第20話 水上愛唯は選ばせたいけど
その後、出勤の時間になったので夕礼を行い、すぐに売り場へと出て行った。今日宮内さんはお休みの日で、中番もひとりしかいないけど、平日ならこんなものだ。
水上さんの仕事ぶりを遠目から眺めて、やはりもう研修中のバッジは外してもいいなと判断する。次宮内さんと会ったときに相談しておこう、と心のなかに決めておいて迎えた休憩。
この日の休憩は、井野さんが先に、後に僕と水上さんが休憩する回しかたにしていた。井野さんが売り場に戻ってきたのを見て、スタッフルームに向かったのはいいのだけど……。
「おっ、おわっ……」
水上さんに手を引かれ、強引に連れて行かれたのはスタッフルームと売り場を繋ぐドア付近にある在庫の山が乗ったコンテナの集まりの近く。
「な、何するんだよ水上さん……」
一回目のときと違い、今度はしっかりと壁に両手をついて僕を追い込み詰め寄る水上さん。
「……悪―い八色さんにお仕置きをしようと思いまして」
「は、は……?」
「駄目な人ですね……。散々私が井野さんは違法って忠告しましたのに、一緒に遊園地に行くなんて。見損ないましたよ、八色さん」
「い、いやだって、あんなふうにされたら断れるはずなんてっ……って何やってるの水上さんっ」
僕がそう言い訳をしていると、目の前に立つ彼女が制服のポロシャツをめくっては、綺麗な下腹部を露わにし始めた。真っ白な肌に一点だけ沈み込んでいるおへそが、艶めかしく見える。
「だ、だめだってほんとに、誰かに見られたらどうするの」
目を逸らしながらシャツをめくる彼女の手を取ってなんとかやめさせようとするけど、なかなか止めることができない。
「私は……この上も、この下も八色さんを受け入れる準備はできているのに……なのに……どうして井野さんを選ぶんですか? 私のことはいらないんですか? そうなんですか?」
すると僕の手を強引に払い、さらに彼女はポロシャツをたくし上げて、女性の象徴とも言える温かな膨らみの部分まで僕に見せつけようとしてくる。
「いやっ、ちょっ……」
見てはいけないはずなのに、どうしても目線が行ってしまう。……ややクリームがかった白色した彼女の膨らみを支える下着と、それが隠していない胸の上の部分に。
「ふふ、八色さんもやっぱり男の子ですね。食い入るように見ちゃって」
からかうように言われて、僕はハッとなって目を逸らす。
「ちっ、ちがっ、こ、これは」
「……私を選んでくれたら毎日だって見せてあげますよ……?」
「ぁ……いや……」
「八色さんがお好きなブラだってつけてあげます。もっと可愛くとか、もっと煽情的なとか、リクエストがあればお聞きします。……た、だ、し」
そこまで言い水上さんはようやくたくし上げたポロシャツを下ろしてから、僕のあごに手を差し伸べる。……いわゆる顎クイって奴だ。
「……井野さんのこと、ちゃんと振ってくださるなら、ですよ」
「っ……そ、それは……」
「できないんですか? やっぱり嘘だったんですか? 井野さんはただの後輩だって言っておきながら、やっぱりそういう目で見ていたんですね……残念です。……なら仕方ないですね……」
すると水上さんはいきなり僕の右手を取って自分の胸にあてがう。瞬間、利き手のなかに今まで感じたことのない柔らかさを覚えてしまう。
「ちょ、ちょっ」
「……選んで下さい。私か、井野さんか。私を選んでくれるならさっき言ったこと含めて八色さんの好きなようにして構いません。……でも、井野さんを選ぶのだったら……」
刹那、彼女の瞳から光が消えた。
「そんな八色さん、いらない」
「……ぃ……ゃ……」
言葉にならない悲鳴が空気となって僕の口から漏れる。
「もし八色さんが井野さんを選ぶのだったら、今すぐ私はここで大きな声を出して人を呼びます。駆けつけたスタッフの先輩にはどういうふうに見えるでしょうね?」
「お、脅しのつもりか……?」
「……頭のいい八色さんなら今どういう選択肢を取るべきか、わかりますよね? 井野さんを選んで、私のことを襲った犯罪者となるか、私を選んで、毎日私を好き放題にする権利を得るか」
「……ぁ……」
で、でも……僕は約束してしまった。一年後に同じ気持ちだったら、もう一度言って、そのときに返事をするからって。今すぐ、井野さんを振るのは、ルール違反だ。
けど、ここで水上さんの要求を蹴れば、僕は晴れて犯罪者の仲間入りだ。……最悪警察に通報されて内定が取り消しになったりして……。
後門がえげつなくハードモードなんですが……。
ふと、しかし水上さんの使った言葉を思い出して、ある突破点があるのを見出す。
「……水上さんを選べば、僕の好きなようにしていいんだよね?」
「はい、そうですよ?」
「……わかった、水上さんを選ぶよ」
重々しい口どりでそう言うと、目の前に立つ彼女は安心したように僕の手を胸から離し、ホッと自分の胸を撫で下ろす。
「……ただ、僕の好きなように、僕がバイトを辞めるまでは水上さんとは何もしないことを選ばせてもらうけど」
「え、え……? ちょ、ちょっと何言っているんですか? 八色さん……」
予想外、と言わんばかりの様子で僕のことを二度見する彼女。
「……僕はもっと堂々とドロドロとしてない恋愛をしたいんだ。もっと、こう、言うことを聞かせてとかそういうのじゃなくて、お互いがお互いのこと好きだから身体を重ねる、みたいな関係がいいんだ。……悪いけど、水上さんのこと好き放題できるって聞いても、僕はあまり嬉しくない……」
そういう意味では水上さんより井野さんのほうがポイントは高いけど。
「そ、そんな」
「……やっぱり職場恋愛は怖いよ。僕は。仕事に私情を持ち込むことになりそうで。水上さんも十分綺麗な人だと思うけど、付き合うにはちょっと距離が近すぎるというか……。それなら僕がバイト辞めてからのほうが……いいんじゃないかなって……」
「……一年間、待てと言いたいんですか?」
「そういうこと、になるね……」
「……仕方ないですね、わかりました。じゃあそういうことにしておいてあげます」
ふう……。とりあえずこの一難はなんとか凌げそうだ……。
「たーだーし。ちゃんと井野さんとのデートは断ってくださいよ? 八色さんは、井野さんではなく、私を選んだんですからね?」
「…………」
ごめん、嘘ついた。まだ凌げてない。
「八色さん?」
怖い怖い怖い。だから目に光は常に宿らせておいて。
「わ、わかった、わかったからもうスタッフルーム行こう? 休憩時間終わっちゃう」
ひとまず、ひとまずだけど、ピンチを脱することはできた。ひとまず、だけど。
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