第15話 せっきん、接近、また接近
井野さんイメチェン事案を経た後、明らかに井野さんの様子が変わった。……というのも、かなりの割合で僕に話しかけるようになった、ということだ。
まず前提として、井野さんは週三でシフトに入っているけど、その全てが僕の出勤と被るようになった。偶然なのか狙っているのかはさすがにわからない。
そのうえで、今までは何か困ったこと(レジ差異とか成人向け商材の買取とか)がないと僕に話しかけるなんてことは滅多にしなかったのが、まあまあ積極的に自分から話を振るようになったってこと。例えば。
「……や、八色さんの地元ってどんなところなんですか?」
僕が補充から戻ってカウンターで一休みしているときに、そんな雑談を持ち掛けてきたり。
「周りは農家ばっかりだよ。僕のところもじいちゃんの代までは農家やってたみたい」
「そ、そうなんですね、へえ……」
まあ、今までが大人しい性格だったゆえか、せいぜい二往復もいかない雑談しかしないけど、確かな変化だ。さらには、水上さんがいない日、という条件はつくものの、休憩時間が被ると、
「や、八色さんって文学部でしたよね。この古典の問題ってわかりますか……?」
と僕に勉強を教えてもらおうとしてきたり。
「あー、そこね、いいよ教えるよ」
一応僕も文学部生の端くれ、古文は大学で嫌という程読んだから大抵はわかる。椅子と椅子を近づけて彼女の受験勉強をサポートしてみたり。
と、かつての井野さんからは想像できないことをやるようになったんだ。……イメチェン前は、休憩被ってもスマホいじってるだけだったし、井野さんから話しかけるなんてことはほとんどなかったから。
「最近円ちゃんがもろ恋する乙女をやっていて眩しいっす、どうしてくれるんすか太地先輩―」
そんなことが続いた五月半ばのある日の出勤前。相変わらず携帯機で忙しなくボタンを押しまくっている浦佐が、ふとそんなことを言い出した。
「……どういう意味だよ」
「いやー、あんなのどこからどう見ても太地先輩の気を引こうとしているじゃないっすか。太地先輩と話しているときの円ちゃん、耳まで真っ赤にしてもう見ていてる自分が恥ずかしくなるくらいっすからねー」
「……偶然じゃないの?」
わかってはいるけど、認めたくないから僕は適当に誤魔化す。
「えー? 太地先輩それは減点っすよー。そもそも太地先輩の言う通りに髪を切ってきたってだけで、太地先輩のために髪を切りましたってことじゃないっすかー」
「……いやまあ……それはたまたま僕の意見を参考にしたってだけで、別にそういう意味があるとは」
「ふーん、そう思うんすねー。……まあ、自分は関係ないんでどうなってもいいんすけどね。とりあえず、雰囲気さえ険悪にならなければなんでもいいっすよ」
「……はいはい。ってか、現実の色恋やら青春はノイズだったんじゃないのかよ浦佐」
「あー、自分がやる分にはそうっすけど、他人がやっているのを見るのは面白いじゃないっすかー。いわばROM専っすよROM専」
……ほんと、いい性格しているよな、こいつは。
薄々僕もそうなんじゃないかって勘づいてはいた。髪を切っただけならまだ気づかないふりをすることができたかもしれないけど、その後僕に絡むようになったってことで方程式が完成したよね……もう。
……胃が痛い。ただでさえ「井野さんは違法」を魔法の合言葉にしている愛が重たい水上さんがいるのに、それに高校生の井野さんまで……。
「どうしたー八色―。辛気臭い顔してー。彼女にエロ本でも見つかったかー」
テーブルに肘をついて考え込んでいると、お昼の時間から出勤している小千谷さんがスタッフルームに入ってきた。
「どっちもいないですよ、小千谷さん」
「んー、じゃあ水上ちゃんか井野ちゃんにエロ本見つかった?」
「なんでそのふたりなんですか、しかもなんで僕の家に入ったことになっているんですか」
死んでも家には入れない。水上さんは家入ったら僕を軟禁なり監禁なりして好き放題やってきそうだし、井野さんは井野さんで普通にアウトだし。
「おぢさん、太地先輩にそんな度胸あるはずないじゃないっすかー」
「それもそうだな浦佐。あと、おぢさん言うな。俺はまだ二十四だ、お兄さんと呼べ」
「えー、おぢさんはおぢさんじゃないっすかー」
別に「おじさん」という意味で「おぢさん」とは呼んでいない、が浦佐の主張らしい。小千谷さん、「小千さん」、「おぢさん」らしいけど。……「おじさん」にしか聞こえないけどね。
……今日はこの三人のシフトなんだけど、適当人間・適当人間・僕の組み合わせで正直不安だ。それに途中までだけど宮内さんも入ると思うと……おう、胃もたれしそうな濃い面子だ。なんやかんや、井野さんは井野さんでこの濃ゆーいメンバーを希釈してくれるし、水上さんも一部方面にはカオスなところがあるけど、それ以外は普通だから……。
「はぁ……」
「ん? どうしたんすか? ため息なんかついちゃって」
僕の心配をしてくれるなら少しは普通に働いてくれ……と言おうと思ったけど、言うだけ無駄だろうから「なんでもないよ」と返すに留めておいた。
その日のシフトは、まあ言う間でもなくカオスだった。なんか浦佐がいなくなったと思ったらいつの間にか裏でゲームソフトの加工を始めているし、小千谷さんは小千谷さんでカウンターに一緒に入りながら「この間渋谷で見かけたおもしろ外国人」の話を延々としてくるしで……しかもその話が面白いから腹が立つ。
特にこれといった破綻なく営業時間が終わったのは奇跡だと思った。
閉店後、バックヤードに引き上げて、順番に着替え始めた、はいいのだけど。
浦佐の後に、僕が更衣室に入ったときのことだった。
「あれ……何すか? これ……」
「んー? 漫画の原稿用紙じゃね? でも、なんでそんなのがスタッフルームに落ちてんだ?」
「うちのスタッフに漫画描いている人なんていましたっけ?」
「えーっと……朝番にひとりシナリオライターやってる人はいるけど、漫画はいないかな……。声優も朝と中番に何人かいるけど、まさかその人たちではないだろうしなあ……。まあ、誰かの忘れ物だろうから、机の上にでも置いておいてやれ」
「了解っすー」
……他のスタッフは知らないけど、僕はその漫画の原稿用紙の持ち主に心当たりがある。
更衣室を出ると、今にも帰ろうとしている小千谷さんと浦佐に声をかけられる。
「おー、八色、帰ろうぜー」「帰るっすよー、太地先輩」
「……あ、ああ、ちょっと僕やることあるんで、先行っちゃってくださーい」
「そうかー、じゃあ鍵よろしくー」「お疲れ様っすー」
そうしてふたりは先にお店を出て行った。誰もいなくなったことを確認してから、僕はそっと机の上に置かれたB4サイズの原稿用紙を手に取って、あるロッカーにそっとしまっておく。
「……隠してるんじゃなかったの? 井野さん」
ため息をついて井野さんのロッカーを閉め、僕も家に帰る。
まあ……浦佐と小千谷さんもわかってはなかったみたいだから大丈夫だとは思うけど。
井野円、彼女にはもうひとつ特筆すべきことがある。
……それは、みんなに隠してはいるけど、漫画を描いている、ということ。
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