第8話 だいじょうぶ、先に帰るとは言ってませんので……
井野さんと同じタイミングでお店に入ったその日、僕は水上さんに補充の仕事を教えていた。
「──というわけで、とりあえずルールとして漫画は出版社順、文庫は作者順、単行本はラベルに貼られている番号に沿って棚に入れてください。細かいところはさっき説明した通り、まあ、わからなくなったら聞いてください」
僕の説明をメモし終えると、彼女は三段カートの隣に一緒に置いていた成年コミックの積まれたかごを指さした。
「こういうのは……どこなんですか?」
多少恥じらいもあるようで、ちょっとばかり声を火照らせて僕に尋ねる。
「ああ……えっと、18禁のものは全部暖簾くぐったところにあって……。なるべく男が補充するようにはしているけど、一応ルールくらいは知っておいたほうがいいか」
僕は彼女を連れ、お店の隅に位置する18禁のものを置くコーナーに案内する。
……よし、今はお客さんもいないし、説明するには絶好のタイミングだな。ほら、なんかどっちも気まずいじゃん、エロいもの選んでるのを女性店員に見られていると思うと。
当然だけど、肌色目立つ映像ソフトのパッケージに、ピンク系統の背表紙が多くを占めるコミックの数々。……仕事中は反応させないので安心してください。
「とりあえず、うちが扱っているのはAV、成年アニメ、成年コミック、成年向け写真集と18禁の同人誌。たまーに問い合わせがあるけど、アダルトゲームは取り扱ってないから、それくらいは覚えておくといいかも」
「なんか、一部だけ棚がぽっかり空いてるんですね」
彼女は、歯が抜けたように空いたコミックの棚を指さす。
「うん、ちょくちょくかご四つとかにいっぱい漫画詰めてレジにくるお客さんとかいて、多分それで棚が倒れているんだと思う。……あとで補充しとかないと」
「……へー」
「まあ、多分水上さんがここに入ることはそうそうないと思うから、扱っているものがどんなのかだけ把握しておいてくれればいいです。買取のときにも必要な知識だし。……あ、あと当然だけど、ここに井野さんと浦佐は絶対に行かせないように」
前提として十八歳未満だし。あの子たち。
「わかりました、ありがとうございます」
「とりあえず、じゃあさっきの三段カートに乗った漫画の補充から始めましょうか。最初だけ僕、さっきのかごの成年コミック入れておくので、わかる範囲でやっておいてください。あ、あと水上さんが補充したってわかるように、本を横向きに入れてください、後でまとめて確認しちゃうので」
そうして暖簾をくぐって売り場に戻る。吸収のいい水上さんは、両手にコミックの山を抱えて、正しい棚の位置に向かってくれる。あれなら、一旦目を離しても大丈夫か……。
成年向けの商材を、子供も通る売り場に放置してはいけないので、先にそれだけパパっと補充する。あと、簡単に棚に空いている穴を埋めるため、下の引き出し(ストッカー)から眠らせていた在庫を引っ張り出してひょいひょいと入れていく。よし、これでいいか。
水上さんがいるところ付近の補充物を持って、彼女の隣にしゃがみ込む。自分も補充をしつつ、彼女の様子を見守る。
「や、八色さんは……じゃあ、どういう子がタイプなんですか?」
じゃあ? え? 今の一連の流れにどんな論理展開があったの? 水上さんの頭のなかはどういう思考回路を巡ったんだ。
「い、いきなりどうしたの……?」
「いえ……なんとなく気になっただけです。ただ……浦佐さんは活発で元気な人だし、一部には需要ありそうな子だなあって。井野さんも見た目は地味ですけど、ああいう子は垢抜けると一気に変わるタイプだろうし……。そういう子に囲まれてもなんとも思ってないあたり、どうなんだろうなって」
……補充の手を止めることはせず、彼女の問いに答える。
「どうなんだろうね、僕今まで彼女できたことないし、よくわかんないや」
「えっ、そうなんですか?」
何故少し嬉しそうに言う。逆に目に光が戻ったのを僕は見逃さなかったからね。
「八色さん、優しいのに……」
「ははは……優しいだけじゃモテないらしいから……」
自分で言っていて切ないけど。なんで勤務中にまでメンタル削らないといけないんだ。
「さて……補充はどうかな?」
持ってきた自分の分が終わり、立ち上がり進捗を確認する。すると、水上さんは、
「え? 八色さんもう終わったんですか? 私より後にきて、多い量持ってきていたのに」
驚いたように口元に手を当てている。
「補充は僕の得意分野だから。一番好きと言ってもいいくらいにね」
僕は横向きに差し込まれた漫画を確認していっては、頷きながらそれを縦に直していく。
「うん、大丈夫そうだね。さすが水上さん」
漫画の補充はもうつかなくても大丈夫かな……。結構漫画って、同じ出版社のなかでもレーベルが色々あってややこしかったり、原作者と作画が違う人で、そこをごっちゃにしちゃったり、そもそもペンネームが難読の人だったりと、誤補充トラップはいっぱいある。でも、彼女はきちんと作画の人の名前を見て補充しているし、レーベルの補充ミスも起きていない。初回でこれなら上出来だろう。
「じゃあ、それ終わったら今度は文庫の補充行ってみようか──」
そのようにしてひと通り補充を教えきって終わったこの日のシフト。順調に進んだ一日だったのだけど、カウンターに戻ると、困った様子の井野さんがレジの画面とにらめっこをしていた。
「あ、八色さん……、1レジでマイナス千円出ていて……」
それを聞き、僕はとうとう来たかと身構える。……現金
閉店後に、レジのお金を計算して、登録と間違いがないかを確認する。間違いがない、差異なしなら何事もなく終わるのだけど、今回だと、1レジのお金が登録より千円足りなくなっているようだ。
「……2レジは?」
「差異なしだったのでもう回収まで終わっちゃってます……」
レジ間両替が原因とかではないのか……。両替をミスると、片方のレジが増えて、片方のレジが減るってことはまま起きる。浦佐はよくこれをやらかす。
「返品レシート、今日はある?」
次に多いのが返品関連。色々な理由でお客さんは買ったもの、売ったものをキャンセルしたいと言ってくる。一番多いのはポイントカードの会計後の提示だけど。それをすると、色々面倒なことが起きてお金がずれてしまうこともしばしば。浦佐はこれもよくやらかす。
「今日は返品一度もないんです」
「それも違う。となると……。紛失か、お釣りを多く渡したか……になるのか」
僕がそう呟くと、井野さんはビクッと肩を震えさせて顔色を青くさせる。
「いや、井野さんがってことではなくて、可能性の話ね。とりあえず監視カメラで確認しちゃうよ……ただ、もう十時近いから、井野さんは先上がっちゃっていいよ。あとは僕がやっておくから」
「す、すみません……」
そうして井野さんは先に売り場を後にしていった。
「水上さんも、先退勤していいよ、結構時間かかるから」
「え、で、でも……」
「研修中の子に残業させるわけにはいかないよ。ひとりでもなんとかできるから、大丈夫」
「わ、わかりました、では……先に退勤しちゃいますね……」
少し名残惜しそうにしながらも、水上さんも後を追うようにスタッフルームに向かう。
さて、と……。長い夜になりそうだな……。
ひとり残った僕は、ひとまずレジのお金のダブルチェックから始めた。
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