スーツはやり過ぎにしても、ある程度はちゃんとした格好のほうがいいよな……きっと。


 ……とりあえず、当日までに家にある真っ白なワイシャツにアイロンをかけないとな。ああ、あと、なんか手土産のひとつでも買っていったほうがいいのかな……。そういえばこの間実家から地元の銘菓が届いてたな。開けてなかったし賞味期限も余裕あるし、それ持っていけばいいかな……。


 暗闇の車窓に流れるネオンサインをボーっと視界の端に捉えつつ、僕はそんなことを考えていた。

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