490話 イシルの厄日







「ただいまー」


ランは警備隊の仕事を終え、ドワーフの村から森のイシルの家へと帰って来た。


いつも聞こえる″お帰りー″の返事がない。


(いねーのかな?)


ランは玄関からリビングへと入る。


″ザ――――ッ″


リビング奥のキッチンで水の音がしていた。


(なんだ、いるじゃん)


只今の声が聞こえなかったのかなと、ランは奥のキッチンを覗き込んだ。

キッチンではイシルが水場で鍋に水を入れていた。


「ただいま、イシル」


ランはイシルに近づくと、ひょいっ、と、水場を覗き込んだ。


「今日の晩飯は何――、、うわっ!何やってんだ、イシル」


「――え?」


ランの慌てる声に、イシルが手元の鍋を見る。


「あっ!」


鍋には麦が入っていて、水を流しっぱなしにしていたおかげで鍋の中で麦が舞い、溢れる水と共に 鍋の外へと流れ出していた。

イシルは慌てて水を止める。


「何ボーッとしてんだよ」


「すみません」


「あー、腹減った」


イシルがヘマするなんて珍しいなと思いながら、ランは食卓の椅子を引いてどかりと座った。

そして、テーブルの上に箱をみつけ、ふたを開ける。

クッキーだ。


「これ、食っていいのか?」


「……どうぞ」


やっぱりおかしい。

いつもなら″晩御飯の後にしなさい″と言われるところだ。

イシルの許可をもらって、ランはクッキーをひとつつまんで口に入れた。


″コリッ、サクッ、″


クッキーは固めで、噛むとフワッと甘く、ホロホロと崩れた。

崩れた一つ一つがキシッ、キシッと、クッキーらしからぬ食間を感じる。


「うめーな、何これ、普通のクッキーじゃねーな」


「アーモンドです。アーモンドをゆでて皮をとり、曳いて粉にしてあります」


何、ナッツなの!?手が込んでるな。

噛むたびにじゅわっとアーモンドのオイルが広がり、噛み続けていたくなる。


「サクラは?風呂か?」


ランの言葉に イシルがこぼれた麦を拾い集めながら答えた。


「帰ってきませんよ」


「なんだ、アスんとこか?」


「いいえ、、現世です」


「え?」


ランがクッキーを手にしたまま フリーズする。


「今日はもう帰ってきません」


「何で!?」


驚くランに、イシルはひたすらこぼれた麦を拾いながら、淡々と答える。


「前の、、サクラさんの前に来たシズエが言っていました。『薬屋』が閉まるとこちらには来れないそうです。『薬屋』は夜は開いてませんから、今日はもう帰ってきません」


「そんな、、何かあったんじゃ、、」


いいえ、と イシルが答える。


「シズエは現世に帰った日は、一日奥方と過ごして、次の日の朝、薬屋で薬を貰って帰ってきていました。今までサクラさんが早かっただけですよ。夜の分の薬は持ってますからね。薬をもらうのは次の日の朝でも問題ないんです。奥方と朝食を一緒に食べて、薬をもらいに行き、ここに帰ってきてから薬を飲んでましたよ」


それは、努めて冷静に――


「サクラさんにも、現世の事情があるでしょうからね。大丈夫でしょう」


ランにではなく、自分に言い聞かせるように――


「明日になれば、帰ってきます」


帰ってくる?何を根拠に?

サクラはもう体が健康になってしまって、異世界に来ないのでは?


「……イシル」


「何ですか?」


ランは問いかけようとして、思い直した。

笑顔を見せるイシルだが、無理しているのがまるわかりだ。

イシルも不安なのだ。


″大丈夫″イシルがそう思いたいのだ。

サクラが帰ってこない理由を 必死に考えて、自分を納得させて――


そんな状態のイシルに、″本当に帰ってくる?″なんて聞けない。


「……なんか、焦げくせぇ」


「あ、グラタン!」


イシルはランに言われて慌ててオーブンを開ける。


「熱っつ、、」


その際、鉄板に軽く手を当ててしまい、指に火傷をおってしまう。

今日、二回目。

昼間と同じ、左の親指に。


「何やってんだよ、手、貸せよ」


ランがイシルの手をつかんで火傷を確認し、急いで回復魔法をかけた。


「すみません」


オーブンの中には、真っ黒に焦げたグラタンが。

イシルがそれを取り出そうとするのを ランが止める。


「素手で触る気かよ、また火傷するぞ」


「あ、、」


動揺がひどすぎる。

これは、危ない。


「お前、今日料理すんな」


「でも……」


「これ、焦げてるとこ取り除けば中は食えるだろ、グラタン。これとパン、あと、おかずは作り置きのヤツがあるし、それで十分だから、お前は座ってろ、オレがやる」


「僕、今日食事は――」


「座ってろ、食わねーとか言うなよな、をオレ一人に食わすなよ」


「すみません」


イシルはすとん、と、 力なく椅子に座った。

クッキーの箱をぼんやりと見つめて。


ランは イシルの様子を伺いながら、皿におかずを盛り、パンを温める。


(あれは サクラのために作ったんだな)


クッキーは小麦粉ではなく、わざわざアーモンドを粉にして作られていた。

ナッツは糖質が少ないから、サクラが間食に食べていたのをランは思い出す。


イシルは今日、サクラが出掛けたあと ハーフリングの村の方へ出掛けたから、きっとディオのところに習いに行ったんだろう。





ランはイシルに無理やり食事をさせると、片付けも自分がやるから、と、 イシルにはやらせなかった。


「じゃあ、僕はお風呂に入ってきます」


「おうよ」


イシルがふら~っ、と、幽霊のように歩く。


(レイスの時よりレイスっぽいな)


重症だ。


もちろん、ランだってサクラの事が心配だ。

サクラがいなくて寂しい。

もう会えないんじゃないかと不安でたまらない。


でも、あんな状態のイシルを前に、自分がしっかりしないと、という思いの方が先に出る。


(相手が先に酔っぱらうと、自分は酔えないってヤツと一緒だな)


テーブルを拭き、皿を洗い、拭いて棚にしまい、水場の水滴もキレイに拭き取り片づけを済ませると、ランは自分も風呂の準備をして、リビングでイシルが風呂からあがってくるのを待った。


しかし、イシルは中々出てこない。

ランは風呂のドアの前でイシルに呼びかける。


「イシル、まだ~?」


中に気配はある。

だが、返事はない。


「おーい、イシル、オレ風呂入んなくていいの~?」(←希望)


やはり、返事なし。


(アイツ、のぼせてぶっ倒れてるんじゃ――)


「イシル、入るぞ」


ランは心配になって風呂場の扉を開けた。

脱衣所にイシルはない。


「イシル?」


ランは脱衣所から風呂を覗き込んだ。


(あれ?いねぇ)


気配はするのに、イシルの姿は見つからない。


″ぷくぷくぷく……″


(?)


湯船から小さな音がして、ランは湯船の中を覗いた。


″ぷくぷくぷく……″


「わっ!!」


ランは湯船の中に沈むイシルの姿を発見する。


「何やってんだよオマエ~~~~!!」


ランは急いでお湯の中からイシルを引きずり出した。


(ポンコツすぎだろ!!)


死ぬ!いくらエルフが不死身だとは言え、今のイシルは死ねる!!死んでしまう!!!


きっとイシルは いないとわかっていても サクラを探してあの場所へ行ってしまうだろう。


夜の森なんて、何が起こるかわからない。

今のイシルには危険すぎる。

家の中にいたって死にそうなのだから。


(どうすっかな……)


ランはイシルを介抱し、髪を乾かしてやると、部屋へと放り込んだ。


「こっから出んなよ、オレ風呂入ってくるからな」





◇◆◇◆◇





ランがイシルを放り込んだのは サクラの部屋だった。


(サクラさん……)


イシルはベッドに腰かけ、ぽふん、と 横になる。


(サクラさんの匂いがする)


なのに、サクラの姿はない。


(明日になれば、帰ってくる。きっと、、)


久しぶりに家族や友人と会っているのかもしれない、

もしかしたら、恋人かもしれない。


(如月……)


たとえ、現世にサクラの相手がいても構わない。

嫌だけど、一年後、サクラを幸せにしてくれる相手なのだろうから。

自分にはそれができないのだから。


期限つきでもいい、

一年でもいい、

だから、その間だけは サクラを奪わないでほしい。


(サクラさんを返して――)


恋愛が こんなに苦しいものだったなんて。


(人を殺すのは 刃物だけじゃないんですね、サクラさん)


心が 死にそうだ。


イシルはサクラを求めて サクラの匂いのするベッドに頬を寄せた。


愛しさが、つのる。

この手ではつかめないとわかっていても、求めてしまう。


イシルはベッドから体を起こした。

この世界にサクラがいないとわかっていても、じっとしてなんかいられない。

あの場所で待とうと思い、ベッドから立とうとしたら、黒い子猫が入ってきた。


子猫は しゅたっ、と、床を蹴ると、勢い良くイシルに体当たりしてきた。


″ドカッ″


「うわっ!」


イシルは子猫のランに押し倒され、そのまま、またベッドにぽふんと仰向けになる。


「何するんですか、ラン、乱暴ですね」


ランは起きあがろうとするイシルの胸元に ずしっと乗っかると、イシルを見下ろし口を開いた。


その愛らしい黒猫の口から出たのは、″ニャー″ではなかった。


「深夜徘徊は勘弁しろよ、オレは老人介護する気はねぇぞ」


顔はかわいいのに口汚い子猫のラン。

イシルが面食らってランを見る。


驚いた顔をしたイシルに、ランがニヤリと嗤った。


「ラン、、猫なのに喋れるんですか?」


イシルの目の焦点が、やっとあった。

イシルがやっと、ランを見たのだ。


「お前のお陰でな」


ワンダーランドで習得しました、喉発生。


「オレは明日も仕事なんだ、起こすなよ」


ランはイシルの胸元から 脇へと滑り降り、イシルに寄りかかるように丸くなると、眠りに入った。

″ゴロゴロ……ゴロゴロ″と、気持ち良さそうに喉をならして。


(これは、起こせませんね)


ランの優しさと温もりが イシルの心に染み込んでくる。

イシルはそばで眠るランをそっと撫でた。


柔らかいネコ毛を撫で、ランの体温を感じ、寝息に同調すると、心の不安が少し解消された。


サクラを待っているのは ランも同じだ。


(僕は、一人じゃない)


「ありがとう、ラン」


サクラは明日帰ってくる。


きっと――























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