第25話 つかいかたには気をつけよう(何をとは言わない)。

 晩ご飯はそのまま池袋にある学生に優しいファミレスに入ることにした。……もっと気が利いたお店とか知っていればいいのだろうけど、そんなお店を発掘する機会もなければ必要性もなかったし、井野さんがここでいいですと言ってくれたのでそうすることにした。


 ふたり掛けのテーブル席に向かいあわせで座り、メニューを手渡す。

「好きなの頼んでいいよ、奢るから」

「えっ、で、でも誘ったの私なのに……それは申し訳ないです……」

「いいの、こういうときは先輩が奢るっていうのが定説だから。それに、金欠なんでしょ?」


 僕がそう言うと、首をすくめた井野さんは小さな声で「はい……」と頷く。

「じゃ、じゃあ……私はミートソースのスパゲティで……」

「いいよ? もっと高いの頼んでも」

「いっ、いえ。私はこれが食べたいのでっ」

「じゃあ僕はチキングリルとハンバーグにしようっと」


 あからさまに高くて美味しそうな名前を僕が口にすると、少しだけ羨ましそうにメニューの写真を眺めはじめる井野さん。そして、可愛らしいお腹の音がキュウと鳴った。

「……す、すみません、私はカルボナーラで……」

 お、百円だけ高くなった。まあ、そこが井野さんらしいか。


「了解。あと適当にサラダとドリンクバーでいい?」

「は、はい……大丈夫です……」

 注文も決まったので、僕はボタンを押して店員さんを呼ぶ。オーダーも済ませて、あとは料理が届くのを待つだけだ。

「今日はありがとね、誘ってくれて。楽しかったよ」


 その間、何も話さないのもあれなので、とりあえず今日のお礼を言っておく。

「わ、私のほうこそっ、色々と迷惑かけてすみませんでしたっ……」

 お礼に対し謝罪から入る井野さん。きっと寝不足の件と池袋が無駄足になったことへのものだろう。

「全然全然。面白かったからいいよ。それに、井野さんのことも少しは知れたし」


 同じバイトで働いて半年ほど経つけど、プライベートで会うのは初めてのことだ。いつもは不穏な言動もあるけど、普通の女の子らしい一面もあるってことを知れた。

「……や、八色さんはやっぱり優しいです……クラスの男の子で、ここまで穏やかな人はいなくて……」

「お待たせしましたー、お先にイタリアンサラダLサイズですねー」


 僕は無言で会釈しつつお皿を受け取り、小皿にサラダを取り分けて、井野さんの前に置く。

「……ありがとうございます。私の研修のときから、ほんと良くしていただいて……色々ヘマも多かったのに……一度も怒ることなく丁寧に仕事を教えてもらえて……」

「まあ、ぶっちゃけ井野さんほどミスした新人さんはいないと思うよ。今いる浦佐と水上さんの他にも、今はもう辞めちゃった子何人か担当したけど、井野さんが一番ミス多かった。正直シフト被ったときは今日も二・三回は一緒に頭下げるんだろうなあって思いながら出勤してたけどね」

「すっ、すみませんっ……ほんとに出来損ないで迷惑ばっかりかける後輩で……」


 お互いにサラダを口に含みながら、ゆっくりと会話を進めていく。店内は土曜夜ということでかなり混みあっているけど、そのなかでも僕らのテーブルだけ、時間がゆっくり進んでいる、そんな錯覚さえ覚える。

「……でも、怒られたその日はシュンとなっても、次の出勤は切り替えて来てたからめげない子だなあとも思ったよ。あれだけお客さんから怒られ続けたら、僕だったら嫌になって辞めるよ。研修中なら尚更。バイトなんて、所詮そんなものでしょ?」

 雇う側にとっても、働く側にとっても、スパッと決断される、できてしまうのが良くも悪くもバイトだから。


「……そ、それは……八色さんがいたからで……」

「ん? 僕がどうかした?」

「い、いえっ。……前入ってたコンビニのバイトでもミスばっかりで、それで居辛くなって辞めちゃっていて……。今のお店は雰囲気がよくて、なんだかんだ言っても出来ない人のことを助けてくれる空気があって……いいなあって……」

「お待たせしましたー、カルボナーラでーす、グリルとハンバーグもう少々お待ちくださーい」


「いいよ、先食べて。お腹も空いてるんでしょ?」

「……すみません、ではお先に……いただきます……」

 そう言って、井野さんはフォークにパスタを巻いて、器用に口に運んでいく。

「今でこそ井野さんはミスが少ない堅実なバイトになったからさ、今度はそれを水上さんとか、今後入ってくるであろう後輩に伝えていってあげて。正直、そこらへんの繊細さがわかってるのは、井野さんしかいないと思う……。小千谷さんと浦佐は性格が適当だし、水上さんは言いかた悪いけど、できる人だから、最初からできない人の気持ちがわからないかもしれないし」


「もう、水上さんは昇給するんですか?」

「月曜にはもう上げる。僕の担当した子のなかでは過去最速だったよ。水上さんは」

「あ、あのっ、八色さんと水上さんって、どういう──」


「お待たせしましたー、グリルとハンバーグでーす。鉄板熱くなってますのでご注意くださーい。ご注文のものは以上でお揃いになりましたか?」

 そのタイミングで、最後に僕が頼んだものが届いた。ジュウといい音が鳴るお肉が美味しそう。

「はい、大丈夫です」

「では、伝票失礼しまーす、あと、空いたお皿おさげしますねー、ごゆっくりどうぞー」


 僕はフォークとナイフを掴んで、お肉にあてがおうとする。

「あ、ところで、僕と水上さんがどうかした?」

 店員さんが来て切られたけど、何か聞きたいことがあったのだろうか。……正直、ちゃんと答えられる気はしない。

「い、いえ……なんでもないです」

「そっか」


 その後も適当に会話を楽しみつつ、ご飯も食べ、じゃあもう八時近いし帰ろうか、となったとき。

「あ、あのっ。先日のタクシー代、お返しします」

 井野さんは財布をカバンから取り出しては、ごそごそとお金を探している。

「ああ、別に急がなくてもいいのに」

「いっ、いえ、お母さんもお礼を言ってました。……今度、家に連れて来なさいとも……」


「へ?」

「あっ、それはお母さんの冗談だとしても、助かったことに変わりはないんで、ありがとうございましたっ」

 井野さんは五千円札を掴んでそのまま僕に手渡した。……ただ、それと一緒に何か混ざっていたようで、

「井野さん、何かついてきて……」


 僕がそれを確認すると……。手のひらにあったのは、正方形で、何やらビニールで包装されていて、中心部に意味深な円ができているもので……。

 ……これ、ゴムじゃん。避妊用の。


「はわわわわ、ちっ、違うんですっ、これは小千谷さんが私に渡してきたものでっ」

 状況をワンテンポ遅れて把握した井野さんは、顔を発火させて正方形のそれを回収する。

「……それ、本当に?」


 だとするならあのバカ店員には本気の説教が必要そうだ。井野さんにこんなもの渡すなんて……! あと、井野さんも井野さんでどういうつもりで受け取ったのかな……?

 一波乱も二波乱もあった遊園地デートは、そうして終わりを告げた。

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