第27話 重い彼女の誘いかた

 研修が終われば、もうずーっと同じところにいて見る必要も、休憩を揃える必要もなくなるので、フロコン(フロアコントロール)権限で、僕を先に、小千谷さんと水上さんを後休にして「ゆっくり」の時間を取らせないようにした。……実際、小千谷さんは今日売り場に出ずにスタッフルームで家電をいじる日だから、僕と水上さんを交互にさせないと売り場の人数が一定にならないっていう言い訳はさせてもらう。だからこれは仕方ないんだ。


 ただ、どうやらそれが水上さんにとっては不満だったようで、ひとりカウンターに残る僕をプクリと頬を膨らませつつ恨めし気に眺めながら補充に回っていた。

 月曜日の夜ならカウンターひとりでもどうとでもなるからね。そんなに棚も緩くならないから、水上さんの補充の速度を上げる、という意味合いでの配置なんです、はい。決して私情は挟んでおりません。


 閉店作業が終わり、スタッフルームに引き上げると、もう小千谷さんは帰る支度が整っている。

「おう、お疲れー八色」

「お疲れ様です、あれ? 水上さんは? 売り場にはいなかったんですけど……」

「水上ちゃん? ここにはいないけど、ロッカーも空だし、もう帰ったんじゃね?」

 ……そんなこともあるものなのか? 機嫌悪くさせたかな……。


「んじゃ、俺先帰ってるわ、鍵よろしくー」

 そう言い、小千谷さんはお店を後にしていき、僕ひとりが残る形に。

 ただ、前回こういう状況で油断して外で着替えたら、そのタイミングを狙って水上さんに襲われたので、今日はしっかり更衣室に入って着替えることにしよう。私服のワイシャツと汗拭きシートを片手に更衣室の電気を点けて、ドアを開けると、


「おわっ」

 誰もいるはずのない更衣室に引き込まれるように腕を取られ、何やら柔らかい感触がする生温かいものに顔を埋めさせられる。

「……ようやくふたりになれましたね? 八色さん」


 一般的なトイレくらいの広さしかない更衣室という密室のなか、水上さんはここで僕のことを待ち受けていたようだ。

「ちょ、どういうつもり……ってなんで下着姿なのっ」

 押しつけられたものから顔を離して、今一度彼女の姿を見れば、なんと上半身は下着のみの格好だった。下はスカートを履いている。


「言ったじゃないですか。……もーっとすごいことしますよって。でも八色さんは約束を守ってくれずに、井野さんとのデートを私に内緒でしようとしました。だからです」

 そう言い、彼女は水色を基調に刺繍が入った下着を後ろ手に何やら触り始める。……いや待て、これまさか……。


 危機を察知した僕はすぐに更衣室を出ようとするけど、水上さんの素早い動きで鍵をかけられてしまう。

「なっ……」

「だめですよ? 逃げたら……私悲しかったんですよ? 八色さんとゆっくりお話することができなくて……。夜はまだ長いんですから、焦らずゆーっくり過ごしましょう?」

 そう彼女が言い終わると同時に、パサリと何かが外れる音がした。


「ちょ、やめっ」

 そして水上さんに両手で抱き留められて、そのまま僕の背中と彼女の胸が接触する。……うん、今彼女上半身裸だ。ピンク色、こんなに早く的中するとはなあ……。

「……いいんですよ? 井野さんの胸に集まっていた子犬のようにしても」

「するわけないだろ、離してくれない?」


「だめです。井野さんとあった色々を話していただけるまで離しません」

「べ、別にそんなわざわざ言うほどのことはないって。遊園地出たあとは池袋で買い物して、ファミレスで晩ご飯食べたくらいだし」

「嘘」

「嘘なんてついてないって」

「……今日の出勤前、井野さんが避妊具持ってたって話を小千谷さんとしていたじゃないですか」

 ……あの説教、聞いていたのか……。


「まさか、本当に井野さんと、えっちしてませんよね?」

「してないって! 井野さんは高校生だぞ!」

「私は大学生ですよ? 成人済みですよ?」

「そっ、そういうことじゃなくて……」

「……けど、やっぱり井野さんはむっつりさんでしたね。あんな大人しそうな性格して、頭のなかは桃色なんて」


 それは一概に否定できないけど……。

「井野さんは、違法なんです。いいですか? 私は、合法。八色さんも健康な若い男性なんですから……我慢のし過ぎはよくないと思いますよ……?」

「べ、別に僕は我慢しているわけじゃ……」

「私の下着姿思い出して夜な夜なしているんですか?」

「絶対に違うから安心して」


 ……知り合いの子をネタにしたらそれこそ罪悪感がすごいことになるから。

 水上さんにさらに強く抱きしめられて、背中に彼女の膨らみが押しつけられるのを感じる。しかも今回は直接だから、なんかより生温かいし……。


「……私を選んで八色さんに後悔はさせませんから……。絶対に……。八色さんのご希望通り、普通に付き合うこともいつでも準備していますから……」

 だから、と彼女はさらに続ける。

「……井野さんを選んだら、駄目ですからね? 井野さんとデートするたびに、私、こういうことしちゃいますので」

 そう言い水上さんは僕のことを離して、更衣室の鍵を開ける。


「いいんですよ? 今振り返れば、私の生おっぱいが見られます。別に私はそのつもりで脱いだので構いませんけど、どうされます?」

「……さっさと服着ろ」

 それだけ吐き捨てた僕は、振り返ることなくワイシャツを持って更衣室を出て、外で着替えを済ませてしまう。


 数分後、しっかり春物のカーディガンを着込んだ水上さんが出て来て、少し含みのある笑いを浮かべ、

「じゃあ、帰りましょうか? 八色さん」

 スタッフルームを出ようとする。僕は無言でそれについていき、スタッフルームの鍵をかけ、お店を後にした。


「まさか八色さんも同じ日に昇給するとは思いませんでしたよ、私、びっくりしちゃいました」

 お店を出た後は普通に水上さんも僕と会話をしようとしていて、何食わぬ顔で僕の横を歩いて新宿駅に向かっていた。


「……まあ、僕もびっくりしたけどね。そんな話聞いてなかったから」

「同じ日に昇給するなんて、すごいですね、私たち」

「……確かに、そうそうあることじゃないけど……」

 同じ日に同時期に入った新人さんが研修を終えることはままあるけど、今回はそれでもないからかなりの偶然だ。


「じゃあ、僕は……」

「はい、お疲れ様です、八色さん。いつでも返事、お待ちしてますね?」

 中央線のホーム下、そうして別れた後、やっぱり水上さんはずーっと僕のことを手を振ったまま見送っていて、これだけ見れば普通にいい子なんだけどなあ……と内心嘆息しつつも、止まっている快速電車に飛び乗った。

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