184話 cherry´s始動 4 (エリザの場合)






ラ・マリエの大ホールの中は いつにも増して賑わっていた。商会の会長連が軒を連ねているのはもちろんのこと、アス狙いのマダムたちが爛々と目を光らせている。


大きく胸の開いたセクシーな服、大胆なスリットの入ったスカート、きらびやかなレースやリボンをあしらったドレス、そして、誘うような真っ赤な口紅……

全てはアスの気を引くために。


エリザは気後れしてしまう。

自分はあんな肉感的な美貌は持ち合わせていない。


「まだいらっしゃらないのかしら」


エリザの隣で 眼鏡っ子のソフィアが期待に満ちた顔で扉を見つめている。


「ソフィアの好みは警備隊のハルでしょう?」


ショートカットのルーシーがからかうようにソフィアに突っ込んだ。


「だって、無理だもん……」


「あー……そうね、ごめん」


ソフィアがしょんぼり返したので、ルーシーもしんみりしてしまった。


そう、無理なのだ。

相手がもし、自分に振り向いてくれたとしても無理なのだ。

大きな街の騎士ならまだしも、こんな小さな村の警備隊員一般人となんて 無理なのだ。

結局自分達は 家のためにに嫁がなくてはならない。


貴族か、王室勤めの者か、大商人か……

権力、金、コネ、一族の力になりそうなところへ。

本当の愛を掴めるのはごく稀だ。

だから男も女もが容認される。

嫡子を産めば、あとはご自由にということだ。


それでも彼女達は夢を見る。

理想の人との恋を夢見る。


「ほら、もういらっしゃるわよ」


エリザは消沈してしまったソフィアとルーシーを励ます。


大ホールの扉が開き、皆の視線が集中する。

これからレースが始まるのだ。

アスとの夢のようなひとときを過ごす権利をかけて……


人影が現れ、この館 ラ・マリエの主、ローズ商会総頭の アスが入ってきた!


その美しく整った姿と優雅な身のこなしに、タメ息と共に ざわめきが起きた。


「一人じゃ、ない……」


アスは 女性を伴っていたのだ。


「アス様がパートナーを……」

「いつもお一人なのに!」

「見たことないお顔ですわね」


ざわめきの中、アスはゆっくりと パートナーを気遣いながら歩く。


そう、アスは今まで 公の場で誰かを伴って来たことはない。

エリザも周りと同じように衝撃を受けていた。

何故なら、アスの隣にいるのは だからだ。


バーガーウルフの店員で、森の迷い人、愛しいイシルの家に居候している、何処の誰とも素性の知れぬなのだ。


若くもなく、美人でもなく、スタイルがいいわけでもないサクラが、何故!?


それは ここにいる全員が思ったはず。


「サクラ」


アスがサクラに呼びかける。

全員が目を皿のようにして凝視し、耳をダンボにして注目する。


「これをつけるの忘れていたよ」


アスは真珠の耳飾りを出すと、サクラの耳につけてやった。

恥ずかしそうに頬を染めるサクラにアスが何事かを囁く。


″きゅん″


エリザは嫉妬の他に 何かを感じた。


(あれ?)


まわりの女性陣の吐息が聞こえる。

アスが甘い空気を出しているから?


右に付け終え、左へ。

サクラはアスが左の耳朶にイヤリングをはめる間、軽く唇を噛み、最後にちょっとアスを睨んだ。


男性陣のため息が聞こえる。

エリザもドキリとした。


″きゅん″


(何かしら、このトキメキは)


「睨んでも可愛い」


アスが甘い言葉を発し、アスの顔がサクラに近づく。

くちびるに、誘われるように……


くちびる、、

唇だ!

サクラの口紅の色が エリザをドキドキさせる。


サクラの唇は さくらんぼの実のようにぷるんとしていて、ツヤツヤで、透明感があり、ぽってりと愛らしいピンク色。

それでいてのない、自然な発色。

まるで 唇がもとからあの色であるかのようだ。


「何、あの口紅……」


今日のサクラは見るからに上等な水色のドレスを着ている。 真珠がちりばめられ、メイド服とはうってかわり ふんわり、女性らしさを醸し出している。

そのドレスが 唇のピンクをさらに可愛くみせている。


「可愛いじゃない」


「エリザ?」


「なんでもない」


エリザはルーシーの呼びかけに 自分の口から出た言葉を飲み込んだ。


「アス様ったら、なんで選んだのかしら、あれなら私でもいけるわよ」


「でもルーシー、今日の彼女は 凄く、、可愛い」


珍しくソフィアがルーシーに意見した。

ソフィア、あんたに同意だわ。

今日のサクラはかわいい。

この会場にいるどのマダムより魅力的に見える。


「私でも 変われるのかな……」


ソフィアが羨望の眼差しでサクラを見つめる。


アスのもとにルピナス商会の会長や、ダリア商会の会長がやってきて商談をまとめ、去っていった。

その後も代わる代わる 商人がアスのもとにやってくる。


アスは 商人がいなくなるごとに、サクラの唇に誘われるように顔を近づけ、その度にサクラに袖にされている感じだった。

たまに、アスの顔をサクラが押し退けるという様までみられた。


(あの口紅、欲しい……)


「あの口紅は サクラが持ってきたらしいよ」


「お兄様」


エリザが気にしているのがわかったのか、挨拶にまわっていた兄のカールが戻ってきて エリザに教えてくれた。


「アイリーンが同じものをつけていてね、聞いたことがある」


カールが聞いたのは カールがアイリーンをデートに誘った日、の前に、馬車の中でである。


「今まわってきただけでも、噂でもちきりだよ。恋したくなる口紅だって、御婦人方の情報は早い。なんでも、グラスに口紅の跡さえ残らないようだよ」


「そんな口紅が……」


「後で部屋に全種類持ってこさせるよう手配したから、選ぶといい」


「お兄様!ありがとう!」


「ソフィアとルーシーもね」


「「ありがとうございます」」


カールは再び挨拶まわりに行ってしまった。


「サクラはアス様の仕事上のパートナーだったのね」


「でも やっぱり気にくわないわ」


エリザの言葉に それでもルーシーは納得出来ないようで、バッグをゴソゴソ探りだす。


「ふふふ、これよ」


「「?」」


いたずらっ子のように目をくりくりさせて、カバンからあるものを取り出した。


″カサカサカサ……″


「「!?」」


ゴ○ブリ!!?


「オモチャよ」


「やめなよ、そんな事」


ソフィアがルーシーを諌めるが、ルーシーに聞く気はない。

ていうか、ルーシー、いつもそんなもの持ち歩いてるの?


三人がサクラを見ると、疲れたのか 椅子に座っている。

アスは少し離れたところで話をしていて、丁度一人だ。


「見てらっしゃい」


ルーシーは その場にしゃがむと、ゴキブリのオモチャを サクラに向かって解き放った。


″カサカサカサ……″


黒光りする体、独特の動き、誰もが嫌うソレは 人の目をかいくぐり、サクラに向かう。

ルーシーは、心の中でほくそ笑む。


(ふふふ、悲鳴をあげてすっ転べばいいわ)


サクラがゴ○ブリを見た。


″カサカサ……″


(行けっ!)


サクラの足下に入り込む――――


″ダンッ!!!″


「……」

「……」

「……」


仕掛けたルーシーも、見守っていたエリザもソフィアも、目が点になる。


踏んだ……


サクラは悲鳴をあげるどころか、顔色一つ変えず……踏み潰した。


「「ええっ!?」」


サクラはマルクスを呼び、処理を頼んでいる。

ゴ○ブリを他の客に気づかれぬようマルクスはナプキンを取り出し、素早く掴むと、サクラの足の下のゴ○ブリを持って行った。


「ぬぐぐ、、に動じないなんて……」


屋敷のメイドや男性陣まで 誰が退治するかで揉めるというのに、何てことなの!!

サクラは特別なの!?

てか、ルーシー、あなた『ぬぐぐ』って……


「まだまだよ」


次は何をする気なの!?

ルーシーは料理台へ行くと、メイドに料理を取り分けてもらい、戻ってきた。


「そんなに食べるの?」


ソフィアが心配してルーシーに聞く。

公のパーティーの場合、頑張ってコルセットを締め上げるので、あまり食べ物が入らないのだ。


「あたしがじゃないわ、サクラにあげるのよ」


そう言って カバンから赤い液体の入った小瓶を取り出した。


「ハババネロのソースよ」


ハババネロのソースは 舌がマヒするほど辛い、超激辛ソースだ。

だから、ルーシー、貴女何故そんなもの持ってるのよ!?


ルーシーは、ビンをふって 料理の上にドバドバかける。

料理にハババネロが染み込み、赤みがきえた。


「これでわからないわね」


いや、わかるでしょ、ルーシー、ニオイ凄いわよ?


″もこっ……″


「?」


今、何か動いた。


″もこもこっ……″


「え?」


ルーシーの持つ皿の上の料理が もそもそ動いている。


「あり得ない!」


″ワサワサワサッ!!″


「ひっ!!」


毒虫だ!タバスコの染み込んだ料理の中からワサワサと小さな蜘蛛のような毒虫があふれかえる!


「いやっ!」


ルーシーは驚いて、皿を椅子の上に手放した。

ズルッ、と 料理がこぼれ落ちる。


「……いない」


幻覚でもみたのか、椅子の上にも、皿の上にも 毒虫はおらず、料理が皿から雪崩落ちているだけだった。


「失礼いたします」


それもすぐに ラ・マリエの使用人がやってきて、てきぱきと片付けてしまった。

何もなかったかのように。


「気味が悪いわね」


ルーシーは ゾッとして自分の両肩を抱く。


エリザも背筋に冷たいものを感じた

刺さるような、嘲笑うような視線……


「変なこと考えるからよ、もうおよしなさい」


「……嫌よ」


ルーシーが意地になっている。


サクラはといえば、椅子から立ち上がり、ソロソロと料理台へと歩いていくところだった。







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