第21話 ピュアな(?)彼女の期待感
その日の仕事はまあ大変だった。職業柄、普通に勤務中でも成人向け商材を目にすることはあるのだけど、そうすると少し前に見せつけられた胸と下着が記憶を過って……。
「……どうかしました? 八色さん、急にしゃがみ込んで」
そんな僕を見て心配そうに井野さんが声を掛けてくるから尚更罪悪感が凄い。……すみません、こんな先輩ですみません……。今まで彼女いたことないから、実際に女性の柔肌目にすることなんてなかった耐性ない奴ですみません……。
そうして営業時間が過ぎ、スタッフルームに。井野さんが着替えている間に僕はロッカーで荷物の整理をしていると、
「約束、ちゃんと守ってくださいね? 八色さん。じゃないと、次はもーっと凄いことしちゃいますからね?」
生温かい笑みを作った水上さんが、僕に釘を刺してくる。
……うやむやにしようかと思っていたけど、駄目みたいです。
内心ため息をつくと、井野さんが高校の制服に着替えて出てきた。
「それじゃあ、よろしくお願いしますね? 八色さん」
井野さんと入れ替わるように、水上さんが更衣室に入っていく。ドアを閉める際、パチリと目をウインクさせ念を押してくる。
はぁ……今のタイミングで断れと、言いたいんですね。わかりましたよ……。
僕は着替え終わった井野さんに声を掛けようとするけど、
「…………」
「ふふ……楽しみだなあ……八色さんと……遊園地……」
ぼそっとひとりごとを呟きつつ、かばんのなかにしまっていた割引券を楽しみそうに眺めるものだから、言いだそうにも言えなかった。
無理……あんな純粋そうに楽しみにしているところに、「ごめんやっぱり行けないんだ」なんて言えるはずない……。普段男同士の絡みで不穏なこと言ったりしているだけに、あとその他諸々不純なことばらしているだけにそのギャップが……。
すると井野さんはかばんを机に置いてトイレに向かう。それと同時に、水上さんが更衣室から出てくると、案の定ちょっと怖い作り笑顔を浮かべてみせては、
「八色さんってば、欲しがりさんなんですね……。服越しに触らせてあげただけじゃ満足しませんでしたか?」
耳元でそう囁く。
「なっ……」
「だって、断ってないってことならそういうことなんですよね? 八色さん?」
「……いや、別にそういうことじゃ」
「ちゃーんと断ってくださるなら、……下着だけでなく、生の胸だって見せてあげますよ……? もし、八色さんがお望みなら……それ以上だって」
もうどう転がっても駄目だこれ。水上さんに遊ばれる未来しか見えない。
やがて井野さんがハンカチで手を拭きながらトイレから出てくると、やりきれない表情をした僕を見ては少し不思議そうな顔をして、
「八色さん……着替えないんですか?」
と一言。そうですね、まだ僕着替えてなかったね、早く帰りたいよねほんとすみませんだらしない先輩で。
それから数日経ち、金曜日の出勤前。井野さんとの土曜日の遊園地を断ることができないまま、ずるずると前日まで来てしまった。
「うーん……うーん……」
「どうしたんすか? 太地先輩。そんな締め切り間近の漫画家がネタに困ったみたいな唸り声出して」
例えがやはり独特。……今になってみればこの浦佐の変わらぬドライっぷりが安心できる。例によってゲームをカチャカチャするその姿勢はもはや賞賛に値するよ。お前だけはそのままでいてくれよ……お願いだ……。
「いや……まあ、大学生には色々あるんだよ」
「あー、もしかして明日の円ちゃんとのデートのことっすか?」
……やっぱり変わってくれ今すぐに。僕の誉め言葉を返せ。
「どうしてそれを……」
「だって、昨日シフト被ったんすけど、あれだけ上機嫌な円ちゃん、なかなか見れないっすよ? あんな顔するの、うちの男性スタッフ同士でなんらかの絡みをするときくらいしか見れないっす」
僕とのデートはBLと同等ですか。いやそれはさて置いて。
そこまで楽しみにしているのに……断れないよ……。
「でも、昨日はおぢさんしか男はいなかったんで、じゃあ別の理由だろうなあってことで、太地先輩絡みかなと思った次第っす」
「……正解だよ正解」
「明日は円ちゃんと太地先輩だけがお休みっすからねー、動くならその日かと」
そう、明日、水上さんは出勤なんだ。つまり、強行突破しようと思えばできるはできる。井野さんに口裏を合わせてもらって、僕がすっぽかしたことにすれば、丸く収まる、はず。
「……そうか、そうすればいいのか」
「どうかしたんすか? まるでアイデアに閃いた漫画家みたいな声出して」
……浦佐あ、やっぱりお前はそのままでいてくれえ……。レジ差異もアホな行動も全部フォローしてやるから……。
結局予定通り、井野さんとの誘いは守ることにした。水上さんにはラインで「断ったよ」と一言だけ送って済ませ、迎えた土曜日。
待ち合わせは十時にJR
五月の半ばと言えど、もう夏の兆しが少しずつ影を濃くしていて、街路樹の葉々が青々しく生い茂っては風に揺られる様はもはや夏のそれだ。まだ梅雨入りもしていないのに。
本当は駅前にある複合施設のスーパーで飲み物とかお昼とかを買いたかったけど、十時開店なので、大人しくコンビニでお茶とおにぎりと適当にお菓子を買っておく。……ほら、一応年上で給料も僕のほうが稼いでいるから、少しくらいは多く出したほうがよかったりとかするかなって……。
コンビニのレジ袋片手にじゃあ電車に乗るかと改札を通過しようとすると、
「どこに行かれるんですか? 八色さん?」
……今最も聞こえてはいけない声が、僕の背中から耳に入った。ダラダラと額に汗が浮かぶのを感じながら、その方向を見ると。
「……やっぱり待ち伏せして正解でした」
腕を組んで冷めた表情で僕を見ているのは、水上さん。ジーパンにいつか見た青色のブラウスという格好でいる彼女は、ずんずんと改札付近に立ち尽くす僕に近づいて来る。
「一応もう一度お尋ねしますね? 八色さん。どこに、行かれるんですか?」
な、なんでここに……と、一瞬考えたけど、すぐに思い出した。初出勤日の帰りに、僕の家がどこにあるのか話していた。だから水上さんは僕の最寄り駅までは把握している。
……迂闊だった……! いや、会ったばかりのときはここまで愛が重たい人だとは思わなかったから……。
「え、えーっと……その……し、新宿で映画見ようかなあって」
「でしたら私もご一緒していいですか?」
「すみません嘘です申し訳ありません」
「……嘘だったんですね、昨日のラインは。……残念です。私はこんなに八色さんのことを想っているのに……」
その愛が重すぎて僕は辛いんです……。
「はぁ……ここまで来たら仕方ありません。私もついていきます。遊園地に」
……は? は?
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