第10話 すんごい妄想力

 なんていうか、その……一度襲われかけた人と次会うときってどんな顔して会えばいいのだろうか。一度目は壁ドン、もといコンテナドン。二度目は未遂に終わったとはいえ、押し倒されたわけで。二度あることは三度あるって言うし、段々犯行のレベルが上がっていて僕はとても怖いです。今度護身用に防犯ブザーでも用意しておこうかな。


 次の僕の出勤は四月末のゴールデンウィーク初日だ。この日も水上さんは出勤をするはずなので、念には念を入れてひとりでスタッフルームに入る。と、何やらライブDVDのものらしき音声が聞こえてきた。

「お疲れ様でーす……って、小千谷さん……何やってんですか……」

「おー、八色かー、お疲れー。何って、仕事だよ仕事―」


 ひとり物憂げな表情でテレビの映像を眺めつつ、無心で大量のスマホを操作しているこの男性スタッフは、小千谷おぢや虎太郎こたろうさん。御年二十四歳、フリーターだ。今年で六年目の大先輩。

「まさか……それ、全部買取ですか……?」

 恐る恐る尋ねつつ、小千谷さんの隣の椅子に座ると、先輩は困ったような苦笑いを浮かべて力なく頷く。


「そう、全部で十五台。多分業者だろうなー、しっかもSIMロックも解除しているみたいだからそれの確認もしないといけないしでさー。売り場じゃ邪魔になるからこっちでやれって丸投げされた。ったくひどいよなー、俺が家電担当だからってホイホイ仕事振ってきて」

「……で、このDVDは?」

「ん? 今さっきクレームで映像が入らねえって怒鳴られたやつ。動確しろって言われたから今動確してる。全部で三時間だとよ。ちなみに今のところ三十分流して異常はない」


「……セール初日からクレイジーすぎませんか今日」

「売上も折り返しで二百万いってるからなー、これ初日から四百行くんじゃね?」

 ……通常の三倍以上の売上。

「そうゲッソリするなって八色―。これが俺たちフリーターの運命だぜ」

「僕はフリーターじゃありませんまだ学生ですし内定決まってます小千谷さんと違って就職するんで」

「えー、お前も一緒にフリーターしよーぜー。なんかギャンブルで一山当てて海外に高飛びとか夢あってよくないかー?」


「ちょっと、肩組まないでくださいよあなた勤務中でしょ」

「……早出してスマホの査定手伝ってくれても、いいんだぜ? セールだから宮ちゃんもいいって言うでしょー」

「……早出するならスマホじゃなくて炎上している売り場助けに行きますよ僕は」

「そう、つれないこと言うんじゃねえよ……寂しくなるじゃねーか……」


 ちょっと湿っぽいいい声を耳元で言うな。……あれなんだ、この人なまじっか顔は渋格好いいし声もちょっと低くてバリトンが効いていて、いわゆるイケボの持ち主なんだ。性格は浦佐以上に適当だけど。あと、長髪を後ろでまとめているのもなんか……センスあって悔しい。

「ひゃうっ!」


 そうしていると、スタッフルームの入口からそんな悲鳴が聞こえてくる。多少の嫌な予感もしつつ後ろを振り返ると……。

「こた×たい……こた×たい……こた×たい……」

 顔を真っ赤にして両手で顔を覆いつつも、ぱっちり指と指の間から僕らの状況を観察している井野さんが不穏な呪文を唱えていた。……ああ、きっとこの光景も彼女の心のシャッターに収められているんだろうな……。


「なあ? いいだろう?」

「んんんんんんんんんん」

「……あの、小千谷さん。絶対遊んでますよね、井野さんで」

 先に言っておく。小千谷さんは女性を好きになる人だ。だから、この行動は本気ではなくネタなんだけど──


「お疲れ様です……って? え? や、八色さん……?」

 おっとお、登場後速攻で目の光を落としていくスタイルかい水上さん。

「も、もしかして今まで彼女がいないだけで、実は彼氏はいたとか……で、でも……」

 ……なんかあらぬ方向に考えが回ってませんかこれ。すぐにフォローを入れないととんでもないことになるんじゃ。


「あらあ、仲が良さそうわねえ太地クンと虎太郎クン。ワタシも混ぜてもらってもいいかしらあ?」

 火に油と言わずガソリンを注いでいくそのガツガツした姿勢ほんと尊敬します宮内さん! でも今は駄目だった!

「んんんんんんんんんん! こた・みや攻め、たい受けの3ぴ──」

「よおおおおし、出勤するぞお! 今日も一日頑張って働いちゃうぞー!」


 井野さんが、女子高生が一般に使ってはいけない単語を言いかけたので慌てて僕は小千谷さんの腕から離れて更衣室に向かう。……女子高生に限らず、だけど。

 ……セールで客入りがクレイジーになるのはいいけど、スタッフのテンションまでカオスにはしないでもらいたい。……突っ込み役、僕しかいないんだから。


 出勤前のカオスな時間も終え、ひとまず夕礼を行う。といっても、売り場は絶賛大炎上しているので、簡単な連絡事項だけですぐに終わるけど。

「というわけで、閉店までワタシはいないけど、ここの四人で頑張ってね、じゃあ夕礼終わり、戦場へと向かうわよ!」

 もう宮内さんは開店からいるからか、思考がハイになっている。戦場に向かうわよって……。事実だけどさ……。


「と、とりあえず水上さんはレジをお願いね……。多分今日は一時間以上レジを打ち続けることになると思うから、喉が渇いた、疲れた、しんどい、消えたいってなったらいつでも後ろに突っ立っている中番の先輩に交替を要求していいからね」

「そ、そんなにしんどいんですか……? 今日のレジって」

「まあ、まず見ればわかるよね? あの行列」


 カウンターから店内を一周する勢いでできているレジの待機列。それだけで卒倒しそうになる。あれを見て平気な顔をしていられるのは、恐らく井野さんだけだ。彼女曰く「……あれは行列とは言いません」だそうで。……歴戦の猛者怖い。

「で、今は本のセールをやっているから当然本のまとめ買いをするお客さんが多い。漫画百冊、美術本五十冊、文庫百冊単行本三十冊とかまとめ買いする人一割くらいいるから。でも、慌てなくていいからね。普段もそうだけど、時間がない人は古本屋なんて来ないから。コンビニとは違うから、落ち着いて、ゆっくりレジを打っていけばそれでいい」


「わ、わかりました」

「僕も隣で馬車馬のようにレジを打ってるから、まあ何かあったら言ってください。よし、じゃあ今地獄にいる朝番の人とレジ変わっちゃいましょう」

 そうして僕らは矢継ぎ早にやってくるレジの大群を指揮するコンダクターとなった。うん、自分でも何言ってるかよくわかんない。でも、そりゃそうもなるよね。

 だって忙しいんだから。


 繁忙期のレジはとにかく見るべきことが多い。ただレジを打ち続けていればいいというわけでもない。買取の精算も同じレジで行うため、ひっきりなしにやってくる買取精算をなんとか販売の合間にやってもらわないといけない。ここでお客さんを待たせるのはストレスになるからね。それに袋詰めも大変だしなかには配送を希望する人も出てくるし、あろうことか「やっぱこれなし」とか言われると発狂しそうにもなる。


 水上さんは初めてのセールとはいえ、落ち着いてやってくれたと思う。……やっぱり、色んな意味で肝が据わっているんだと思う。……僕を出会ってすぐに襲うような人だからね。休憩までの一時間、なんとか地獄のようなレジ打ちは終わりを告げた。

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