200話 【特別読み切り】異世界への扉
その扉はオフィス街の中にあった。
二月も半ば、貴女はコートの前を合わせ ため息をつく。
……疲れた
得意先を歩き回り、そろそろお昼を食べようかと立ち止り、店はないかキョロキョロと辺りを見回すと、目のはしに黒いものがうつった。
「何?」
見ると道のど真ん中に 黒い猫がぽつんと座っている。
「危ないなぁ」
車も結構通るのに と、貴女はガードレールを跨ぐと、左右を確認し、黒猫に近づいた。
“シャラン”
硝子細工のような 涼やかな音が響いた。
鈴の音をならしながら、黒猫はするりと歩道まで逃げる。
「飼い猫かな」
舗道まで行けたなら大丈夫だろう、と、貴女も黒猫のいる舗道まで渡りきった。
″ニャー″
黒猫は少し先の路地の入り口にいて、こちらを見ている。
そして、まるで貴女を呼んでいるかのように鳴く。
″シャララン″
鈴の音。
黒猫が鈴を鳴らしながら 細い路地へと入っていった。
車の走行音、人のざわめきの中、何故か黒猫の鈴の涼やかな音だけが貴女の耳に鮮明に聞こえ、貴女は誘われるように黒猫について路地へと入って行く。
″カリカリ……ニャー″
路地の先で、黒猫が扉の前にはりついて、扉をカリカリと引っ掻いていた。
(中に入りたかったから私を呼んだのね、賢いなぁ)
貴女は 扉の前まで行くと、黒猫をひょいと抱き上げ、その扉を見る。
その扉はオフィス街には似つかわしくない、西洋の館の扉のようだった。
(店か何かかな?)
辺りをみまわすが、看板らしきものは見当たらない。
(隠れ家的な、一見さんお断りの店なのかも)
″ニャウン″
腕の中の黒猫が扉を開けるよう促したように見えた。
「はいはい」
貴女は扉を開ける。
″チリリン……″
扉を開けると ベルが鳴り、一歩入って戸惑う。
扉を入ったはずなのに、まるでテラスのように明るい。
(ビルの中、だよね?)
不思議な空間。
明るい日差しの中にアンティーク調の上品なソファー、丁寧な細工の燭台、重厚な本棚、趣味のいい調度品がならび、まるで西洋貴族の館みたいだ。
「いらっしゃい」
部屋の様子にあんぐりしていると、白い猫を抱いたキレイな男が貴女を出迎えた。
金の髪をさらりとなびかせた、翡翠色の優しい目をした男。
(うわっ、凄い美形)
貴女の腕から黒猫が トン、と床に下り 男の方へ向かい、男の腕から降りた白猫にじゃれる。
″ニャー″
「また抜け出したんですね、ラン、困ったものです」
黒猫は主人の小言をものともせず白猫に寄り添い、何が悪いんだよと言わんばかりの目でこちらをうかがい、白猫はお客がきたのがうれしいのか、くるくると愛らしい目に好奇の色を浮かべている。
(表情豊かな猫たち……かわいいなぁ)
「猫、お好きですか?」
「あ、はい」
男は『イシル』と名乗った。
「貴女がランを連れてきてくれたんですね、ありがとうございます」
(黒猫は『ラン』っていうんだ、どちらかといえば連れてこられたのは私のほうなんだけど)
「それじゃ、私はこれで……」
″ぐうぅ……″
立ち去ろうとした時、貴女のお腹が鳴った。
「あ///」
……お昼、まだだった。
こんな時に鳴るなんて!恥ずかしい!!
イシルはクスリと笑うと、貴女に滞在を促す。
「お礼の代わりに、お昼を召し上がっていってください」
「いや、あの、、」
「おいで、サクラ」
″ニャー″
イシルは貴女の返事も聞かずに 白猫と共にキッチンへと行ってしまった。
穴があったら入りたい。
貴女はソファーに腰を下ろす。
(ここは、カフェ、なの?)
イシルに気をとられていたが、白い猫と黒い猫の他にも猫がいる。
(猫カフェ?)
キジ猫、シャム猫、ペルシャ猫、ロシアンブルー……あれは、何猫かな?
その猫は、ホントに猫?と思うほど大きく、鋭い目をしていて、ちょっと怖いなという印象の、茶というより赤毛に近い猫だった。
のしのしと歩く姿はライオンやトラのような勇ましさがある。
(あ、目があった)
その大きな猫は貴女を見るとソファーに寄ってきてとびのり、貴女のとなりの座った。
(大きい!!)
貴女の手にチョイチョイッと触れ、撫でろと催促する。
(顔の割に人懐っこいのね)
ここの猫は人の言葉がわかるのかと思われるほど表情が豊で話しかけるように動きまわる。
貴女は猫の首にそっと触れた。
さすってやると目を細め、ゴロゴロと喉をならしはじめた。
頭から背中へと手を滑らせる。
筋肉質でがっしりした骨格。
肉食の獣のように太く、しなやかな手。
つるりと手を滑るネコ毛に撫でていると癒される。
猫は貴女の足に手を起き、大きな体を伸ばすと、チュッ、と貴女の唇にキスをした。
「可愛い」
すりっ、とアゴを貴女の頬にすり寄せる。
「ギルに気に入られましたね」
イシルが料理を出しに来て、猫の名前を教えてくれた。
「冷めないうちにどうぞ」
「ありがとうございます」
ごゆっくり と、またキッチンへと消える。
「ギル……」
″ニャー″
「うふふ」
イシルが出してくれたのは、意外にも『おにぎり』だった。
(イシルさん、あの顔で和食なんだ……)
おにぎりが三つと汁物が湯気をあげている。
「いただきます」
貴女は一つ目のおにぎりを手に取った。
″はぐっ、、″
美味しい!
菜の花だ。
菜の花と鮭のおにぎり。
塩ゆでした菜の花と丁寧に焼かれた塩鮭を大きめに崩し、ゴマを加えてごはんと混ぜこんである。
大きめの具材で噛むと素材の味と白米が口の中で混ざり、菜の花の程好い苦味が鮭の後味をさっぱりと絞めてくれる。
少し早い 春の匂い。
一緒にお膳にのっているのはカレースープだ。
「ふーっ、ズズッ」
お出汁の香り。
和風のカレースープ。
カレーは風味程度で、あっさり、少しとろみのついたスープが 貴女の胃の中を温める。
中には白菜、ネギ、えのき、つくねが入っていた。
「はぐっ、んっ///」
つくねを噛むと、ふんわり、ホロリと崩れ、生姜がしゃくっと歯にさわり、生姜独特の風味が広がる。少しニンジンの甘味も感じられた。
(なんて美味しいんだろう……)
スープと生姜でほかほかと体があたたまり、疲れた体をほぐしてくれるようだ。
貴女は疲れていた。
頑張っても、頑張っても、足りない気がする。
やっと企画が通って任された。リーダーになれた。
会社では古株なんだから、もっと頑張って、勉強して、理解して、資料を作って、指示をして……
いくら時間があっても足りない。
「ふはぁ///」
こんなちゃんとした手作りのものを食べるなんて、久しぶりだ。
おにぎりをもうひとつ手に取る。
味噌の焼きおにぎり。
「あ……」
貴女は思い出す。
味噌の焼きおにぎり……
冷めても美味しいからと、いつも 母が夜食に作っておいてくれたおにぎり。
「お弁当にも入ってたな……」
冷めても味噌の甘辛な味がしみておいしかった。
母にはしばらく連絡していない。
「はぐっ、カリッ」
焼きたての味噌のおにぎりは 母の味とは違ったが、それでも思い出さずにはいられなかった。
(元気かな……)
仲が悪いわけではないが、忙しさを理由に電話をしていない。
かかってきても『結婚』の話を出されるのが嫌で取らずにいる。
今はそんなことに煩わされたくない。
「たまには連絡してみたらどうだ」
「んぐっ!?」
横から男の声がして、貴女は驚いて顔をあげた。
「……誰?」
「俺はギルロス」
(他にもお客さんがいたんだ……)
燃えるような赤い髪の、鋭い目をした男。
普段なら絶対お近づきにならないタイプだ。
でも……
(なんて落ち着く声をしているんだろう)
ギルロスの声は 何故か貴女の心に すとんと落ちる。
実家に電話してみようかな……
いや、そんなことしてるヒマなんかない。
「もっと落ち着いたらしてみます」
「もっと?」
ギルロスが呆れた口調で続ける。
「まだ頑張る気か」
「え?」
「どんだけ頑張れば気が済むんだ」
「気が済むって、、」
なんだ、この男、それじゃ自己満足みたいじゃないか
「お前は一日4時間程度の睡眠で、食事をおろそかにし、家にまで仕事を持ち込んでまだ頑張ると?」
なんでそれを知って……
「私の勝手です、ほっといてください」
ムカつくが、理性でおさえる。
「睡眠を三時間にして頑張るか?二時間か?いっそ寝なければ満足か?」
なんなのよ、煽るみたいに!からかって楽しんでるの!?イライラする
「そんなひどい言い方しなくても」
「自分を追い込んで楽しいか?」
こんな言われ方、我慢できない!
「こんなに頑張ってるのに、なんで知らないあんたにそんなこといわれなきゃいけないのよ!!私が、私がやんなきゃ、リーダーなんだから、しっかりしなくちゃ、頑張んなくちゃ、皆に迷惑がかかるっっ、、」
ポロポロと、貴女の目から涙がこぼれた。
「頑張んなくちゃ……」
ギルロスは口調をかえ、ゆっくり、噛んで含むように貴女に言い聞かせる。
「いいか、一日は24時間しかないんだ、一年は365日、人は限られた時間の中で生きている。寝なきゃならんし、食べなきゃならん、お前は――」
ギルロスは涙をこぼす貴女の頬を大きな手で包み 親指で拭う。
「お前は十分頑張ってる」
低く、穏やかな声で貴女を包みこんだ。
「自分を許してやれ」
暖かく 大きな手と、良く響く 優しい声で。
「自分を許せるのは自分だけだ」
――――自分に課せ過ぎていた。
「もっと、まわりに頼ってみろ」
――――自分で背負いすぎていた。
「笑ってみろ」
――――余裕がなくなっていた。
「お前はきっと笑顔の方が可愛い」
「っ///」
冷たい見た目とは違い、ギルロスが暖かく笑う。
「ギザすぎますよ」
貴女の言葉に あはは、とギルロスが笑う。
貴女もつられて笑った。
「ひとつもらうぜ」
ギルロスはテーブルの上のおにぎりに手を伸ばし パクっと一口食べる。
最後の一つはシンプルな塩にぎり。
「
外国の人だからなのか、ギルロスは あまりお米になじみがない様子で、美味しそうにおにぎりを食べた。
「オレはこっちの方が好きだけどな」
ギルロスは くいっ、と お猪口をあおる真似をする。
「お酒ですか、良いですね、この時期なら熱燗とか美味しいです」
「おっ、いいな、次は酒でも呑みに来いよ」
一緒にのもうぜ、と、おにぎりをもう一口食べる。
「んっ!?」
ギルロスが突然しかめっ面をした。
「イシル、てめぇ……」
ごくりと丸飲みしてキッチンに向かって叫ぶ。
「梅干し入れんなよ!!」
「……人のものに手を出すからですよ」
ギルロスの文句をイシルがさらりかわし、軽口の応酬がはじまる。
どうやらいつもの光景のようだ。
その様子が可笑しくて、貴女はケラケラと笑った。
こんなに笑ったのは久しぶりだった。
美味しいものを食べて、お腹一杯になって、怒って、泣いて、笑って、大きな声を出したら なんだかすっきりして
不思議な猫カフェだったな……
そういえば、あの大きな猫はどこへ行ったんだろう、次は抱っこしてみたい。
貴女は足取り軽く駅に向かう。
ケータイを手に。
「あ、もしもし、お母さん?うん、あのね……」
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