第28話 心のピークは突然に。
どの業種にもピークとボトムが存在すると思う。冬におでんの売上が伸びるように、夏にアイスが売れるように。実際は知らないけど、イメージとして。
古本屋にも勿論そのふたつが存在する。ピークは大きなセールがある一月・五月・八月と、大掃除で買取が増える十二月。ボトムがセールの反動で客数が減る二月・六月・十月だ。九月は場合によってはシルバーウイークがあるのと、ボーナスが残ってるかどうかは知らないけどそんなに売上は落ちない。
つまるところ何が言いたいかというと、ここ最近のお店は暇である、ということだ。
「……最近お客さん少ないですよね……」
五月末のある日、休憩後のカウンター内。今日のシフトは僕、井野さん、そして浦佐だ。あまりにも暇すぎるので、浦佐にはカウンター横の作業場で大好きなソフト加工を思う存分やってもらっている。時折喜色混じった声が聞こえるし、テンションは最高潮っぽい。
「まあ、この時期はね……仕方ないよね」
コミックの値付けを淡々と進めながら、ラベルを貼ったものをどんどん三段カートに乗っけていく。販売もさることながら、買取も全然来ないからある意味不安になる。休憩後にさばいたレジの数は片手で数えきれるくらいだ。
お客さんが少ないと棚も倒れないので、補充する意味はあまりない。ただ、それが続くと食べ物と同じで、本やソフトといった商材も腐っていくので、適宜注意を払わないとはいけないけど、今日はまだいいや。
「そういえば、漫画はどう? 順調?」
長々と印刷したラベルをペタペタ貼っていきながら、隣でバーコードをスキャナーに通している井野さんに話しかける。一応、浦佐には聞こえない程度に声は潜める。こういう機械的な仕事のときは雑談もしやすい。
「はい、おかげさまで……なんとか締め切りには間に合いそうです……」
「そっか。上手くいくといいね」
彼女にとって上手くいくが、どの程度を指すのかはわからない。一次を通ればいいのか、編集担当さんがつくところまでいきたいのか、それとも最終的に賞を取って雑誌に掲載・連載まで持ち込みたいのか。ただ、そこを深掘りする覚悟は持っていないので、そうぼかすことにしておいた。
「……ありがとうございます……あっ」
すると、そこで閑古鳥が鳴いていたお店に買取のお客さんがひとりやってきた。
「すみませーん、売りたいんですけどー」
「はいありがとうございまーす」
僕はラベルを貼る手を止めて、買取カウンターに来た若い女性客に向かう。
「漫画なんですけど、いいですか?」
お客さんが差し出した紙袋のなかには、……これまた美少年と美少年が絡み合っている表紙の漫画が数冊。
「これくらいでしたらすぐに終わりますので、そのままお待ちください」
「あら、ありがとう」
……なんかどこかで見たことがあるような顔なんだけどなあ……。僕の気のせいかな。
まあいいや、仕事に集中。査定物を広げ、買取専用のタブレットと繋げているスキャナーにまず本のバーコードを通し始める。その間に、どうやらレジも来たようだ。カウンターに残っていた井野さんが入ろうとしたんだけど、
「い、いらっひゃひましぇ」
……どうした、井野さん。バイト初日にやってみせたような噛み噛みの挨拶で。思わず笑いそうになるのをなんとか我慢し、今度は本の状態と、発行年月日を確認していく。
ぱっと見そこそこ新しいものが多いな……。これは値段もまあまあしそうだ。
「しゃ、しゃんてんでしゃんばくしゃんじゅうえんです」
「っ……あ、IDでお願いします……」
お客さん笑っちゃったよ我慢できずに……。どうした井野さんー!
「……お待たせしましたー、七点で千円ですが、お売りいただけますでしょうか?」
「意外と値段つけてくれたのね、ありがとー、ええ、これでお願いします」
近くで待っていた女性客はにっこりと笑っては承諾してくれる。
「では、ポイントカードはお持ちですか?」
「ええ、はい」
「ありがとうございます」
そうしてカードを受け取り、バーコードを読み取ると──「え?」
タブレットの画面に反映された情報を見て、僕は小さく呟いてしまった。それと同時に。
チーン。
カウンターに設置している呼び鈴を井野さんが鳴らした。すぐに、脇で仕事をしていた浦佐がやって来て「どうかしたっすかー」と言いつつ出てくるけど、
「ごめん浦佐しゃん私トイレ行くからちょっとその間カウンターいてくだしゃいっ」
「へ? 円ちゃん?」
ぴゅーと効果音がつきそうな勢いで井野さんはスタッフルームにある従業員専用のトイレへと駆けこんでいった。
……そして、僕は目の前にいるお客さんの顔を失礼ながらもまじまじと見つめてしまう。
「あらあら、あの子ったら、仕事中にお花摘みに行っちゃったわね、八色先輩?」
少し茶目っ気を見せ、おどけるようにその人は言う。
「……い、井野さん、んん。……円さんの、お母様ですか……?」
「はい、円がお世話になってます、母の、井野
……嘘だろ、これで四十代だと……? 二十代です、って言っても通用しそうな見た目だけど……。決して幼いとか、そういう意味ではなく……。
少しの間フリーズしてしまった僕は、すぐに気を取り直して、挨拶する。
「あ、こ、こちらこそ円さんには助けられてます、バイトの八色太地です」
「円から話は聞いたわ、先日の大雨の際、タクシー代立て替えていただいたそうで。本当にありがとうございました」
すると、井野さん……紛らわしいな、恵さんもそう言って深々と頭を下げてしまう。いや、絵面的にまずいって、お客さんに頭下げさせているやばい店員になっちゃうって。
「いっ、いえ、別に大それたことはしていないですし、頭を上げてください、一応、ここお店ですので」
「そういえばそうね、ごめんなさいね。てへ。ああそうだわ、あと免許証だっけ?」
「は、はい」
本人確認のため、恵さんから免許証を見せてもらい、照合する。
「ありがとうございます、今精算して参りますので」
少し足が緊張で震えそうになる。こんなの、初めてレジに立ったときや初買取をしたとき以来だ。
レジから千円札一枚とレシートを持って、笑みを崩さない恵さんのもとに行き、
「千円と、明細です」
「ありがとう。……でも、聞いていた通り、優しそうないい先輩じゃない」
「……へ?」
「ほら、あの子って、口数少ないし性格も気弱だから、どこでバイトしてもあまり続かなかったのよね、大体もって一か月。それがここでは半年も続いているし、優しい先輩がいてって家でも嬉しそうに円が話してたからどんな先輩なのかなあって」
「おっ、お母さんっ、余計なこと言わないでっ」
そこまで言うと、お手洗いから戻った円……さんが恥ずかしそうに恵さんの話を切る。
「あらあら、駄目よ円、ちゃんと休憩時間に済ませないと」
「そっ、それより何の用なの? 来ないでって言ってたのに……」
「そうそう。円がなかなか連れて来ないから、直接来ちゃったわ。八色さん。……もしよかったら、家にご飯でも食べに来ないかしら?」
「……はい?」
……お客さんの前なのに、素の声を出してしまった。でも、そうなるよね?
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