第17話 してみたいこと、お願いしたいこと

「それ……ほんとに?」

「は、はい。大雨と強風で……線路に木が倒れたとかで……」

 しかもガチめにやばい運転見合わせだ……。

「ちょ、ちょっと一旦落ち着こうか。井野さんって最寄りはどこだっけ?」

「こ、高円寺こうえんじです」


 なるほど、新宿から四駅か……。最悪歩いて行けない距離ではない……けど、夜の新宿を女の子ひとりに歩かせるのはまずい。これは冗談抜きで。

「……オーケー理解した」

 ちなみに僕の住む武蔵境むさしさかいは新宿から十駅。歩きたくはないけどその気になれば夜通しでなんとか帰れるレベル。


 加工台に左手をついて、右手で頭を抱える。

「……多分その手の運転見合わせは解除されないだろうから、今日中に電車が復旧するのに期待はできない。なにか別の路線で帰れたりする?」

「え、えっと……他はないです……駅から遠すぎて」

「ご両親に車か何かで迎えに来てもらうとかは?」

「家、車持ってなくて……」


 ……打つ手なしか。僕ひとりならカラオケに籠って夜を明かすとか映画を見て暇を潰すとかやりようはあるけど、井野さんにそれはできない。……制服を着ているからね。

「……最悪、雨が止むのを待って歩きで帰るか、タクシー代僕が立て替えておくからそれで帰るか……歩きなら僕も高円寺まで一緒に付き合うからさ、さすがにひとりで歩かせるわけにはいかないし」

「そっ、そこまでしていただくのは申し訳なさすぎますっ、わ、私なら平気なのでっ」


「……いやでも……」

「と、とりあえず、閉店してから考えませんか? もしかしたら状況がよくなるかもしれないですし」

 するとレジと買取同時にお客さんが来たので、一旦会話を中断させてそれぞれ対応に入る。やはりお客さんの肩は濡れていて、未だ雨が止んでいないのが想像できる。


 なんだったらさっきまでのピークタイムのほうが何も余計なことを考えずに仕事できていたなと苦笑いを内心浮かべつつ、井野さんの言う通り、ひとまずは状況が良くなることを期待しつつ閉店まで働くことに。


 そして、結局それから両手で数えるほどのお客さんしか来ず、営業時間は終わった。とっとと閉店作業も終わらせて、とりあえずスタッフルームに。

「……どうしたものかなあ……」

 例によってまず井野さんが先に更衣室に入って着替えている間に、改めて自分のスマホで運行状況を確認する。


「まあ、そうは問屋は卸してくれないよね……」

「すみません、空いたのでどうぞ……」

 高校の制服に着替えた井野さんが出て来て、入れ替わるように僕も私服に着替える。それを終えて井野さんの隣の椅子に座り込む。

「うーん……」


 何かないか何かないかとスマホをいじって情報を探していると、一件のラインが届いた。


水上 愛唯:井野さんに手を出したら私泣きますからね 井野さんは違法


 ……病人は大人しく寝てなさい。あと、危機察知の嗅覚すごいねあなた。

 言われなくたって何もしないって……。

「雨、止みませんね……」

「傘は持ってないよね?」

「はい……今日天気予報は晴れでしたから……」

 だよなあ……僕も持ってない。雨が止まないことには歩いて帰ることもできない。


「とりあえず……雨止むのを待ちます、私……」

 そう言うと彼女はバッグにしまっていた漫画を取り出して、膝の上に乗せ読み始めた。勿論、BL漫画だ。僕も何か本でも読んで暇でも潰そうかな……。あ、でも漫画と言えば、

「そうそう、……ロッカーに入れておいた原稿用紙、回収した?」

「あ……やっぱり八色さんだったんですね……すみません、ありがとうございます」


 目線を上げて、座りながらペコリと頭を下げる。

「いや……別にいいんだけどね……見つけた浦佐と小千谷さんは気づいてないから」

「最近……新人賞の締め切りが近くて、こっそり学校でも進めているので……原稿用紙持ち歩いているんです……。多分それでお店にも落としちゃったんだと思います……」

 彼女は再び視線を膝の上のBLに落とし、話し続ける。


「そうなんだ……。上手くいくといいね」

「そう、言ってくださるのは八色さんだけです……」

「僕にしか知られていないからじゃないの?」

 すると、井野さんはゆっくりと首を横に振って、否定する。

「……腐女子ってだけでカミングアウトするのに勇気が必要なんです。それだけで忌避する人は大勢いますから。……ましてやそれを描いているなんて……なかなか言い出せるはずがありません。……八色さんだけです、きっと。『いいと思う』って言ってくれたのは」


「……びっくりしたけどね、自分のロッカーに男と男が熱い視線を交わしながら絡んでいる原稿を見つけたときには」

 それがきっかけで、井野さんが漫画を描いていることに気づいたわけだけど。

「あっ、あれはほんとに私のうっかりで……すみません……やっぱり気持ち悪いですよね」

 ……やはり、彼女はどこか自分に自信がないみたいで、この話になってからはとくにそれが顕著にでている。


「そんなことないよ。何か夢中になれるのって、凄いことだと思うから。僕には、なかったものだから。……少なからず、僕の前では誇っていていい。BLを読んでいるのを、描いているのを恥ずかしがる必要なんてないよ」

「……あ、ありがとうございます……ほんとに……八色さんは……優しい人です……」

 しみじみとそう呟いては、はっきりと見える顔を桃色に染めている。膝上で手をもじもじ遊ばせつつ、井野さんは僕に聞いてきた。


「あっ、あのっ。……や、八色さんって、今好きな人とか……い、いらっしゃるんですか?」

「……い、いや。いないけど」

「こ、この間っ……私が着替えている間に、水上さんと……何されていたんですか……?」

 げ……三回目のことバレているのか……? それはかなりまずいぞ。


「なんか……不自然な衣擦れの音が聞こえたので……どうかしたのかなって……もしかして……その……え、えっちなことでもしてるのかなって……」

 なんだろう、急に手汗が出てきた。ほぼ図星なんだよな。背中に胸を押しあてられたし。

「……ははは、全然、そんなわけ」


「そ、そうですよね。……すみません、水上さんが八色さんのことになるとちょっと人が変わるので、まさかと思って聞いただけです……忘れてください」

 この子……九割方僕と水上さんのこと気づいている……!

「……八色さん。……ひとつお願いしたいことがあるんです……」

「な、何かな……」


「そ、その……えっと……わ、私と、き、キスしてくれませんか……?」


 瞬間、僕の耳には外で激しく降りしきる雨脚と、肩を少し上下させて息を乱している井野さんの呼吸音だけが聞こえた。

「……え? いや、今なんて……?」

 彼女はさっき桃だったのが、今は林檎を描くように頬と耳を真っ赤にして、目を半分瞑っては、勢いよく、頭を下げる。

「わ、私とキス……してくれませんか?」

 僕の聞き間違いではないみたいだ。……どうする、どうする? やばいぞ……これ。

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